《昭和のスター・勝新太郎》「その表情だ、忘れるな」「全部の席にドンペリを入れろ」…甥が明かす「豪快過ぎる伝説」

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「俺の代わりはいない」

大統領や総理大臣には代わりがいるだろうが、俺の代わりはいないんだ――。

かつて自身をそう表現した役者がいる。俳優・勝新太郎だ。

前編記事『「日本刀で斬られそうに…」「ガラス製の灰皿が飛んでくることも」息子が語る《昭和の名優・若山富三郎》の素顔』につづき甥が見た昭和の豪傑・勝新太郎の伝説の数々、そして妻・中村玉緒の逸話と近況を紹介する。

昭和の映画史を語る上でも勝の存在は欠かせない。そこには芝居はもちろんのこと、豪傑と呼ばれた私生活も含まれる。勝新太郎とは一体どんな男だったのか。勝の兄である若山富三郎の息子・若山騎一郎(59)が唯一無二とされる勝新の素顔を明かす。

勝との出会いは初対面から強烈だった。

「初めて勝おじちゃんと会ったのは父方の祖母が亡くなってしばらくしてからだったと思います。供養があるというので孫の私も出席しました。その場には父もいて、おじちゃんは『兄ちゃん、兄ちゃん』と人なつっこく話しかけていました」

当時、すでに富三郎、勝新ともに銀幕のスターとして活躍。兄弟2人が集まることすら事件だった。

「勝おじちゃんは父に向って『兄ちゃんの車、2シーターだろ。ドライブに行くからあれ貸してくれよ。兄貴の運転は遅いからなぁ』とじゃれるように話しかけていました。一方の親父は『俺は車の運転、早いぞ』と冷静に言い返す。私はと言えば、初めておじちゃんを見て『うわぁ、本物の勝新太郎だ』と心の中で何度も驚きの声をあげていました。」

スターの登場に目を見開く甥に対して勝新はこう問いかけたという。

食事の場は「独壇場」

「勝おじちゃんから『お前、今日おじちゃんと会ってどう思った?』と聞かれて、私も『本当すごいです…』と本心のまま声に出しました。するとおじちゃんは私の顔を指して『おお、それだ。それが何年かぶりに会う叔父に会う甥の表情だ。忘れるな』と言って、確認できるように鏡まで向けてきました。驚きの連続とはこのことですよね。

でもその時のおじちゃんは茶目っ気だっぷりで、私を見て『親がいなくても子は育つって言うけど本当だなぁ』とわざと親父に聞こえるような声で言う。父が顔を下に向けると、勝おじちゃんは歯を見せて笑っていました」

食事の席でも勝新の独壇場となる。

「勝おじちゃんから『おい、この場にいる全員にビールを入れてこい』と指示され、言われるがまま『どうぞ、どうぞ』と順番に酒を注いで回りました。席に戻ると『何やってんだ、お前』と呆れられました。

今度はおじちゃんがお客さんの注ぐんですが、最初の人には『おい、元気そうじゃねぇか。何かあったのかい』、2人目には『今日調子良さそうじゃねぇか。ほれ、グッといけ、グッと』と十人十色の声かけをして、会話を広げていく。おじちゃんからはそういう所作を学びました」

こと酒席に関しては人間・勝新太郎を体現する逸話ばかり。毎晩のように飲み歩き、関係者のみならず店で出会った人たちのお代まで勘定。1日の散財は数百万にのぼっていたという。

「全部の席にドンペリ」

「ある時、勝おじちゃんが馴染の六本木のクラブで飲んでいたことがありました。居合わせたお客さんたちはビックリして、店内は『勝さん、勝さん!』と大騒ぎ。おじちゃんも嬉しくなって『全部の席にドンペリを1本入れろ』なんて言う。その時は店側が機転を利かして各席にドンペリをグラス1杯だけ入れて回っていました。それを知った勝おじちゃんはスタッフに『お前!……頭良いな』と返してたのが印象的です。

おじちゃんのすごいところは飲む店を選ばないことです。どんなにスターになっても赤ちょうちんのある居酒屋でも平気で飲んじゃう。銀座の高級店で飲む時は安いキャバクラのように飲んで、庶民的な居酒屋では高級店で食事するようにキレイに振舞う。それが勝新太郎なんです」

富三郎という厳しい父の元で学んだ騎一郎にとって、勝新の存在は心の拠り所だったという。

「親父の指導を知っていたからか、父親のように優しく接してくれました。勝おじちゃんは自分の舞台に呼んでくれて『最初は上手だけ見てろ。2回目は中央、3回目は下手だけ。そうすれば誰がどんな芝居をしているのかが分かる』と丁寧に教えてくれましたね」

だが、92年に富三郎氏が亡くなり、騎一郎が若山性を襲名すると勝新の態度は一変する。

もう一人の「天才役者」

「おじちゃんからは『これからお前は兄貴の名前を名乗る。それは兄貴を背負うことだ』と言われました。そこから父のようにニコニコしていた勝おじちゃんが今度は若山富三郎になった。手は出さなかったものの、親父と同じく鬼の表情で芝居のいろはについて叩き込まれました。奥さんである玉緒おばちゃんだけは変わらずに優しく接してくれました」

勝新と玉緒が結婚したのは1962年。当時は「東の勝」と「西の玉緒」の2人の天才役者のゴールインと注目を浴びた。騎一郎が振り返る。

「玉緒おばちゃんは舞台袖でもギリギリまで『昨日のパチンコがこれだけ当たった』なんてことを喋り続けているんです。で、実際に出番が来ると数秒で泣きの表情になって『うぅ…』と客前に出ていく。勝おじちゃんも天才ですが、おばちゃんも負けず劣らず天才役者です」

持ち前の陽気なキャラクターでバラエティ番組にも引っ張りダコだった玉緒さん。テレビから離れた現在も独身生活を謳歌しているという。

勝新から教わったら「言ってはいけない言葉」

「今、玉緒おばちゃんは施設に入っていますが、中では相変わらず楽しそうに過ごしてますよ。あのお喋りと笑顔は健在です」

父・若山富三郎、叔父・勝新太郎、叔母・中村玉緒とまさに芸能一家に育った騎一郎が挑むのが9月11日から東京・渋谷伝承ホールで行われる演舞集団UTARIの舞台「時は今、天が下しる 桔梗かな」だ。

明智光秀の人生を巡る同作で騎一郎は明智の有力家臣である斎藤利三を演じる。舞台復帰は2013年に覚せい剤取締法違反で逮捕されて以来、実に9年ぶりの出来事だ。

「あの時のことは今でも『なんてことをしてしまったんだろう』と後悔する日々です。今は毎日、寝る間も惜しんで稽古を続けています。父や勝おじちゃんにも恥じない作品になっています。楽しみにしていてください」

最後に騎一郎は若山富三郎、勝新太郎という稀代の兄弟役者についてこう語った。

「生前、勝おじちゃんから役者として絶対に言ってはいけないセリフを教わりました。それは先輩に誘われた際は『セリフがまだ入ってないので今日は帰ります』という言葉。おじちゃんいわく『直前にセリフ覚えはせず、事前にすべて準備しておく』というのが真の俳優だ、と。でもそれは周囲が合わせるようなおじちゃんの芝居だからできること。私や父はそういうタイプじゃないですから、コツコツとしっかりやっていきます(笑)」

大統領や総理大臣には代わりがいるだろうが、俺の代わりはいないんだ――。

その言葉は今も我々の心のなかで生き続けている。

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