差別と闘った野球界の偉人 大谷翔平にも重なる意志…50年先の未来を想像させたアトランタの客席
アトランタの客席に多くいた背番号「44」と「17」
米大リーグ・ドジャースの大谷翔平投手は16日(日本時間17日)、敵地アトランタのトゥルイスト・パークで行われたブレーブス戦で4打数無安打ながら2打点を積み上げ、9-0の2連勝に貢献した。相手は通算755発の伝説的スラッガーが多大な功績を残した球団。客席にはプロ選手としての価値を感じさせる光景が広がっていた。
◇ ◇ ◇
客席を歩くと、2つの背番号が目立った。1つはブレーブスの「44」。ハンク・アーロンだ。往年のファンだけでなく、カップルやグラブを持った少年まで。引退から48年が経っても、アトランタの人にとって大切な永久欠番のようだ。
トゥルイスト・パークには本塁後方の客席下に球団レジェンドたちを称えるミュージアムがある。通算755本塁打などのまばゆい功績とともに黒人差別と闘ったアーロンの半生が紹介されていた。理不尽な罵倒に拍車をかけたのが、ベーブ・ルースの存在だったという。
1973年、当時歴代最多だった714本塁打のルースにあと1本に迫り、シーズンが終了。オフは記録更新を望まない白人至上主義のファンから多数の脅迫状を受け取った。憎悪を含む声にも負けず、1974年4月に記録更新。左中間への大飛球が熱狂を生み、ベースを回る時には侮辱的目線も覆っていたそうだ。
50年が経った今、同じくルースと比較され続けてきた男がいる。大谷翔平だ。今回のブレーブス4連戦は本塁打こそなかったものの、計4打点の活躍で2連勝に貢献。敵地にもかかわらず、客席には老若男女の背番号17が押し寄せた。サインを求める応援ボードは一つや二つではない。ユニホームの数はプロ選手の価値を示すものだ。
柱に残されたアーロンの名言「最も本塁打を放ったのは素晴らしいが…」
ミュージアムの中央にはアーロンの大きな銅像があり、柱の側面には彼のこんな名言が残されていた。
「私の考えでは、最も多くのホームランを打った男であることは素晴らしいことだが、打ったホームランを最大限に活用した男であることはもっと素晴らしいことだ」
ルースの記録を超えたのち、栄光にすがることなく引退後も財団を設立。差別撤廃や野球の普及に尽力した。
唯一無二の存在から「ユニコーン」と称された二刀流は昨季、最も優れた打者に贈られる「ハンク・アーロン賞」を日本人初受賞。7億ドル(1014億円=当時)の契約を手にし、母国の小学校2万校にグラブを寄贈した。チームの勝利を猛然と追い求める今、「50本塁打&50盗塁」を達成しようとしている。
客席のブレーブスファンは教えてくれた。「アーロンは『一生懸命、戦うとは何たるか』を見せてくれたのさ。意志の強さだよ」。50年後の野球場にも背番号17がたくさんいるのだろうか。そんな想像が勝手に膨らんでいく。
(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)