源氏物語イチの「不美人」な登場人物…彼女の「思いがけない姿」をご存知ですか?

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「源氏物語」は今から100年前、イギリスの東洋学者であるアーサー・ウェイリーによって英訳され、それをきっかけに世界で読まれるようになりました。ウェイリー版「源氏物語」は、今月のNHK-Eテレ「100分de名著」でも紹介され、注目が集まっています。

毬矢まりえさん、森山恵さんの姉妹は、このウェイリー版「源氏物語」を、あらためて現代日本語に訳し直してきました。そして、翻訳の過程でさまざまな発見をします。そうした発見を描いたのが『レディ・ムラサキのティーパーティ らせん訳「源氏物語」』です。

光源氏の恋人たちの中でも、不美人の代表として描かれる女性「末摘花(すえつむはな)」。でも、彼女を現代の目からみると、全く違う姿がみえてくる……そんな驚きの発見を、本書から抜粋・編集してお届けします。

ロンリー・プリンセス「末摘花」

末摘花(すえつむはな)とはどのような人物なのか。今回は彼女の姿を探りたい。

さて、ご存知のように彼女は姫君である。父はエンペラーの一族である常陸宮(ひたちのみや)。世が世なら、末摘花もお姫さまとして人びとにかしずかれ、なんの不自由もなく暮らしていたであろう。しかし早くに父を亡くし、零落が語られる。見捨てられた邸で一人寂しく、琴/シターンだけを心の友として生きているという。そんな「深窓の令嬢」の噂を耳にしたゲンジは、俄然興味を引かれ、想像力を搔き立てられる。親友トウノチュウジョウたちとの「雨夜の品定め/レイニーナイツ・カンバセーション」(「帚木(ははきぎ)」帖)を覚えているだろうか。

蔓草(つるくさ)に覆われた門構えがあって、その奥、よもや家があるなどと思われないようなところ……。そこに思いも寄らぬ美女がひとり幽閉されている……。そんな人を見つけたらどんなに心が躍ることか!

彼女は決して、彼らが話題に上らせた「中の品(しな)」などではなく、たいへん高貴な身分のひと。けれど音に聞く末摘花は「蔓草に覆われた門構えがあって……」の条件に適う。思いを募らせたゲンジはある夜、馴染みの侍女の手引きで忍んでゆく。そこへしめやかなシターンの調べが響いてきて……。

ついに思いは遂げたものの、ある朝ゲンジは彼女の容貌を見て驚愕する。少々長いが拙訳で引用したい。

ああ、それにしても、なんという馬鹿げた間違いを犯したのだろう。この姫君がとにかく背丈がとても高いのは座高でわかります。これほど胴長の女性がこの世にいるとは。やにわに、最大の欠点に目が引きつけられました。

鼻です。鼻から目が離せません。まさにサマンタバドラ(普賢菩薩)さまの白象の鼻! 驚くほど長く目立つうえに、(なんとも不思議なことに)少し下向き加減に垂れたその鼻先はピンク色で、雪の白さも霞むほどの色白な肌と、奇妙なコントラストを成しています。額が並外れて迫り上がっていて、顔全体は(俯いているので一部隠れていますが)とてつもなく長いようです。たいそう痩せて骨ばり、とりわけ肩の骨が痛ましくドレスの下で突き出ています。(……)あまりに奇っ怪な姿に、どうにも目が釘付けになってしまいます。

ゲンジが思い描いていた─というより勝手に妄想を膨らませていた幻の美女像から、遠くかけ離れていたのである。筭本邦雄は『源氏五十四帖題詠』で末摘花を描いて、「愕然とするやうな醜婦であつた」としている。しかし、もう一度紫式部の描いた末摘花の描写を冷静に読み直してほしい。ウェイリーの英語は誇張しているのだろうか。古典原典でも確かめてみたい。

まづ居丈(ゐだけ)の高く、を背長に見え給ふに、さればよ、と胸つぶれぬ。うちつぎて、あなかたはと見ゆるものは鼻なりけり。ふと目ぞとまる。普賢菩薩(ふげんぼさつ)の乗物とおぼゆ。あさましう高うのびらかに、先の方(かた)少し垂りて色づきたる事、ことのほかにうたてあり。色は雪はづかしく白うてさをに、額つきこよなうはれたるに、なほ下(しも)がちなる面やうは、大方おどろおどろしう長きなるべし。痩せたまへる事、いとほしげにさらぼひて、肩のほどなどは痛げなるまで、衣(きぬ)の上まで見ゆ。

ウェイリーの訳文は少々長くなっているが、かなり正確に思われる。

失われたる王国、渤海国

ところで、渤海国(ぼっかいこく)という「忘れられた謎の国」をご存知だろうか。上田雄『渤海国の謎』によれば、八世紀から十世紀初頭に掛けて存在した広大な国。「新羅の北、唐の東の茫漠たる丘陵状の準平原地帯に位置し、その北辺、東涯はシベリアから沿海州(えんかいしゅう)にまで」至ったという。現代の地図を重ねてみれば中国東北部、ロシア沿岸から、アムール河、黒龍江沿いに内陸へ、朝鮮半島北部の方にまで広がって版図は広大である。古代東アジアの一大国家であったのだ。日本との関係も深く、奈良時代から平安時代にかけてのおよそ二百年のあいだに、三十回以上も渤海使が日本に派遣されており、日本側からも使者が送られている。

その使者の一人が『源氏物語』第一帖「桐壺」に登場する「高麗人(こまうど)」とされる。

この高麗人は優れた占い師/フォーチュン・テラーでもあったので、幼いゲンジの人相を占う。すると高麗人は「国の祖(おや)と成りて、帝王の上(かみ)なき位(くらゐ)に上(のぼ)るべき相(さう)おはします人」、つまりゲンジには王となるべき相が現れている、と驚嘆するのである。しかしこれに続けて、もし実際に王の地位に就けば国は乱れ、憂慮すべき事態になるであろう、と告げる。この予言がどのように現れるかを、わたしたち読者は五十四帖(光源氏の物語としては、そのうち四十一帖)を通して目撃することになる。

渤海国は、高句麗人(こうくりじん)と靺鞨人(まっかつじん)で構成されていたという。靺鞨人とは少数民族を一括りにした呼称で、これには多民族が含まれる。どうやらこの地域に暮らしたツングース系の民族であるらしい。平和な文化国家であり、「海東の盛国」とも呼ばれた。

渤海国からの使者は、貂(てん)、虎、ヒグマなど、多くの毛皮を日本にもたらした。到来の毛皮類は日本では貴重で、貴族にとっては富の象徴となっていた。『竹取物語』でかぐや姫が出す難題のひとつが「火鼠(ひねずみ)の皮裘(かわごろも)」であったことからも、それが窺えるだろう。またこんな逸話もある。第三十四回渤海使が貂の裘衣を身につけて到着したところ、梅雨時の蒸し暑いさなかというのに、日本側の重明(しげあき)親王は黒貂の裘衣八枚を重ねて迎え、使者らを驚かせたという。やはり富や偉容を誇示する品だったのだ。

さて『源氏物語』の読者は覚えているだろう。物語でただ一人、この黒貂を身に付けて登場するひとを。

聴(ゆる)し色のわりなう上白(うはじろ)みたる一襲(ひとかさね)、なごりなう黒き袿(うちき)重ねて、表着(うはぎ)には黒貂(ふるき)の皮衣(かはぎぬ)、いときよらにかうばしきを着給へり。古体(こたい)のゆゑづきたる御装束(そうぞく)なれど、なほ若(わか)やかなる女の御よそひには似げなうおどろおどろしき事、いともてはやされたり。されど、げにこの皮(かは)なうてはた、寒からましと見ゆる御顔ざまなるを、心ぐるしと見給ふ。

むろん末摘花である。この「黒貂」のくだりを、拙訳書からも引用させて頂きたい。

恐ろしく色褪(いろあ)せたインペリアル・パープル色の紐編みベスト(ボディス)の上から、かつては紫色だったものの長い歳月の果て、いまやすっかり黒ずんだガウンを羽織っています。黒貂(セーブル)の毛皮マントには香が濃く薫(た)き染(し)められていました。このマントなどの衣装は、幾世代も前にはお洒落だったのでしょうが、姫君のような比較的若い方がいまも身につけているとは、ゲンジにはまったくもって驚きでした。

ルビが見にくいかもしれないが、「黒貂」にはセーブルと振ってある。なんと「黒貂(ふるき)の皮衣」はセーブルのマントなのである。セーブル、それもロシアン・セーブルといえば、現在のわたしたちの毛皮製品に対する考え方が激変したとはいえ、超高級品だ。セーブル/黒貂(くろてん)は、ヨーロッパでも古くからアーミン/白貂と並び、毛皮の王様と称された。末摘花が寒さにぶるぶる震えてくるまっていたのは、みすぼらしい衣かと思いきや、渤海国から渡来したであろう(いまで言う)ロシアン・セーブルだったのである。

しかし『源氏物語』の時代には渤海国はすでに滅亡し、当然使者の往来も途絶えている。それとともに毛皮ファッションも廃れ、「幾世代も前にはお洒落だったのでしょうが」という事態だったのだろう。河添房江『光源氏が愛した王朝ブランド品』によれば、末摘花が身につけていたのはおそらく亡き父常陸宮の遺品。この常陸宮は、先述の黒貂八枚重ねの重明親王がモデルとの説もある。

鼻、末摘ハナ

さて、先に引用した末摘花の容貌の描写に戻りたい。

まず「居丈」が高い、とある。座っていてもわかるほど背が高い。またスタイルについていえば、骨が突き出るほど痩せているという。背が高く痩せている(これは醜い姿だろうか?)。次いで肌は雪も恥じ入るほどの白さであり、「額つきこよなうはれたるに」とあるから、おでこが「晴れ晴れと広い」のである。「おどろおどろしう長きなるべし」という長い顔は、「べし」と推量形になっていて、ふつうよりは面長やも知れないものの、ゲンジの想像に過ぎない。実際のところ、うつむき加減の彼女の顔は半ば扇に隠れ、よく見えないはずである。ここまでの記述から測れば、末摘花は面長で額が広く、たいへんな色白。ほっそりと背が高い女性、ということになるだろう。

そしていよいよ末摘花の代名詞ともいうべき鼻である。ゲンジは、彼女の鼻が普賢菩薩の乗る白象のように長いと誇張表現し、しかも鼻先が赤い、と追い討ちをかける(そしてあろうことか、自分の鼻先に紅を塗って、幼い紫の上/ムラサキと戯れるなどという不埒なことまでしている)。でも……、とわたしたちは考える。底冷えのする雪の朝である。荒廃した邸には冷たい隙間風も吹き込む。末摘花は震えている。寒さで鼻くらい赤くならないだろうか。色白だから、余計にそれが目立つのだ。なにも一年中、四六時中、常に鼻が真っ赤、というわけではないのでは……? 「高うのびらかに」というのも、鼻梁の高い通った鼻筋を思わせる。

そうであれば、これはいわゆる「西洋人」の容貌に近いのではないか。もしかしたら末摘花には渤海人の血でも混ざっていたのではないか。ウェイリーの英訳で読んでいると、まったく違った相貌が浮かんでくる。

2016年10月13日(le 13 octobre 2016) まりえ

末摘花かわいそう……と思っていたけど、あなたの末摘花外国人説、おもしろ    い! たしかに抜けるように色が白くて、背が恐ろしく高くて、髪も長くて綺麗なの よね? 鼻も長いというより高いともいえる。で、寒いから先が赤くなってる。そしておでこが広いのよね? たしかにこれは渡来人か、白人か、Caucasianの血が混ざった系統では? いまでいえば「美女」なのかも。末摘花、ロシアン美女説。

10月15日(October 15th) 恵

おもしろいでしょ。そう、ロシアまでいかなくてもトルファンとかウルムチとか、北方の血が混ざった中央アジアとか。東大寺の大仏開眼のときに、ペルシア人も来たという説もあるんでしょう? シルクロードを伝って。だからいまのウズベキスタン、トルクメニスタン(だった?)もあり得る(Caucasianってコーカサスよね?)。そうなると末摘花の色白や背の高さ、骨格の違い等々も説明がつく。暗くてわからなかったけれど、実は瞳が青かったり、榛色だったりしたかも?

『源氏物語』で異形をもって著される末摘花は、北方系ではないのか。そうであればロシアン・セーブルという「記号」も、彼女にいっそう似つかわしい。

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