日大は記者会見の2日後、8月10日に無期限活動停止処分の解除を公表した(編集部撮影)

8月5日、日大アメフト部の部員が覚醒剤と大麻を所持していた容疑で逮捕。しかし、8月10日には大学側が部の無期限活動停止処分を解除を発表しました。その後、大学側が会見を開きましたが、さまざまな問題点が指摘できる会見になったと言えそうです。

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日本大学アメリカンフットボール部の部員が寮で覚醒剤と乾燥大麻を所持していた容疑で8月5日、逮捕された。逮捕と同時にアメフト部の無期限活動停止処分とし、3日後に日大は記者会見を開いた。

そして、謝罪会見からわずか2日後の8月10日。日大は「個人の問題を部全体に連帯責任として負わせることは、最善の措置ではない」などを理由に、アメフト部の無期限活動停止処分を解除を発表した。「無期限」の活動停止処分から、わずか「5日」での解除だ。9月に開幕される関東大学リーグへの参加をにらんだものだと考えられるが、関東学生連盟は当然の如く、日大の参加要請を却下した。

日大の会見対応、そして会見後のあまりに甘い現状認識にネットでもメディアでも呆れる声が続出している。

今回の謝罪会見に挑んだのは、林真理子理事長、酒井健夫学長、沢田康広副学長の3名。そして「広報課長」を名乗る司会者も「違和感あふれる」司会進行ぶりで注目を集めた。獣医学者である酒井学長を除けば、人気作家である林理事長、元検事の沢田副学長、そして「広報課長」と、いずれもメディア対応に慣れているはずの人々だ。メディア慣れしている人々が、なぜ対応を誤ったのか。

私はかつてはテレビ東京記者として、現在は企業の広報PRを支援する立場として、多種多様な「広報のあり方」に接してきた。私の取材や広報PR支援の経験を基に「謝罪会見ではどのように振る舞うべきか」を改めて考えてみたい。

植物片の発見から「18日後」に警察に報告

今回の記者会見のメディアの最大の関心は「日大の不可解な対応がなぜ生じたのか」という点にあった。7月6日に大学はアメフト部の寮を点検し、逮捕された部員の部屋から植物片を発見したという。だが、警視庁にその事実を報告したのは、約2週間後の18日だった。

発見から2週間近い間隔が空いたのには、事件隠蔽の狙いがあったのではないか。大麻は2週間、覚醒剤は一定期間で尿検査に反応しなくなるという。検査結果を操作する意図があったのではないか……そう受け止めるのは、自然なことだろう。

こうした隠蔽疑惑について、大学側は会見で「発見時点では違法薬物との確信はなかった。学生へのヒアリングを優先した」と釈明している。だが教育機関である大学が、捜査機関のように聞き取りを長時間かけて行う必要があったのか。むしろ、確信がないからこそすぐに警察に報告すべきではなかったか。8月8日の会見の説明を聞いて得心した記者は、皆無だっただろう。

そして、私が気になったのは、林理事長が会見中に明らかに不機嫌な素振りを何度も見せたことだった。ぶっきらぼうな回答、記者の質問の途中で答えようとするなど、「記者に納得してもらえない」ことへの苛立ちが伝わってきた。


会見に出席した日大の林真理子理事長(写真:時事通信)

「林理事長は長年、数えきれないほどの取材を受けてきた人物だが、結局『自分を気持ちよくさせてくれるメディア』の取材しか受けてこなかったのだな」。私はそう感じた。

林真理子」といえば数々のベストセラーを生み出し、直木賞選考委員でもあり、大河ドラマの原作も執筆するなど、日本を代表する人気作家だ。これまで取材を受けてきた出版社系の週刊誌は「日本屈指の人気作家」に最大限の敬意を払ってきただろう。テレビのバラエティ番組や情報番組にしても、同様だ。

今回は「人気作家」として出た訳ではなかった

だが、今回の謝罪会見は「人気作家」に対するものではなく、あくまで「不祥事を繰り返す大学の理事長」として挑むこととなった。メディアの質問の内容や態度が普段とは正反対だったはずだ。それゆえ、ちょっとした追及に苛立つ感情を隠しきれなかったのだろう。

ただ厳しい言い方をすれば、この程度の追及は上場企業の経営者にとっては「日常茶飯事」だ。決算会見、新商品発表会など、上場企業の経営者がメディアの前に立つべき機会は多い。

その際、記者が「太鼓持ち」のような質問をすることはまずない。どんなに好業績、あるいは画期的な新製品であったとしても、「意地の悪い質問」が必ず出るものだ。こうした「難癖のような質問」に対しても、広報の巧みな経営者は余裕の表情でいなしている。たとえ内心は煮えくり返っていたとしても、だ。

こうした「追及慣れ」した上場企業の経営者たちと比べると、今回の林理事長の会見での振る舞いは、あまりにも「ナイーブ」だった。

とはいえ、会見では「さすがは林真理子氏」と思った瞬間もあった。それは、会見開始から2時間ほど経った頃だった。

「一番重たい問題だったのは、スポーツの分野だったと皆さまの質問で認識しました」と前置きしたうえで「運動部の分野は沢田副学長に任せていた」こと、さらに「スポーツには遠慮があった。組織、監督、コーチも知らないし、グラウンドに行く機会もない。そちらに手が付けられなかった。もっと積極的に行くべきだった」と吐露したのだ。

会見冒頭から2時間近くにわたって「大学の対応に問題はない」と強弁し続けてきたのだが、事実上の軌道修正だ。記者たちの「納得し難い」という雰囲気を肌で感じとったのだろう。凡庸な登壇者は会見前に決めたシナリオから会見中に外れることはない。だがシナリオの不備を感じ取り、林理事長が即興で軌道修正をしたのは「さすが」というほかない。

悪い意味で忠告を集めた副学長の態度

さて、今回の日大の会見で林理事長と並んで主役に躍り出たのが副学長の沢田康広氏だ。林理事長と比べると無名だったが、今回の会見で一気に注目を集めることになった。注目をその集めた理由は謝罪会見であるにもかかわらず、自信満々、かつ妙に「偉そうな雰囲気」を漂わせていたからだ。

沢田副学長の受け答えを見て、私は「元検事ならではのメディア対応」だと感じた。というのも、検察はメディアに対して、とにかく「偉い」のだ。

マスコミは企業や店舗などへの取材時の自己中心的な振る舞いで、ときにネットでは「マス『ゴ』ミ」と揶揄されることも多い。だが検察取材に際しては、記者はとにかく「礼儀正しい」ものなのだ。

理由はシンプルで、取材先としては「検察の替わり」が存在しないからだ。トヨタのような極めて注目度の高い巨大企業を除けば、メディアにとって、取材対象となる企業や個人、店の替わりは「いくらでもある」。

だが、重要事件の捜査情報は検察「しか」持っていない。検察担当記者は検事に嫌われたら、仕事にならないのだ。その結果、自ずと検察官のメディアに対する振る舞いは「偉そう」になるのだ。

沢田副学長は恐らく検事時代と同様に、メディアの質問に答えたつもりなのだろう。だが、今回はあくまで謝罪会見である。検察時代の流儀ではなく、「謙虚すぎるほど、謙虚な姿勢」であるべきだった。

そして日大会見の3人目の注目人物は「広報課長」という女性司会者だった。「会見者が入場します!」という言葉で始まり、終始明るいトーンの司会ぶりだったのだ。実際、ネットの評判を見ても「結婚式みたい」「不自然すぎる明るさ」など、違和感を抱いた人々が多かったようだ。

私はこの「広報課長」の司会ぶりを見て、「イベント司会などを多く手がけたフリーアナウンサー出身ではないか」と直感した。発声法や司会進行の仕方が場慣れしていて、とても素人のものとは思えなかったからだ。

だが、今回はあくまで謝罪会見だ。明るいトーンはむしろ邪魔なのだ。「イベント慣れした、明るい司会者」よりも「神妙に進行する実直な職員」のほうが、はるかに好感度は高かったはずだ。

「メディア慣れ」と「非常時の対応」は異なる

さて、今回の日大謝罪会見の3人の登場人物はいずれも立場は違えど「メディア慣れ」している人々であった。だが、全員が「普段通りのメディア対応」で「非常時の対応」に切り替えられなかったことで、酷評を浴びることとなったのだ。

そもそも不祥事が発生したとき、企業や大学はなぜ、謝罪会見を行わなくてはならないのだろうか。「説明責任がある」といった倫理的な理由ではなく、広報戦略としての理由だ。

謝罪会見を行うべき広報面からの理由は、「攻め」と「守り」に大別することができる。

「攻め」とは謝罪会見を機に、転落したイメージを一気に好転させることを狙うものだ。代表例は2004年のジャパネットたかたの顧客情報流出事件での謝罪会見だ。高田社長の誠実な謝罪姿勢は、今でも「危機管理のお手本」とされている。2003年の売上高は705億円。事件が起こった2004年は663億円と大幅に減少したものの、2005年には906億円と事件前を超える売上を記録するほどに急回復している。

だが、不祥事で「攻めの姿勢」を取れる企業は極めて少ない。現実には圧倒的多数の企業が「守り」に徹しようとし、挙句、その「守り」でも失敗するのだ。

「守り」とは「謝罪会見を開催しないのは責任を果たしていないといった批判を封じる」「メディアが責任者の声を取ろうと延々と追いかけ続けるのにピリオドを打つ」といったことが主な目的だ。今回の日大の記者会見は完全に「守り」そのものだった。

私立大学は理事長が経営を担い、教育や研究は学長が責任を持つという運営形態が一般的だ。民間企業ではまずありえない、「二頭体制」となっているのだ。それゆえ謝罪会見では林理事長も「学内のことは任せていた。それゆえ自身が詳細を最近まで知らなかったのは不適切とは言えない」という趣旨の発言を繰り返していた。

「組織の建前」としてはその通りなのだが、誰も納得はしないのではないか。やはり理事長という単語は「学校法人の総責任者」というニュアンスを感じさせるからだ。

林理事長がもし「攻めの姿勢」だったら…

もし林理事長が今回の謝罪会見を完全な「攻めの姿勢」で挑んだら、どうなっただろうか。

自分が学校全体の責任者であることを宣言し、逮捕直前まで自身に情報を知らされていなかったことを率直に反省、謝罪する。そのうえで、今回の対応の総責任者であった沢田副学長、さらにはアメフト部長の更迭など、厳しい処分を課すことを表明する。加えて、理事会に剛腕で鳴らす著名人を招聘するといった新たな改革構想まで示す。ここまで表明すれば「さすがは林理事長」と喝采を浴びたことだろう。

だが、林理事長はこうした「攻めの姿勢」を取らなかった。「取れなかった」というほうが、正確かもしれない。仮に「攻めの姿勢」を表明したとしても、日大の内部に、「よそ者の林理事長」を支える勢力がおそらく存在しないからだ。

会見で「カッコいいこと」を語ったとしても、現場で実務を担う幹部や職員から総スカンをくらい、結局は何ひとつ実効性のある施策を打てない状況なのだろう。林理事長自身、その現実を熟知しているからこそ、あのような「守りの会見」になったのではないだろうか。

謝罪会見では、メディア慣れしている人々ほど、「対応モード」を切り替えなくてはならないということ。そして、さらに「攻めの謝罪会見」まで行うには、「攻め」の後を支えるだけの裏付けとなる「力」が必要だということ。この両面を改めて感じさせる、日大の謝罪会見であった。

(下矢 一良 : PR戦略コンサルタント)