歴史的株高の「バブル化」2つのポイント…繰り返される謎のバズワードには気をつけろ

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 バブル期の狂騒から34年余り。長い低迷期を経て、日経平均株価が初めて4万円を突破するなど、ついに史上最高値を更新した。それでも、日経新聞の上級論説委員兼編集委員である小平龍四郎氏は「バブルはまだ発生していない」と語る。では、一体どんな要素が加わればそう断言できるのだろうか――。

「バブルの芽」が育つのはどんな条件下なのか

 日経平均株価が4万円台に乗せた頃から「バブルではないのか」と質問されることが増えた。そこで筆者は、みんかぶマガジンの前回コラム「株高でもバブルは崩壊しようがない。なぜならこれはバブルではないから」(3月8日)で以下のように指摘した。

 インサイダー取引規制さえ整備されていなかった1980年代の株式相場は現代の常識では無法地帯に近く、様々な制度が整った現在は比べようもないほど透明度が高い。従って、業績との対比で株価が急速に買われすぎた状態にある「過熱」はあっても、デタラメで犯罪の匂いすらする「バブル」はまだ発生していない、と。

 最近の日経平均は米国のインフレや半導体関連の軟調を受け、一進一退をくり返すようになった。これも過熱気味だった相場の「調整」であって、バブルの「崩壊」とは異なる。この認識は今も揺らいでいない。

 では、過熱気味の相場にバブルの芽が育つのは、どんな時だろう。その兆候はどうやったら見分けられるのだろう。今回はそれを考えてみたい。

80年代後半のバブル期に飛び交った「ウォーターフロント」

 あくまで筆者の個人的な体験に基づくと、相場の過熱がバブルに変わる時には2つのサインがあるように思う。

 ひとつは、キーワードが集中豪雨的に使われる時だ。

 1980年代後半の日本のバブル期のよく使われた言葉の1つに「ウォーターフロント」がある。企業が東京湾岸に保有する広大な敷地のことで、その再開発が進むことにより日本企業が大変身を遂げるとはやされた。

 この言葉が初めて日経新聞に登場したのは1983年4月18日のこと。「都市再開発〝水辺〟が課題、老朽化した港湾や臨海工業地帯50地点――開銀調査」という見出しの記事が朝刊3面に掲載されている。

「老朽化した港湾、臨海工業地帯などウォーターフロント(水辺)が都市再開発の重要地点になろうとしている。東京、横浜、神戸など各地で生産・流通拠点だった地域を都市空間として再生しようとする計画が動き始めているが、日本開発銀行の調査によると、こうした再生可能地域は全国で約50地点、総面積は東京・山手線の内側とほぼ同じ5000ヘクタールに及ぶ」

「長距離フェリーの就航や船の大型化などによって、これまでの岸壁、荷さばき場などでは水深、用地などの制約から流通基地としての役割を果たせなくなってきた埠頭(ふとう)が増えている。この場合、別の場所に大型船寄港に耐えられるような新埠頭を建設する例が多いが、その結果、在来の埠頭は流通基地としての機能を失い遊休地になりそうだ」

「ウォーターフロント」年度別登場回数を調べてみると相場が見えてくる

 企業は常に時代の変化に応じて、資産の再活用に迫られる。記事の指摘そのものはごく合理的なものであり、特段の目新しさはない。現代の記事だと言われれば、そんなものかなとも思ってしまう内容だ。

 ところが、バブル期は違った。この記事の2年後、1985年のプラザ合意で為替相場が劇的に変貌し、急激な円高・ドル安が進んだ。一時は円高不況に苦しんだ日本企業は合理化や海外生産などで難局を乗り切り、おおいに自信をつけた。この成功体験が「保有資産の再活用と日本企業の変身」というストーリーに信憑性を持たせ、日本企業の株式を熱狂的に買い上げる材料となった。

 かつて日経新聞には「見聞」と「往来」というコーナーがあった。主に前場取引の株式市場の様子を記すのが夕刊の「見聞」、一日の取引を概観するのが朝刊の「往来」だ。過去記事を丹念に読むと、時々の相場の状態が分かり興味深い。

 この「見聞」と「往来」に「ウォーターフロント」という言葉が集中豪雨的に登場するようになったのが、1988年のことだ。

 日経テレコンで検索してみると、1987年には6件しか登場しなかったが、88年は85件、89年が6件、90年が2件である。さらに、往事を忍ぶ記事が2001年にも掲載されている。88年当時、株式相場で「ウォーターフロント」はどのように語られていたのか。

証券会社投資家をクルーズ船に乗せて“ウォーターフロント接待”

「大型株物色は石川島、菱油化、小野田などにも広がった。ウォーターフロント(水際)開発関連とかそれなりの材料はあるが、『外国人や機関投資家を誘い出すには、このあたりの銘柄を取り上げざるを得ない』(大手証券)という市場のコンセンサスができつつある」(1988年3月2日)

「ウォーターフロント関連銘柄が総じてしっかり。代表格の石川島が1000円台を回復したのをはじめ藤倉、小野田なども上げた」(1988年7月27日)

「三井造がこの日一番の商いを集め、上場来高値を更新した。市場では千葉事業所の含みをはやしている。この日は三井造の上げをきっかけにウォーターフロント関連ということで、菱製鋼や住金などにも買いの手が伸びていた」(1988年12月14日)

 「ウォーターフロント」という不動産開発の用語が相場のテーマとして定着し、くり返し使われることによって、存在感が確立されていった。この頃になると、証券会社投資家をクルーズ船に乗せて東京湾を周遊し、そこから見えた土地の保有企業を根こそぎかっていくといった荒っぽい営業手法も伝え聞かれるようになる。

「Qレシオ」というワードも頻出

 兜町の書店では「東京湾ウォーターフロント」(人文社)という地図が飛ぶように売れた。湾岸の倉庫などの地図に会社名が書いてあるため、どの企業がウォーターフロント関連なのか一目瞭然になるという代物だったらしい。

 これだけ「ウォーターフロント」という言葉が頻繁に使われ、人々の意識にすり込まれるようになると、理性に少々曇りが生じる。その結果、目の前のおかしな現象を正当化する理論がひねり出されるようになる。これが、株式相場の過熱がバブルに変わる時のもうひとつのサインだ。

 Qレシオ。昭和の時代を知るベテラン投資家であれば一度は耳にした言葉ではないか。 時価ベースの1株純資産に対する株価の倍率を示す指標だ。広めたのは、東京大学経の若杉敬明教授や証券会社の調査員、日本証券経済研究所の役員らで構成する「日本の株価水準研究グループ」だ。

 この組織が88年10月にまとめた「報告書」は、日本の株価は株価収益率(PER)のような世界共通の指標ではかなり割高だが、Qレシオを用いれば合理的な水準と考えられると指摘している。Qレシオで使われる時価ベース純資産に最も影響するのが保有する土地の含み益であり、それを企業が土地の再活用によって顕在化させることが前提になっていた。

「2つの点」が顕著になればバブルへと変質していく

 報告書の中心となる主張を引用しておく。

「リストラクチャリングの流れの中で新しいビジネスチャンスが増加してくると、地価に見合った収益性を実現する機会が当然増加してくる。また、豊富な経営資源を抱えた成熟産業では、土地の新しい利用を考えることに経営資源を配分できるようになる。」

「現在のような変革期においては、Qレシオの方が(PERに比べ)より有効な株式評価尺度であるということができよう。」

 ここにあるのは当時顕著だった土地の値上がりが永遠に続くという楽観論であり、先に記した「ウォーターフロント」をはやし立てる株式市場発の風潮に強く影響を受けている。こうした土地神話は金融当局の融資規制や金利の引き上げによって、あえなくついえた。地価が上がるどころか、むしろ下がり始めると、Qレシオ理論はもろくも崩れ、株価下落に歯止めがかからなくなったのは、ご存じのとおりである。

 そもそも、Qレシオ理論は国際的にはなんの普遍性もないものであり、日本の特殊性を考慮した現状追認の要素が強いものだ。こうした異常を説明するための理屈がひねり出されるようになると、株式相場はバブルの様相を強めてくる。

 おさらいしよう。①株式相場に特定のキーワードが突如くり返し使われるようになる②国際的、歴史的に定着していた理論が考案され、異常な株価のバリュエーションが正当化される。この2点が顕著になると、相場の「過熱」は「バブル」に変質する。注意してみておいてほしい。