CRAZY執行役員・吉田勇佑さん(写真:筆者撮影)

病気、育児、介護、学業など、さまざまな理由で、働くことができない時期がある人は少なくない。そんな離職・休職期間は、日本では「履歴書の空白」と呼ばれ、ネガティブに捉えられてきました。

しかし、近年そうした期間を「キャリアブレイク」と呼び、肯定的に捉える文化が日本にも広まりつつある。この連載では、そんな体験をした人たちの選択について取り上げていきます。

これまでこの連載では、主に病気による離職・休職をとりあげてきた。しかし、ネガティブに捉えられてきたのは育休、とくに男性育休にもいえることではないだろうか。

日本における男性育休取得率の低さの背景に、個人の「周りに迷惑がかかる」「キャリアに穴が開く」、企業や周囲の「抜けたぶんの業務をどうするのか」「男性が休んでなにをするのか」といった育休に対するイメージがあるという。

そんななか、第二子誕生の際に100日間の「ハイブリッド育休」を取得した株式会社CRAZY執行役員・吉田勇佑さんは、「育休は、僕自身や家族にとって、そして組織にとっても変化のきっかけになった」と語る。

彼が取得した100日の育休は、個人、家族、組織にとってどんな意味を持っていたのだろうか。

「責任者だから」と取れなかった育休

吉田さんは、「2人目の子どもができたら、育休を取る」と強く決意していた。2020年に第一子となる長女が生まれた際、育休を取らなかった記憶が、胸につかえていたのだ。

吉田さんが勤める株式会社CRAZYは2012年7月の設立以来、完全オーダーメイドのウェディングプロデュース事業で急速に成長してきた。2019年2月には初の自社店舗「IWAI OMOTESANDO」を東京・表参道にオープン。吉田さんはそのゼネラルマネジャー(支配人)を務めることになった。しかしオープンから約1年後、日本に新型コロナウイルスの猛威が吹き荒れる。会社としても吉田さん個人としても満を持した挑戦は、嵐の中の船出となった。

第一子の妊娠がわかったのは、ちょうどそんなタイミングでのこと。大きな喜びとともに、吉田さんは葛藤した。

「育休を取得したい気持ちはありました。今しかない子どもの成長の瞬間に立ち会いたかった……。でも、当時は初の自社店舗が大変な時期を迎えていました。僕は事業責任者で、今のタイミングで育休を取ることはチームにとって影響が大きく、後々僕自身も後悔するだろうと考え、現場を離れないという選択をしたんです」

吉田さんやメンバーたちの奮闘もあり、コロナ禍を乗り越え事業は成長していく。第一子となる長女も2020年11月に無事誕生した。しかし吉田さんのなかで、育休を取れなかったことに対しては心残りがあった。


コロナ禍のなか開催された式の様子(提供:株式会社CRAZY)

2021年の年末、第二子の妊娠がわかる。吉田さんは、「今度は絶対に育休を取得する」と決めていた。幸い、事業も順調に成長していたことや、会社に人生やパートナーシップを大切にするカルチャーがあることも、決断を後押しした。

しかし、なにしろ吉田さんは事業責任者。「メンバーに迷惑がかかるんじゃないか、という怖さは今回もありました」と振り返る。そこで選んだのが、100日間の「ハイブリッド育休」というかたちだ。

「ハイブリッド育休」は、基本的には休業するものの、週に10時間ほど不定期で社内ミーティングや採用面談などのみをオンラインで対応する、休業と就業をハイブリッドさせた育休である。

「育休の期間はしっかり家族に集中したいけど、完全に仕事から離れるのは僕にとっても不安があったし、メンバーも不安だろうと。そこで、家庭も仕事も両立するかたちとして、会社に提案したんです」

育休は家族との関係性を深める時間になった

ハイブリッド育休を取得するまでに、吉田さんは入念に準備を重ねた。まず、育休を取得するおよそ半年前の2021年12月から、パートナーと家族会議の時間を持ち、「どのくらいの期間の育休を、なぜ、どのようなかたちで取るのか」をすり合わせ、自分の意志を固めていった。

そして2022年3月、役員に「ハイブリッド育休」を提案。了承を得たのち、現場のメンバーにも伝え、業務の引き継ぎを行った。「早い段階から調整を行うことは、育休後の復帰をいいかたちですることにもつながる」と考えていたのだ。

こうして、吉田さんは2022年7月後半から10月末まで育休期間を過ごすことになった。100日間は、夜泣きや体調の変化など、予期せぬ出来事に24時間対応しなければならず、「知人に『育休中になにしてたの?』と聞かれてモヤっとしてしまうほどやることが多く、大変でした」と振り返る。

しかし大変さの一方で、「もう一度やり直せるとしても、かならず育休を取りたい」と語るほど、この100日間は吉田さん自身にとって豊かな時間になったという。

それは言葉を換えれば、吉田さんにとって、家族との関係性を深めるかけがえのない時間だった。


(写真:筆者撮影)

「あれほど家族と向き合う時間は、それまでの人生でありませんでした。困難に一緒に向き合っていくことで、奥さんとの信頼関係がすごく深まったのが1つ。さらに、生まれたばかりの長男の面倒を奥さんがみるあいだ、長女と一緒に過ごす時間が増えて、恋人みたいに仲の良い関係になったんですよ(笑)。今でもあのとき娘と行った公園に行くと、幸せな記憶がよみがえってきます」

アメリカの研究者D・E・スーパーは、個人のキャリアを、「人生の各場面においてその人が果たすさまざまな役割の組み合わせ」と捉え、「ライフキャリアレインボー」というキャリア理論を提唱した。私たちのキャリアは虹のように、「労働者」「家庭人」「市民」「余暇人」といった役割の組み合わせによって構成され、その割合は人生の時期によって変化していく、というものだ。

吉田さんにとって育休の期間は、「労働者」が大きな割合を占めていた段階から、「家庭人」の割合が増えていくきっかけになったのだろう。実際、この期間を通じて吉田さんの家事・育児のスキルは格段にアップしたという。

育休を支援することで、組織も強くなる

男性の育休取得率が上がらない理由として、社内で育休を取りづらい雰囲気があることがあげられる。吉田さんが勤める会社はメンバーの人生を応援する文化が浸透しているそうだが、そんな会社であっても「育休を取るのは勇気がいったし、ほかのメンバーも不安はあった」という。

しかし、育休を取得し終わって吉田さんが感じたのは、「自らが育休を取ったことで、組織が強くなった」ということだった。

「業務の引き継ぎについては、あえて僕が退職するくらいの状態を想定して行いました。つまり、育休をきっかけに僕がいなくても事業が運営できるような体制をつくっていった。その結果、実際にちゃんとまわったんです。そのプロセスを通して、組織のみんなが経験とスキル、そして『吉田がいなくてもまわせるんだ』っていう自信がついたと思うし、経営側にも『重要なポジションにある人間が育休を取っても大丈夫なんだな』ということを証明できたと思っています」

育休は、組織にとって必ずしもネガティブなことなのではなく、むしろ個人の育休を後押しすることで組織やチームが強くなることがある──。と、言い切ってしまうのは理想論かもしれない。

ただ、かつては人事担当者として採用や組織づくりに関わってきた吉田さんは、育休取得者が復帰した後、さらに活躍する姿を見てきたそうだ。

「育休取得者は、コントロールできない家事・育児をやってきた経験があるからか、段取り力や難しい問題を責任持って解決する能力、あとは部下の育成やマネジメントのような『誰かの人生を背負う力』を発揮している方が多かったように思うんです」

現在執行役員として経営に関わる立場である吉田さんは、「経営側も育休に対するスタンスが問われている時代になってきてるのでは」と語る。

「現代の若い人たちは、育休を応援している企業かどうか、すごくよく見ていると思うんです。育休に消極的な企業は見抜かれて、優秀な人材が入らなくなってしまう。それに、育休後の社員に対して企業が『抜けたぶんを取り戻す成果を出せよ』とプレッシャーをかけるのもちがう。戻ってきて、頑張って働きたいと思える組織や関係性をつくっていくほうが本質だと思うんです。実際に僕は、会社に育休を応援してもらえたことに本当に感謝しているから、復帰した今はそれまで以上に頑張って働いていますよ(笑)」


吉田さんが「IWAI OMOTESANDO」を共に運営するチーム。(提供:株式会社CRAZY)

吉田さんにとって、家族にとって、そして組織にとって、育休は新たな変化を迎え入れるきっかけになった。とはいえ、育休が理想郷のようなものだったわけではなく、思わぬ落とし穴もあった。その1つが、「育休復帰ブルー」だ。

「育休が豊かな時間すぎて、後半は憂うつになりました(笑)。2022年の11月に職場復帰することになっていたんですけど、仕事に戻れるのが楽しみな反面、『家族と過ごすこの豊かな時間が、終わってしまうのか……』と、寂しくなってしまったんです」

実際に職場に戻ってみると、会社への感謝もあってそれまで以上に仕事へのモチベーションは高まったというが、もしかすると「家族と過ごす時間が多い生活のほうが合っている」と気づき、育休後に働き方を変える人もいるかもしれない。それがネガティブなことではもちろんないが、育休はキャリアの転機になりえそうだ。

家庭に「育休復帰ショック」が起こることも

落とし穴はもう1つ。育休後にパートナーに負担が集中することだ。

「育休が終わったあとが大変でした。それまで2人で行っていた家事・育児が、1人に集中してしまう。もちろん、僕もできることはしますけど、それでも奥さんはその現実にぶつかってしまって、復帰後1週間は泣いてました……」


(写真:筆者撮影)

育休というと「会社からメンバーが抜けてしまう」ことに焦点が当てられがちだが、「家庭からメンバーが抜けてしまう」場合、家族へのショックも大きいのだ。

会社であれば、たくさんいるメンバーの中から複数人でその業務をふりわければいいが、家庭ではそうはいかない。家庭に「育休復帰ショック」を起こさないためにも、育休を終える前にその後の役割分担について話し合うなど、「育休の終え方」には工夫が必要そうだ。

誰もが吉田さんのように育休を取れるわけではないだろう。実際に、育休を取得した吉田さんの友人は、「職場に戻ったときに仕事があるかわからない。たぶん片道切符だ」と漏らしていたという。

まだまだ男性が育休を取りづらい雰囲気があるからこそ、個人や家族だけではなく組織にとっても、育休を後押しすることがポジティブな変化のきっかけになるものとして捉えなおされる動きが広まってほしい。その先に、望んだ人すべてが育休というキャリアブレイクを経験できる社会があるはずだ。


山中散歩さんによるキャリアブレイク連載、過去記事はこちらから

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(山中 散歩 : 生き方編集者)