なぜ人はバカラにハマってしまうのか - 赤木智弘
※この記事は2016年04月09日にBLOGOSで公開されたものです
男子バトミントンで世界2位のランキングであった桃田賢斗選手、ロンドンオリンピック代表を勤めた田児賢一選手の2名が違法カジノ店に出入りしていた問題。(*1)プロ野球でも野球賭博への関与や、練習などでのチーム内での賭博行為が問題にされていた中で発覚し、しかもメダルを狙える選手であったということもあり、日本バドミントン界へ与えた失望は計り知れない。
さて、このニュースの中に出てくる「バカラ」というゲーム。特にアジア圏での人気が高く、アジアの代表的なカジノ都市であるマカオでは、ゲームの8割がバカラのテーブルであるとも言われている。
そしてバカラはなんとなく「とても怖いゲーム」というイメージが強い。なぜならバカラにハマった人間は、そのほとんどが多額の負けを背負うことになるからだ。
2011年には、大王製紙の元会長であった井川意高氏が、子会社から100億以上の金を不正に引き出し、それをバカラにつぎ込んで負けていたという話が報じられた。(*2)
競馬やパチンコで、いくら負けがこんだとは言っても、その額は1回でせいぜい数万円。長期的とはいえ100億円以上を負けてしまう事ができるバカラとは、一体どれほど恐ろしいゲームなのだろうかと身震いしてしまう。しかし、実際のバカラは、客が勝つ確率も高く、配当も低いことから、決してギャンブル性が高いとは思えないゲームなのだ。
バカラとは、単純に言えば「バンカーとプレイヤーに配られたカード、そのどちらがより「9」に近いかに賭けるゲーム」である。
「9に近いほうが勝ち」というとオイチョカブなどを思い出す人が居るかもしれないが、オイチョカブとバカラの最たる違いは、勝負が「店のディーラー(以下、親)vs店の客(以下、客)」の間でつくものではないということだ。
バカラでは戦うのはあくまでも「バンカーとプレイヤー」という仮想上の存在であり、客はそのどちらが勝つかに賭けるのみである。ボクシングなどの1対1の勝負に対して、どっちの選手が勝つかに客が賭けているようなものだ。
ただし、バンカーとプレイヤーの両者には、現実のボクシングほどの実力差はないから、どちらに賭けても勝つ確率はほぼ1/2である。一応、引き分けもあるし賭けられるのだが、引き分けの場合は掛け金がまるごと返金されるので、気にする必要はない。
バカラにおいて、親はあくまでも「バンカーvsプレイヤー」を成立させるために、ルールにしたがってカードを2枚、もしくは3枚配布し、勝ち負けを判断して配当を配る役でしかない。配られるカードの枚数はルールによって厳格に決められ、親が恣意的にカードを引いたり引かなかったりすることはできない。ルールによっては客がカードを触ることができるものもあるが、客はカードを引けないし、親から配られたカードをめくるのみである。
客はプレイヤーかバンカーに賭けて、賭けた側が勝てば賭けた分と同じだけの払い戻し(1to1)を受ける。つまり2倍の配当がある。負ければ掛け金を失う。これがバカラの基本である。
そしてここが重要なのだが、ルールによって違いはあるが、親は客がバンカー側に賭けて勝った場合に、一般的には5%ほどのコミッションを受け取る。これが店側の取り分になる。
1/2で客が勝ち、2倍の配当を受け取る。これだけなら客は決して負けることはないが、実際には配当の一部から親がコミッションを受け取っている。これにより客はバカラをプレイすればプレイするほど、徐々にお金を失うことになる。
しかし、ここでおかしなことに気づく。客がお金を徐々に失うのであれば、どうしてこれほどまでバカラにハマって大きく負ける客がいるのだろうか?
そもそも、合法違法関係なしに、全てのカジノゲームは親が勝つようにできている。仲間内でプレイするならともかく、カジノというのは商売である。商売であるから親が勝つようにできているのは当然である。
だが、単純に親が勝てばいいというものではない。客が10万円持ってきて、それを1000円ずつ100ゲームに賭けて、全部負けたとすれば、親の取り分は10万円になるが、その客は二度とそのカジノには来なくなるだろう。失った額の問題ではなく、100ゲーム全て負けて楽しい客など居るはずがないからだ。
だから、全てのカジノゲームは「勝てる確率は低いが、配当は高い」か「勝てる確率は高いが、配当は低い」ゲームに寄っていく。前者は一発逆転が狙え、後者は勝つことを楽しめる。そして、だいたい1/2で勝ち、2倍の配当を受け取ることができるバカラは典型的な後者のゲームである。
しかし、さらにおかしなことに気づく。勝つ確率が高く、配当が低いのであれば、これほどまでに大負けするゲームではないはずではないかと。大負けするのはギャンブル性の高い、高配当のゲームなのではないかと。
確かに、勝ちにくいが配当は高いゲームのほうが、大きく負けそうな気がする。しかし、そうしたゲームは客も勝つことを前提にプレイしていない。
ラスベガスに行き、ラスベガスの大半の店とリンクしたプログレッシブジャックポット機能のついたスロットをプレイしたとしても、せいぜい数十ゲーム回して負け続け、すぐにやめてしまう。
そうしたほんのわずかなプレイを何百万人、何千万人が行い、そのうちの1人が運良く数百万、数千万ドルを手に入れる。一人あたりの投入金額は決して高くなく、ひとりの客がこうしたゲームで大きく負けることはほとんどない。
一方で、バカラは「客が何をどう考えようと、だいたい1/2で勝ててしまう」ゲームだ。
そして、1/2で勝ちながら、客はゆるやかに持ち金を減らしていく。ゆるやかに減った持ち金は、わずか数回の勝利で、いつでも取り戻せそうに見える。そして実際に5連勝や10連勝などを経験すると、また簡単に勝ち続けられると勘違いしてしまう。
実際には確率は収束するので、プレイすればするほど客が負けることは決まっているのだが、勝った時の「自分の予想があたった!自分はこの場を支配している!!」という高揚感と、負けても「たまたま運が悪かった。次は勝てるはず!」という気持ちが、さも勝ち数の方が負け数を大きく上回る可能性があるかのような幻覚を起こさせる。
その幻覚を起こさせるツールの1つが「罫線」だ。罫線とは「場の流れ」を見るためのツールである。数回前にプレイヤー、バンカーのどちらが勝ったかという勝負結果と数回後の勝負結果を突き合わせ、数回前と同じような勝ち負けの結果になるかどうかということを、この罫線で判断する。するとまるでバカラテーブルに「確率を超えた何らかの法則性」が存在しているかのように思えてしまうのである。
しかし、それはどこまで行っても幻覚だ。
繰り返すが、バカラというのは、客が何をどう考えようとだいたい1/2で勝てるし負けるという、運以外に何の要素もない単純なゲームだ。にも関わらず、客はさも予想が成立し、自分の知能や推理力で勝ち負けが決まるかのように思い込んでしまう。そう思い込めば親にとってはしめたもので、罫線を自動的に液晶モニターに表示するなどして、さもプレイヤーが有利であるかのような幻覚を見せ続けるのである。
あともう1つの幻覚装置。配当が低いバカラでも一発逆転の目はある。それが「TIE(引き分け)」の存在だ。
引き分けには9倍という配当(8to1)があり、非常に高倍率に見える。負けがこんだプレイヤーが「最後の大勝負」などと言いながらTIEに賭けることも多い。しかし、引き分けの確率は1/10程度であるにも関わらず、掛け金を足しても9倍の配当しかないTIEに賭けるのは、客にとって最も不利な賭け方である。バカラでは「TIEに賭けるのはどうだろう?」と検討した時点で、すでに客は負けていると言っていい。
しかし、負けがこんだ客にはすでに冷静な判断能力はなく、TIEに大金を賭けてしまう。しかし勝てる確率は10%もないのだ。よしんば、運良く最後の大勝負で勝ったとしても、次にプレイした時に同じ大勝負で勝てるはずもない。
こうして多くの客がカジノ側が仕掛けた幻覚にハマり、長くプレイすればするほど、確実に負けていくのである。
ネットを調べていたら、ちょうどいい映像があったので見てほしい。(*3)
確率論的にはバンカーもプレイヤーも1/2程度で勝つはずが、なぜかプレイヤー側に勝ちが偏っている。そして2人の客も、男性の方はそこそこ当てているが、女性の方は全く当たらない。
そうした状況の中で、2人の客は「プレイヤーが勝ち続けているから、こんどこそバンカーが勝つはず」と、誤った確率認識に至り、バンカーに賭けては負け、最後にTIEに大賭けして負ける。そんな実に典型的な「負け」に至る賭け方をしてしまっている。
別に親がイカサマをしているわけではない。親はあくまでもルールにしたがってカードを引いているに過ぎない。長期的には1/2で勝つはずのバカラというゲームでも、短期的にはこうした不可思議な「偏り」が発生し、客の心をかき乱すのである。
こうして負ければ「悔しい」となってもう一回プレイしたくなり、逆に勝っても「次も勝てる」という気分になってもう一回プレイしたくなる。これが1/2という高い確率で客が勝ってしまうけれども、長期的に見れば100%親が勝つ、バカラというゲームが持つ底なし沼のような恐ろしさなのである。
*1:バドミントン選手がカジノ店に 五輪出られない処分も(NHKニュース)
*2:大王製紙井川前会長告白「106億円を失ったカジノ地獄」 vol.1(日刊大衆)
*3:フル版 3 of 3 カジノ萬遊記 Vol. 1 ミディバカラ編(YouTube カジノ萬遊記)