宮沢賢治といえば、没後90年を迎えた今もなお多くのファンに愛される、岩手県花巻市が生んだ文豪のひとり。そんな賢治の代表作の数々を、擬人化した猫でコミカライズし続けているのが、漫画家のますむらひろしさんです。今年5月には、およそ40年前に漫画化を手がけた『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』『グスコーブドリの伝記』(ともに扶桑社刊)の3冊が文庫で復刻されました。猫たちが登場人物となり賢治の作品世界を演じる様子は、どこか懐かしくユーモラス。夏休みに子どもが名作文学に触れる入門編としてもぴったりです。

自身もこれまで30匹以上の猫と暮らし、現在も3匹を家族に迎えている愛猫家でもあるますむらさんに、なぜ賢治作品を猫で描き続けるのか、聞いてみました。

賢治の童話「猫の事務所」が創作の原点

――猫が登場人物の漫画をライフワークとして描き続けているますむらさん。もともと子どもの頃から猫はお好きだったんですか?

ますむら:子どもの頃から家で猫は飼っていたけれど、じつは好きというほどじゃなくて、むしろあまり興味がなかったんです。ただ、自分の中では猫といえば飼い猫じゃなくて野良猫というイメージがあって。同じ町には住んでいるけど、人間のつくった社会システムとはつかず離れず、勝手に生きている感じがいいなと漠然と思っていました。

――そんな猫が、ご自身の創作と結びついたのはなぜですか。

ますむら:転機になったのは、山形県米沢市から上京して、東京暮らしになじめずにいた20歳ぐらいの頃。テレビで水俣病の特集をやっていて、水銀で汚染された魚を猫に食わせて発病させる実験の映像を見て、人間の傲慢さにすごく怒りが湧いたんですよね。人間のつくり上げた文明の欺瞞(ぎまん)を考えるようになった。

ちょうど同じ頃、宮沢賢治の作品と出合ってその奥深さと不思議な世界にどんどんハマっていきました。作品から立ち上ってくる東北の空気に、同じルーツをもつ者として強烈にひかれたんでしょうね。そんな中、賢治の『猫の事務所』という童話に出てくるかま猫にシンパシーを抱いたんです。

――猫が主人公の賢治作品と、そこで出合うわけですか。

ますむら:事務所の先輩の三毛猫や虎猫から理不尽に虐げられるかま猫の悲しみが、東京になじめずに疎外感を味わっていた自分と重なった。さらにそこへ、水俣病の猫実験を見て感じた社会への怒りが重なったんだよね。それで、猫たちが人間を滅ぼしてしまおうと会議を開く『霧にむせぶ夜』という漫画を描いて、それがデビュー作になりました。

――なるほど、デビュー作ですでに「賢治」と「猫」という要素が、ますむらさんの中で繋がっていたんですね。

●「賢治は猫が嫌い」を鵜呑みにするべきじゃない

――では、『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』『グスコーブドリの伝記』の賢治シリーズを擬人化した猫で描こうというアイデアも、ますむらさんから?

ますむら:賢治の話を漫画化したいともちかけたのは僕だけれど、「それなら登場人物をぜんぶ猫で描いたら?」と提案したのは、じつは当時の担当編集者の直感だったんです。結果的には、その直感に従って正解でしたね。

もし人間のまま描いていたら、時間が経ったときにタッチや絵柄が古くさくなってしまって、こんなに読み継がれる作品にはならなかったと思う。猫で描いたことで、作品の普遍性がキープされたような気がします。

(1985年に)アニメ映画化されたのも、登場人物が猫というファンタジー要素のおかげで成立したし、ヒットしたんじゃないかな。ただ当時、賢治の研究家の中にはアニメ化に反対する人もいましたね。

――え、なぜ反対されたんですか?

ますむら:賢治の初期作品『猫』に「私は猫が大嫌ひです」という一節があって、それを根拠に「猫嫌いだった賢治の作品を猫で描くなんて冒涜だ」と言うんですよ。だけど、温厚なはずの賢治がわざわざ「私は猫が大嫌ひです」なんて書くのには、作家としてなにか理由や狙いがあると思うのが普通でしょう? 研究家が表層的にしか読み取らずに「賢治は猫嫌いだ」と断じたことにびっくりしました。

悔しいから自分で調べていくと、『猫』を書いた頃の賢治は、人造宝石商になりたいという夢を父に否定され、家業の質屋の店番をいやいややらされてノイローゼ状態だったらしい。だから、『猫』に出てくる年老いた猫は、その頃の自分と父を重ね合わせているんだと思ったわけ。

――賢治が本心から「猫が嫌いだ」と書いたのではないわけですね。

ますむら:『セロ弾きのゴーシュ』にも三毛猫がひどい扱いを受ける場面があるけれど、これも調べていくと、当時、賢治に好意を寄せていた女性が三毛猫に重ね合わされているんじゃないかと思えるふしがあるんですよ。

そもそも、『猫の事務所』でかま猫の悲しみに寄り添った賢治が、単なる猫嫌いとは思えない。ただの好き嫌いを超えた複雑な思いを猫に託している、と考えるのが自然です。そこまで考察するのが研究じゃないのかな。

――アニメ化に待ったをかけてきた研究家には、ますむらさん自身が説得を?

ますむら:説得というか、文句を言ってきた研究家のところへ行って説明しましたよ。自分の賢治体験の由来や、なぜ猫で漫画を書くようになったのか、賢治を読み解くとはこういうことなんだ、というのを自分なりにね。要するに「文句を言われる筋合いはない」ということだよね(笑)。

●「生き物は平等」という思想は賢治作品にも流れている

――賢治シリーズだけでなく、オリジナル作品の「アタゴオルシリーズ」でも、猫を人間のように生き生きと描かれていますが、描く上での工夫やこだわり、苦労されている点はありますか?

ますむら:猫を擬人化したときに難しいのは、座らせ方なんだよね。尻尾を後ろに持ち上げたまま座ったら、実際は痛いと思うんだ。だから本当は、尻尾を足と足の間に挟んで前に持ってきて座るのがいいと思うんですよ。でもそれを絵に描くと相当不自然でしょう?(笑)

体のバランスも、実際の猫はもっと胴が長くて脚は短いんだけど、絵にしたときはどうしても胴を詰めて描かないと気持ち悪い。そういうのは感覚で直してますね。

――賢治シリーズの登場人物はみんな、猫耳に合わせて耳のところがこんもり盛り上がった帽子をかぶっています。そういう設定のディテールもおもしろいですね。

ますむら:オリジナル作品の「アタゴオルシリーズ」では、帽子の耳のところが切ってあって耳がニュッと出てるんですよ。猫のかぶる帽子をそういうふうに描いた人はいないんじゃないかな。でも、それだと雨が降ったら水が入ってきちゃうから、機能的にはだめだよね(笑)。

――賢治作品を猫で描くことがますむらさんのライフワークとなり、これほど読み継がれてきたのはなぜだと思いますか。

ますむら:最初に賢治の世界を擬人化した猫で描いたときは、なにかとんでもない挑戦をした気になっていたけれど、江戸時代の浮世絵師・歌川国芳なんかは、擬人化した猫を山ほど描き残しているし、蛙や金魚を踊らせたりして自由自在。なんだ、国芳がとっくにやっていたじゃないか、と。

それに、もともと賢治の作品の中には、人間とほかの生き物を区別せず、生命体として同じじゃないかという発想が流れている。人間が特別上にいるんじゃなくて、人も猫もフィフティフィフティで平等なんだという感覚は、賢治の作品を読めば自然と納得できるんじゃないかな。

――賢治作品を猫で描くことは、結果的に賢治の描こうとした理念とも合致していたんですね。

●「なんとなくいる」という猫の心地よさ

――もともと猫は好きでも嫌いでもなかったというますむらさんが、やがてご自身でも多くの猫を家族に迎える愛猫家になったのはなぜでしょう。

ますむら:人がなにかをするとき、すべてにはっきりした理由があるわけじゃなくて、じつは「なんとなく」が重なっていることが多い。急にガツンときたわけじゃなくて、じわじわとだんだんかわいく思えてきたんです。猫の顔だって、冷静になってよく見るとけっこう怖いですよ(笑)。

――猫と一緒に暮らすようになって感じた、猫という生き物の魅力はどんなところですか?

ますむら:「猫というものは〜」みたいに一概には言えないよね。今うちには3匹いるけど、ひとり遊びが好きな子とそうじゃない子、自分で網戸を開けて庭に出ていっちゃう子とそうはしない子、本当にみんな一人ひとり個性が違う。

一緒にいればいるほど、「猫は〜」というふうにはくくれない。「この子はこうする」「あの子はしない」としか言えないですね。

――猫の気ままさに癒やされる、という人は多いようですが。

ますむら:たしかに、呼んでも来ないし、猫の「なんとなくいる」っていう感じは心地いいですね。今は猫を外飼いするのは危ないという時代だけど、うちは庭が広いからあちこちで勝手にコロコロしている。それを見ているといい景色だなと思うし、室内飼いで家の中に閉じこもっている猫を見ると、どうしてもちょっとかわいそうと思ってしまいます。

――現在は、『銀河鉄道の夜』の三度目の漫画化となる『銀河鉄道の夜・四次稿編』(風呂猫)を刊行中のますむらさん。今秋に最終第4巻が発売予定ですが、今後のご予定はありますか。

ますむら:7年半も描いていたから、しばらくなにも描く予定はありません。もともと僕は、のどかに暮らすのが好きな怠け者。好きなことだけをやれたらいいと思うタイプで、死ぬまで描こうとはあまり考えてなかった。今は庭いじりをしながら猫とゴロゴロして、夕方になったらもうお酒飲んで寝ちゃうという生活が、とてもいい感じなんです。

 

宮沢賢治と猫をこよなく愛するますむらさん。そんな彼が描くいきいきとした猫たちが繰り広げる賢治ワールドは、岩手県花巻市の宮沢賢治イーハトーブ館にて12月27日(水)まで開催中の「『銀河鉄道の夜 四次稿編』複製原画展〜ますむらひろしの新たな挑戦〜」でも味わうことができます。美しい複製原画を通して愛すべきますむらさんの世界観に触れてみるのもいいかもしれません。