斎藤佑樹×狩野舞子 スペシャル同級生対談!(後編)

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2018年に現役を引退した狩野舞子

1年間の休養で世界が広がった

斎藤 現役を引退したのは?

狩野 2018年だから、もう丸4年になる。

斎藤 そうか、もう4年も経つんだ。オレは去年の10月に引退したんだけど、現役の時は野球でどれだけ結果を残せるかということしか考えていなかったし、引退後のことなんて想像もしていなかったけど、現役をやめたあとのことを真剣に考えるようになったのはいつぐらいから?

狩野 私、1年間休養している時期があって......その時は「もうやめよう」と思っていたんだけど、結局1年で「やっぱりまだやり残したことがある」と思って復帰したのね。でもその1年で遊びつくしたというか、とにかくやりたいことをやったわけ。だから復帰したあと、本当に引退した時は、すぐいろんな仕事に取りかかろうという気持ちになれた。

斎藤 自分にとってものすごく大きな1年だったんだ。

狩野 その1年がなかったら、たぶんフラフラしていたと思う。いまだに「これがやりたい」というのはないんだけど、いろんなことをやってみて、向いているものや好きなことを見つけられたらいいなと、今はそういうスタンスでやっている。それもあの1年があったおかげでいろんな世界を見ることができたし、いろんなことを考えることができた。

斎藤 休養していた1年は、具体的にどんなことをしていたの?

狩野 とにかくのんびりしていた。会いたい人に会って、行きたいところに行って。だから、どんどん貯金がなくなっていくんだけど、それでもいいから自分のために使おうと思って。

斎藤 不安はなかった?

狩野 なかったと言ったらウソになるけど、「どうにかなる」「どうにかする」と。最初はちょっと不安があったから実家に戻っていたんだけど、やっぱりひとり暮らししないと広がっていかないと思って。収入もないのに家を借りて......その頃は怖いもの知らずだったよね(笑)。

目指すはパリコレ⁉︎

斎藤 さっき「やりたいことはない」って言ってたけど、これからの夢とか、目標とか、そういうのはあったりする? たとえば、いつか指導者をやりたいとか、それこそケーキ屋さんをやりたいとか......なんでもいいんだけど。

狩野 今のところ自分が指導者になることにはまったく興味がなくて、どちらかというと、バレーボールというか、スポーツのすばらしさを広めていく活動が好き。だから夢とは違うかもしれないけど、そういう機会をたくさん子どもに与えられていけるようにしたい。

斎藤 スポーツとまったく関係ない仕事は? たとえば、モデルの仕事の依頼がきたらどうする?(笑)

狩野 そこはないかな(笑)。でも、引退して、こういうふうに写真を撮ってもらったり、映像で残してもらったりすると、こういうのもいいなって、最近になってようやく思えるようになってきたかな。最初の頃は「目立ちないくない」って思っていたけど、自分にできることならやってもいいかなって。もし本当にそうしたオファーがきて、受けるとなったら全力でやると思う。

斎藤 そんな気がする。パリコレ、目指すしかないね(笑)。

狩野 パリコレに出るっていう目標ができました(笑)。

斎藤 写真撮っていても、素敵な表情がたくさんあった。

狩野 いつもヘラヘラしてるからね。でも、スタジオで撮影したり、すごいね。もうプロのカメラマンじゃん。

斎藤 今回はプロの方が手伝ってくれたからなんとかできたんだけど、スタジオはライティングが難しくて。それこそ被写体がいいから、何撮ってもよく撮れる。でも、こういう経験をさせてもらえることはすごくうれしい。

狩野 なんでもチャレンジだよね。いろいろ興味はあるんだけど、仕事にするとかなると踏み出せないタイプで......。興味や趣味の範囲だったら、ほんとにいろんなことをやりたい。

野球界の課題は何だと思う?

斎藤 バレー以外のスポーツは見る?

狩野 見る見る。

斎藤 野球を見て、「もっとこうしたらいいのに」って思うことは何かある?


引退後はこれまでの経験を生かしてさまざまな活動に取り組んでいる狩野舞子

狩野 この前も球場に行って見てきたんだけど、なんだろう......。バレーボールと比べると、フィールドも広いし、観客数も違うし、エンタメ性みたいなものはすごく勉強になる。たとえば「こういう演出をバレーでもやればいいのに」とか、「こういうふうにお客さんを盛り上げるんだ」とか。どっちかというと、見習うところしかない。

斎藤 野球やバレーに限らずだけど、いいと思うことはどんどん取り入れるべきだと思うし、このスポーツだけ盛り上がればいいというのは違うと思う。

狩野 ほんとそうだよね。だから、子どもにはいろんなスポーツに取り組んでもらいたいと思うし、そのお手伝いができればいいかな。

斎藤 そこは地道にだけど、スポーツ界に少しずつ恩返しできればと思う。

狩野 あっ、ひとつだけ教えてほしいことがあるの。聞いてもいいかな?

斎藤 もちろん。

狩野 速い球が投げたいんですよ(笑)。どうすれば速い球が投げられるの? 何を意識すればいいの?

斎藤 男性と女性でも違うけど、女性の方に多いのは、ボールを離す最後のところで手首から先が緩んでしまう。バレーのアタックとよく似ているから、腕はしっかりと振れると思うんだけど、しっかり手首を固めて投げるといいと思うよ。

狩野 固めるんだ。普通に投げようとするとすっぽ抜けちゃうんだよね。

斎藤 しっかり手首を固めて、最後は指で押し込むイメージ。

狩野 そうやって投げるんだ。今度やってみよう。

斎藤 わからなくなったらいつでも連絡ください(笑)。

狩野 よろしくお願いします。

斎藤 最初に会った時から変わってないけど、これからもこのままで(笑)。

狩野 当時からこんなにすごい人なのに、全然そういう感じを見せずに対等に付き合ってくれて、ほんとにありがたいです。

斎藤 僕もそう思ってるよ。今日は久々に話せてよかった。ありがとうございました。

狩野 ありがとうございました。

おわり

プロフィール
斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)/1988年6月6日、群馬県生まれ。早稲田実業3年時の2006年、夏の甲子園に出場し全国制覇。「ハンカチ王子」として大フィーバーを巻き起こした。早稲田大学入学後も輝かしい成績を残し、2010年ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団。ルーキーイヤーから6勝をマークし、プロ2年目の2012年には開幕投手も務めた。しかし度重なるケガに悩まされ登板数も伸びず、2021年10月に引退を発表。引退後の12月に株式会社斎藤佑樹を設立した。「野球未来づくり」を掲げ、現在様々なプロジェクトの実現にむけて取り組んでいる

狩野舞子(かのう・まいこ)/1988年7月15日、東京都生まれ。15歳で全日本代表候補に選ばれ、一躍注目を浴びる。八王子実践高のエースとして春高バレーなどで活躍し、卒業後は久光製薬スプリングスに入団。2010年から2年間は世界最高峰といわれる海外リーグ(イタリア、トルコ)に挑戦し、2012年のロンドン五輪に出場。五輪後、久光製薬に復帰しセッターに転向するも、2015年は1年間休養。2016年、PFUブルーキャッツでスパイカーとして復帰し、2017-18年シーズンには、Vチャレンジリーグの準優勝に大きく貢献する。2018年5月、黒鷲旗での試合を最後に現役引退。引退後はこれまでの経験を生かし、さまざまな活動を展開している