1990年代にFBIや警察による捜索を逃れ続けながらクラッキングを行い、逮捕された後はFBIに協力してホワイトハッカーとなったことで世界的に有名なケビン・ミトニック氏が2023年7月16日に59歳で亡くなりました。

Kevin Mitnick Obituary - Las Vegas, NV

https://www.dignitymemorial.com/obituaries/las-vegas-nv/kevin-mitnick-11371668



Kevin Mitnick - Once the world's most wanted hacker, now he's getting paid to hack companies legally | Black Hat Ethical Hacking | Black Hat Ethical Hacking

https://www.blackhatethicalhacking.com/articles/hacking-stories/kevin-mitnick-once-the-worlds-most-wanted-hacker-now-hes-getting-paid-to-hack-companies-legally/

ミトニック氏は1963年8月6日に、アメリカ・カリフォルニア州のサンフェルナンド・バレーで生まれました。反発心が強く周囲の注目を集めたがったミトニック氏は、幼少期からさまざまないたずらや手品を覚え、電話の解析やソーシャルエンジニアリング、そしてコンピューターを使ったハッキングの技術を習得しました。ミトニック氏が初めてコンピューターのネットワークに不正アクセスをしたのは16歳の時で、大手コンピューター企業のDigital Equipment CorporationがOSの開発に使用していたシステムに電話線経由で侵入し、開発中のソフトウェアをコピーしました。ミトニック氏はこの生まれて初めてのハッキングで起訴され、1988年に懲役1年・保護監察3年の判決を受けました。

しかし、この保護監察期間が終わろうとするタイミングで、ミトニック氏はPacific Bell(現在のAT&T)にハッキングをしかけます。以降、ミトニック氏はFBIの最重要指名手配犯としておよそ2年半にわたる逃亡生活を送ることとなりました。



ミトニック氏は逃亡中も多くのコンピューターネットワークに不正アクセスを行っていたとのこと。自分の居場所を隠すために携帯電話を使い、さまざまな企業からソフトウェアを盗んでコピーしたり、コンピューターネットワークを改ざんしてメールを盗み読んだりしていたそうです。

しかし、ミトニック氏は1995年に、ノースカロライナ州のアパートにいるところを逮捕されました。逮捕時、ミトニック氏は100件以上の携帯電話番号と偽造した身分証明書を複数所持していたとのこと。ミトニック氏は司法取引でいくつかの罪を認めたものの、保護監察期間中に罪を犯したことから、5年8カ月の懲役を言い渡されました。ミトニック氏の刑事訴訟裁判はコンピューター犯罪に対処するための新しい法律が初めて適用されたケースとなったことから、世界中から大きな注目を集め、ネットセキュリティに対する意識向上を大きく促したといわれています。

裁判では、検察が裁判官に「ミトニック氏は、北アメリカ航空宇宙防衛司令部のネットワークに電話でアクセスし、口笛を吹いてモデムと通信することで核ミサイルの発射を命令することもできた」と主張したそうです。また、当時のハッカーコミュニティは「FREE KEVIN」運動を起こし、ミトニック氏の釈放を訴えました。裁判中、何者かによってYahoo!のトップページが改ざんされ、「ミトニック氏を釈放しなければコンピューターウイルスをばらまく」という脅迫メッセージが残されるという事件も起こっています。



2000年1月に仮釈放されたミトニック氏は、ハッカーとしての腕前を高く評価され、セキュリティの専門家としてFBIに協力し、ホワイトハッカーとしての活動を始めました。セキュリティコンサルタントとしてのキャリアを築き始めたミトニック氏は、2011年にセキュリティコンサルティング企業であるKnowBe4の共同設立者兼最高ハッキング責任者となりました。



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しかし、2021年からミトニック氏はすい臓ガンと戦っていたとのこと。妻のキンバリーさんはちょうどミトニック氏との第1子を妊娠中だったそうです。我が子の誕生に「人生の新章が始まる」と喜んでいたミトニック氏でしたが、14カ月以上にわたる闘病生活の末、2023年7月16日に息を引き取ったとのこと。

ミトニック氏の死去を明らかにした葬儀会社のDignity Memorialは「彼にはまだ多くの生きがいがありました。彼のような人物が二度と現れないことを私たちは知っています。私たちは残りの日々、ミトニック氏を恋しく思い、心の中でミトニック氏の声を聞き、彼との再会を楽しみにします。ミトニック氏が私たちを迎えてくれるかもしれませんし、いたずらをしてくるかもしれません、あるいは特別な食事と会話を分かち合おうと誘ってくれるかもしれません。そのように想像すると、まさに天国です。私たちは皆、この真に偉大な人と共に過ごせたことを深く感謝しています」とコメントしました。