伊藤沙莉

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 NHKの朝ドラ「虎に翼」がついに最終週を迎えた。かつてないほどの好評のうちに9月27日のラストを迎えそうだ。人気の秘密にはもちろん、伊藤沙莉ら俳優陣の演技力がまず挙げられる。同時に、朝ドラという枠では踏み込みにくいテーマに切り込んだことも、人気の理由ではないだろうか。【水島宏明 ジャーナリスト/上智大学文学部新聞学科教授】

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【写真】父が実娘に5人の子を産ませ……「虎に翼」で注目 おぞまし過ぎる「実父殺害事件」 “おどろおどろしい言葉”が並ぶ当時の雑誌記事 ほか

「虎に翼」が、女性の生理、朝鮮人虐殺、原爆投下の法的責任といったテーマを扱ってきたことはこれまで書いてきた。そして目下のテーマは「性虐待」だ。

伊藤沙莉

 夫の暴力に耐えかねて母親が出ていった後、父親から暴力によって行為を強要され、2人の子を出産した女性。恋人ができたことを伝えると、監禁され、以前よりも激しい暴行を受けた。このままでは殺されると思い、ある日、眠っている父親を絞め殺した――。

 作中に登場したこの事件は、昭和43(1968)年に実際に起きた出来事をモデルにしている。尊属殺人罪(刑法では自分より前の世代の血族を殺すと、一般殺人より重罪になり、死刑または無期懲役にするという条文が存在した)を適用するかどうかが、最高裁まで争われたものだ。

 実の父親による娘への性虐待と、父親殺しというむごい事件である。ドラマの題材にするにあたり、さらりと表面的に紹介するだけではリアリティや、問題の切実さが伝わらない。かといってあまりに生々しく描くと「朝からそんな話など見たくない……」と、視聴者から強い反発を招くリスクがある。だが「虎に翼」ではその描き方が絶妙だった。

「おぞましい……」という言葉でギリギリの“寸止め”

 9月10日に放送された「虎に翼」は暗がりの部屋で横たわった男性の遺体の前で泣き崩れている女性のシーンで始まる。

「東京のとある家庭で起こっていた口にすることもはばかられる、おぞましい事件……」

 というナレーションの後で、新聞記事が映し出される。見出しは〈父親をしめ殺す 娘の恋愛から喧嘩か〉。斧ヶ岳美位子(29)という顔写真も映る。

 この「父親殺し」の事件の被告人・美位子(石橋菜津美)の弁護を、山田よね(土居志央梨)、轟太一(戸塚純貴)が引き受けるという展開だ。

 美位子は尊属殺人罪で起訴された後に保釈され、2人の法律事務所に居候する。そこを訪れた寅子に、轟とよねが美位子について語る場面が以下のやりとりだ。

(よね)「どうせ知ることになる。新聞や雑紙の格好のネタになるのは時間の問題だ」

(轟)「美位子さんは父親からのおぞましい虐待に長年耐えてきた。母親が家を出てから何年も彼女は……。父親と……夫婦同然で暮らすことを余儀なくされ、2人も子どもを産まされた」「仕事先で恋人ができた美位子さんは相手と結婚しようとしたが、父親は怒り狂い、彼女を家に閉じ込め、暴力をふるい、そして……」

 顔色が変わった寅子と、首を振るよね。

 美位子への性虐待については、ナレーションも、よねも「おぞましい」と表現するにとどめた。直接的な単語もない。せいぜい「夫婦同然」「暴力」という言いかたで、後は視聴者の想像に委ねるような形に撤している。

 法律事務所は、かつて、よね自身が人の良いマスターに保護されたバーを、そのまま残している。壁には法の下の平等を定めた憲法14条の条文が手書きで掲げられてある。よねたちは寅子に「刑法200条の尊属殺人罪は憲法14条に違反している」と主張するつもりだと打ち明けた。刑法199条の一般の殺人罪を適用して、正当防衛、もしくは緊急避難で減刑を訴えるという。

「こんな理不尽が許されてたまるか……」とつぶやくよね。憲法判断になるとすれば、決着をつけるのは最高裁になる。

ドキュメンタリーで描かれた「実の父親による性虐待の被害女性の“心の傷”の複雑さ」

「性虐待」をテレビはどう扱ってきたか。「虎に翼」はドラマだが、ドキュメンタリーになると、実の父親による娘への蛮行を描いた「がらくた〜性虐待、信じてくれますか〜」がある。2020年に中京テレビが制作した。

 当時、「#MeToo」運動の機運が高まるなか、幼少期からたびたび父から性虐待を受けてきた女性・なみさん(仮名)が、声を上げる様子を密着取材した作品だ。なみさんは、性被害者らの集会などに参加すると過呼吸発作に見舞われるなど、数々の「心の傷」に今も苦しめられている。

 番組では、ネットを通じて接触した男性に、着用していた下着を公衆トイレで売り渡すなみさんの様子も映されている。ときおり、ホテルにその類の女性マッサージ師を呼び、満たされようとしているというエピソードもあった。そうした行動は「父親から暴力で奪われてきた自分の体験を“上書きする”行為」なのだと、なみさんは説明する。

 被害者のこうした「心の傷」をテレビで初めて報道したとして、「がらくた」は2020年の日本民間放送連盟賞のテレビ部門のグランプリ作品に選ばれた。さらに、2021年には日本メディア学会が制作者らを招き、ワークショップを開催した。その席では、性暴力被害者を長年にわたって取材してきた元朝日新聞のジャーナリスト・河原理子さんが次のように評価した。

「『がらくた』で映し出されるなみさんの様子は、性暴力被害者のありようとして『腑に落ちる』ものであり、状況が映像で表現されることで文章だけでは表現しがたいリアリティがもたらされている」

「がらくた」では、娘の被害を知っていたのか知らずなのか、なみさんの母親が、彼女の言葉を信用しようとはせず、むしろ夫側につこうとする姿勢を見せていたことが印象的だった。ワークショップでは母親も、DV被害者である可能性などが議論になった。これは「虎に翼」の描きかたに重なる。美位子の母親も同じように自信なさげで、娘を助けてほしいと弁護士たちに頭を下げるだけの弱々しい存在だった。

 性暴力がもたらす「心の傷」の深刻さは、現在でも広く知られているとは言い難いし、どんな「傷」なのか、という点も共有されていない。むしろ「被害者らしさ」のステレオタイプを押し付ける傾向も根強い。それどころか、被害者に対し、「ふしだらだ」とか「うそつき」などと、攻撃する者までも現れる。そうした現状において、朝ドラという万人が見るメディアで「性虐待」を扱うことは、大変な勇気と苦労があったことだろうと想像する。

 2023年のジャニーズ性加害問題でも、故ジャニー喜多川氏の行為による「心の傷」を引きずって、うつ、自殺願望、不眠に苦しめられている被害者たちの証言が報じられていた。「当時のジャニー氏と同じような年齢の男性を見ると、フラッシュバックし、胸が苦しくなって動けなくなる」と、数十年も経った現在も、後遺症に苦しみ続けている方もいた。

「性処理」という表現

 そして9月17日に放送された「虎に翼」である。美位子をめぐる裁判は、一審では尊属殺人罪は憲法違反とされ、過剰防衛が認められて刑は免除になった。しかし二審では、逆転敗訴で尊属殺人罪が適用されて実刑判決。結局、最高裁に上告されて判断を委ねることになった。

 最高裁の調査官として、寅子の夫・星航一が、美位子の代理人である轟とよねの事務所を訪ねる。以下は、本人が不在のところで星が2人に美位子の境遇を聞き取る場面だ。

(よね)「美位子は幼い頃から暴力を受けていました。母親は10代の彼女を置いて逃げだした。母親がそれまで受けていた仕打ちを彼女はすべてを引き受けることになった。家事に……、暴力に……」

 よねは視線を落とす。そして口にする。

「性処理も……」

 このドラマで初めて登場した「性」という言葉。 よねがこの後で語った言葉は、作者が伝えたかった言葉に違いない。

「暴力は思考を停止させる。抵抗する気力を奪い、死なないためにすべてを受け入れて耐えるようになる。彼女には頼れる人間も、隠れる場所もなかった」

「父親の子を身ごもり、2人の子どもが生まれた。いくども流産を経験した。職場で恋人ができ、やっと逃げだすすべを得たのに父親は怒り、彼女を監禁した。『恋人にすべてを暴露する』と脅され、追いつめられた彼女は、さらに激しくなる暴力に命の危機を感じて、酒に酔って眠る父親を絞め殺した。恋人は真実を知って早々にあいつから離れていった」

 よねは続ける。

「おぞましく、人の所業とは思えない事件だが、けっして珍しい話じゃない。ありふれた悲劇だ。あいつは今でも男の大声に身体がすくむ。部屋を暗くして眠れない。金ができたらその大半を、自分を捨てた母親に送る。無理やり産まされた実の子を世話してもらうために……。私は救いようのない世の中を少しだけでもましにしたい。だから心を痛める暇はない。それだけです」

よね自身も抱えていた心の傷

 つづく9月19日の放送では、裁判が終わった後も法律事務所に引き続き居たいと以前語っていた美位子に、よねが面と向かって厳しい言葉を投げかける場面があった。

 よねは「美位子、お前がここに居たいなら、最高裁への上告が棄却されても居ればいい」と告げるが、その後で美位子の本心を見透かしたような言葉を続ける。

「ただそれが……私たちの下に来る依頼人の話を盗み聞きするためなら、やめろ。人を見て安堵したり、自分の身に起きたことと比較したりするのは、やめろ」

 驚いて目を見開く美位子。何も語らないがよねの言葉が図星だったことが伝わってくる。よねの語りはだんだん独白のようになっていく。

「何か抱えているやつは、どっかしら生きるために無理してる。どうってことないふりをしてごまかさないと、やっていけないことがある。私は……たった一度でも、あの夜のことが耐えられなくなりそうになる時があった」

 よねには仲がいい姉がいた。実家は貧農で姉は身売りされて女郎として東京の置屋で客をとっていた。よねは姉のようになりたくないと身売りされる直前に実家を逃げて髪も切って男装してバーで働くようになった過去がある。姉が稼いだ金は置屋に取り上げられたままだったが、中年の弁護士が取り戻してくれたことがあった。その回想シーンが流れる。

 その弁護士が「困ったことがあったらまたいつでも……」と下品な笑みを浮かべて顔をよねに近づける。何が対価になったのかははっきりとは明かされてこなかった。

 それが今回の「たった一度でも」という言葉で、この時によねが代償を払っていたことがはっきりとした。

 同意のない行為、その心の傷が、よねをずっと苦しめてきたからこそ、美位子の気持ちも手に取るようにわかったのだろう。確かに美位子は、相談に来る人々と自分を比較して、内心で安堵していたのかもしれない。

 よねと下品な弁護士の場面が放送されたのは4月中旬だ。その真実を9月中旬になって伏線回収する。つくづくよく計算された脚本で、執筆した吉田恵里香の腕は見事だ。

 よねの、

「お前の身に起きたことは腸が煮えくり返るほどクソだ。クソが詰まっている。でもそれは、お前の父親が、この世界が、法律が、どうしようもなくクソなだけだ。お前がかわいそうなわけでも、不幸で弱いわけでもけっしてない」

 という言葉を聞いて美位子も涙ぐむ。わかってもらえるという安心の涙だ。

 最終週では、司法を守る番人としての裁判官の理想を抱きつつも、政治などの外圧から裁判所を守ろうとする最高裁長官・桂場等一郎(松山ケンイチ)と寅子との応酬も見どころだ。美位子の裁判を、桂場はどう裁くのか。理想と現実ははたして折り合いをつけられるのか。最後まで目が離せない。

水島宏明/ジャーナリスト・上智大学文学部新聞学科教授

デイリー新潮編集部