斎藤佑樹と狩野舞子が今だからこそ語れる現役時代「プレー以外の部分で注目されるのは辛かった」「実力ないのに容姿だけだよねって」
斎藤佑樹×狩野舞子 スペシャル同級生対談!(前編)
昨年まで日本ハムでプレーした斎藤佑樹氏と元バレーボール日本代表の狩野舞子氏は1988年生まれの同級生だ。最初に出会ったのは12年前。以来、競技は違えど、アスリートとして刺激し合ってきた。そんなふたりの対談が実現! 現役時代の知られざるエピソード、これからについて本音で語り合った。そして狩野氏の撮影は、フォトグラファーとして写真展を開催するなど、新たな一歩を踏み出している斎藤氏が担当した。
ともに1988年生まれの斎藤佑樹(写真左)と狩野舞子
斎藤 初めて会ったのは2010年頃だったかな。治療院が一緒で、そこからの付き合いだけど、当時から変わってないね。見た目もそうだけど、サバサバした感じも(笑)。
狩野 全然変わらないね。
斎藤 面識はあったけけど、じっくり話をすることはなかったから、いろいろと聞ければと思うんだけど、バレーボールを始めたきっかけは何だったの? 身長が高かったから?
狩野 お父さんもお母さんもバレーの選手で、姉もやっていたから、気がついたら私もやっていた感じかな。身長が低かったとしても、バレーボールはやっていたと思う。
斎藤 ほかのスポーツには興味はなかった? たとえばバスケットボールとか?
狩野 あったよ。一時期、テニスをやっていたこともあったし、単純に「楽しいな」って思ったけど......結局、バレーに触れ合う時間が一番多くて、自然とそうなっていったよね。
斎藤 バレーを始めた頃、最終的にここでプレーしたいとか、こういう選手になりたいとか、そういうのはあった? 僕らだったら、甲子園、プロ野球選手じゃない。バレーボールをやっていて、最終的な目標はどこになるのかなって。
狩野 バレーを始めたのは小学4年の時だったんだけど、6年の時には「将来オリンピック選手になりたい」って書いていたから、全日本に入って、オリンピックに出るというのが大きな目標だったかな。でも小学生の時はただ言っているだけで、そこまで本気でもなかった。
斎藤 本気で目指そうと思ったのは?
狩野 中学生になって、バレーボールの強豪校に入った時点で、「目指すべきところは代表なのかな」みたいな感じはあったかな。でも大きいだけの選手で、すごく下手くそだった。
「痛い」って言える雰囲気じゃなかった斎藤 でも、中学3年の時に全日本の代表候補に選ばれたでしょ?
狩野 実力はなかったけど、将来の期待も込めて選んでもらったというのは、なんとなく自分でもわかっていて......だからプレッシャーは感じていたかな。高校の時もケガが多くて全然活躍できなかったし、いつ周りの期待に自分が追いつけるんだろうって。ホント悩んでばかりだった。
斎藤 その時からケガが多かったんだ。
狩野 多かったね。中学3年ぐらいからいろんなところをケガして、高校生の間はずっと腰が痛かった。
斎藤 それってなんでだと思う?
狩野 いろいろ要因はあると思うんだけど、一番は高校3年になるぐらいまでずっと身長が伸び続けていたのね。そんななか、自分では気づいていなかったけど、オーバーワークになっていたのかもしれない。どこかで「これくらいでは休めない」という思いがあって、知らず知らずのうちにバランスを崩したのかもしれない。
斎藤 当時は「痛い」って言える雰囲気じゃなかった?
狩野 言えなかったね。言わないことが当たり前みたいところはあったと思う。
斎藤 今でこそ、野球もケガに対して真正面から向き合っているけど、当時は痛くても言えなかった。野球もバレーボールも同じカテゴリーというか、当時は"根性"の時代だったよね。
狩野 そうそう。
斎藤 水は普通に飲めた?
狩野 そこも怪しかった(笑)。先生の機嫌がよければ"お水休憩"みたいなものがあったけど、やっぱり「いいよ」って言われるまで飲めない時代だった。
斎藤 YouTubeを見ていても、高校時代のつらい思い出がたくさん出てくるじゃない。
狩野 そうそういくらでも出てくる(笑)。いま振り返れば、ホントよく耐えられたと思う。
2012年のロンドン五輪で銅メダルを獲得した狩野舞子
斎藤 中学生で全日本代表候補に選ばれて、メディアやファンの人にすごく注目されることはなかった?
狩野 そこまでではなかったかな。寮生活だったから、学校と体育館くらいしか行くとこなかったし(笑)。たまに制服やジャージを着て電車に乗ると、「あっ狩野さんだ!」って言われることはあったけど......それこそ甲子園で優勝したあとは大変だったんじゃない? マスコミもファンもいっぱいだったでしょ?
斎藤 それまではまったくそういうことがなかったから、あらためて甲子園の影響力のすごさを実感させられたよね。
狩野 日本中が大フィーバーだったもんね。
斎藤 全日本に入ってからは、容姿淡麗なところもかなり注目されたと思うんだけど、そういう目で見られることに抵抗はなかった? オレだったら、甲子園で優勝したのに「ハンカチを使った人」で有名になって。野球選手として見られたいのに、"ハンカチ王子"と言われることにすごく抵抗があった。今はそれも受け入れているんだけど、そういうことについてはどうだった?
狩野 私も「中学生の狩野舞子」というのがあったし、容姿で注目されたこともあったけど、やっぱり実力を見てほしいという思いはずっとあったね。でも、その実力が追いついていないんだろうなっていうことも理解していたし、そこは葛藤だったね。
斎藤 そういう周りの声というのは聞こえてきた?
狩野 「狩野さんって実力ないのに容姿だけだよね」みたいな声とか、そういうのは本人に届くからね。すごく悔しかったけど、頑張ればそういう声もなくなるのかなと思いながら、ずっとやっていたかな。
斎藤 プレー以外の部分で注目されるって、やっぱりつらい部分があるよね。「見た目でがんばろう!」って思ったことはなかった?
狩野 現役の時はまったくなかった。試合はスッピンだったし、メイクするっていっても休みの日ぐらいで......だから、ちゃんとメイクとかするようになったのは、最近なのかもしれない。でも、根本的には何も変わってないよ。なんなら、中身はおっさんみたいな感じだからね。
斎藤 たしかに(笑)。
プロフィール
斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)/1988年6月6日、群馬県生まれ。早稲田実業3年時の2006年、夏の甲子園に出場し全国制覇。「ハンカチ王子」として大フィーバーを巻き起こした。早稲田大学入学後も輝かしい成績を残し、2010年ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団。ルーキーイヤーから6勝をマークし、プロ2年目の2012年には開幕投手も務めた。しかし度重なるケガに悩まされ登板数も伸びず、2021年10月に引退を発表。引退後の12月に株式会社斎藤佑樹を設立した。「野球未来づくり」を掲げ、現在様々なプロジェクトの実現にむけて取り組んでいる
狩野舞子(かのう・まいこ)/1988年7月15日、東京都生まれ。15歳で全日本代表候補に選ばれ、一躍注目を浴びる。八王子実践高のエースとして春高バレーなどで活躍し、卒業後は久光製薬スプリングスに入団。2010年から2年間は世界最高峰といわれる海外リーグ(イタリア、トルコ)に挑戦し、2012年のロンドン五輪に出場。五輪後、久光製薬に復帰しセッターに転向するも、2015年は1年間休養。2016年、PFUブルーキャッツでスパイカーとして復帰し、2017-18年シーズンには、Vチャレンジリーグの準優勝に大きく貢献する。2018年5月、黒鷲旗での試合を最後に現役引退。引退後はこれまでの経験を生かし、さまざまな活動を展開している