この記事をまとめると

■1980年代には日本でアメ車は品質が低く燃費も悪いといわれていた

■筆者が80年代にアメリカでレンタカーに乗るとそんな日本での評価とは違っていた

■筆者がアメ車にハマるきっかけとなったクルマと出来事を伝える

アメリカでレンタカーのセントラを借りたらパンク

 筆者は大学3年生と4年生の春休みにアメリカ本土を、3年の時は1カ月半、4年の時は1カ月ほどブラブラと一人旅に出かけたことがある。当時は、“卒業旅行”と称してグループまたは、ひとりで海外へ長期の観光旅行に行くのが流行っていた。アメリカへのビザなしでの渡航が解禁となったばかりでもあり、まさにタイミングはバッチリであった。

 そんな学生旅行のハイライトは、ロサンゼルス及び近郊でレンタカーを乗り回すことであった。高校生の時に、支払い方法をクレジットカードにすれば、21歳からアメリカでメジャーなレンタカー会社でも借りられるというのを聞き、国際免許を日本で取得し、アメリカへ向かった。

 人生で初めてアメリカにおいてステアリングを握ったクルマは、アメリカ車ではなく日本車であった。学生時代のバイトで貯めた貯金が旅の資金なので、費用節約もあったが、当時はアメリカ車へはそれほど興味がなかったこともあった。

 ハリウッド大通りから少し外れた場所にある営業所で借り出した、黒系のボディカラーとなる、日産セントラ(サニー)が筆者としては初めてアメリカで運転したクルマとなる。ロサンゼルスを訪れる前に、ラスベガスに立ち寄った際に知り合った日本人の大学生とロサンゼルスで再会し、しばらくそのセントラで一緒に行動していた。そして、そろそろセントラの返却日が近いなあと思っていた矢先、左後輪がパンクしてしまったのである。

 スペアタイヤはもちろん、応急用のテンパータイヤなので、そのままフリーウェイを走るのも危ないかなと思い、レンタカー会社へ電話すると、「返却営業所にクルマを持ってきてくれ」とのことなので、ロサンゼルス国際空港近くの大きな営業所にセントラを持って行き、カウンターで事情を話したら、「●番の駐車枠に行って」とのことであった。実は同じレンタカー会社で、返却予定だったロサンゼルス国際空港の営業所でセントラを返却した後に1クラス上のクルマに乗り換えることになっていたのを、繰り上げてくれたのである。

 言われた番号の駐車枠へ行くと、そこに置いてあったクルマこそが、筆者が最初にステアリングを握ったアメリカ車となる、“プリムス リライアント”であった。

 プリムス リライアントは、同じくクライスラーブランドとなる、ダッジ アリエスの兄弟車となる。1981年にデビューしているのだが、リライアントとアリエスは別名“クライスラーKカー”とも呼ばれていた(プラットフォーム名が由来)。同じ時期にGM(ゼネラルモーターズ)では、Jカーというものがあり、当時物凄い勢いでアメリカにおいて売れていた日本車に対抗するモデルとして、FF方式で直4エンジンを搭載する、コンパクトセダンをアメリカンブランドで相次いで市場投入していたのである。

 ブルーメタリックのリライアントは、当時の筆者にはまさに未知の存在。全幅で見ると1700mmを少しオーバーする程度のサイズだったが、ベンチシートにコラムシフトという、当時の日本であっても、タクシーでしかまずはお目にかかれないインテリアに驚かされた。搭載エンジンは2.2リッター直4となり、これに3速ATが組み合わされていた。

 レンタカーとして下ろしたばかりのようで、車内には“新車の香り”が充満していた。当時は(いまも筆者は実施しているが)、アメリカ車はまだまだオーバーヒートするのは当たり前といったレベルだったので、借り出す前にボンネットを開け、エンジンオイルの汚れや量、リザーバータンクのチェック、タイヤの空気圧や亀裂などがないかの確認などをしておかないと、一度営業所を出てから故障が発生すると自己責任になるといわていた。そのためリライアントのボンネットを開けると、エンジンオイルはレベルゲージで確認できたが、リザーバータンクは透明ではなく真っ黒だったので、肉眼で確認することはできなかった。

乗って見たら燃費もよく日本で聞いていたイメージとは違う!

 もろもろの確認を終了しいざ出発。いまとなってみれば、搭載される2.2リッター直4エンジンは、当時の日本車の2リッターエンジンと比較すると、かなりトルクがあるなあという印象を持ったのを覚えている。絵にかいたようなベンチシートは、平板なデザインであったが、ホールド性もよく、快適だったのをいまも鮮明に覚えている。日本車を意識したモデルなのか、サスペンションは極端に柔らかいイメージではなかったと覚えている。

 もともと、タクシーが大好きだったので、コラムシフトも大好きだったのだが、コラムAT車を運転するのも初めてだったが、次第にすっかりはまってしまった。

 当時は“日米貿易摩擦”がまだまだひどかったころで、日本の報道番組では、新車のアメリカ車のドア内張をはがしたら、腐ったサンドイッチや空きコーラ瓶が出てきたなど、とにかく、「アメリカ車は燃費も悪いし、大きいし、品質も悪い」といったことが紹介されていた。80年代にデビューしたアメリカ車はとくに最悪の品質ともいわれたが、実際運転して見ると、確かに不安な部分や(念のためエアコンは使わず運転した)、当時の日本車と比べても古めかしい部分はあるが、シートの出来の良さや、トルク志向のエンジンなど、クルマとしての本質的な部分での性能としては、日本で言われているほど悪いものではないと思った。むしろ、当時の日本車よりは良い印象を受ける部分も目立っていた。

 当時のアメリカにおけるガソリン代は水(ミネラルウォーター)より安く、セントラでタンク半分ぐらいまで減った時に給油しても、日本円で400円程度だったことに衝撃を受けたことを覚えている。それでも、すでに「ガソリン価格が上昇している」ということだったが、リライアントクラスでは目立って燃費が悪いというイメージもなかった。

 このリライアントとの出会いが、筆者の“アメ車LOVE”に火をつけた。帰国後、銀座の行きつけの洋書屋さんで、アメリカの新車バイヤーズガイドを買いあさったりして、どんなモデルがあるのかの研究に没頭した。社会人になっても年に1回はロサンゼルスへ行き、ひたすらレンタカーを乗り回すようになり(ここ最近はコロナのせいで行けていない)、料金は高くなるが、ベンチシート&コラムシフト(ベンコラ)のアメリカ車のあるクラスを選び、ベンコラ車で快適なドライブを楽しんでいた。しかし、近年ではレンタカーといえば、日本車ばかりとなってしまったので、アメリカではタンク容量も含めてサイズが小さめなのだが、アメリカのカローラに乗って楽しむことも多くなった。

 まさに「百聞は一見にしかず」、日本の報道を見る限りでは、「アメリカ車なんかとんでもない!」という気分になるだけだったが、実際アメリカで運転すると、「言うほどひどくないというよりは、なかなかいいじゃない」という気持ちになった。

 この経験により、話を聞いた時に少しでもモヤモヤした時は、「とりあえず実際に見に行ってみよう」ということを心掛け実践している。