認知症の義母をやむなく自宅で介護。「居心地が悪い」発言にとうとう限界
親の介護はどこかのタイミングで考えておくもの。それが実の親かもしれませんし、結婚していたら義理の親かもしれません。
今回は、パーキンソン病と認知症を同時発症してしまった義理の母親を自宅で介護することになったという方にお話を伺いました。
自宅で義母の介護をすることになり、生活は一変(※写真はイメージです。以下同)
介護が必要になってしまった義母を自宅で看ることになったという大山薫さん(仮名・49歳)。そこに至った経緯と、施設に入所するまでの日々を振り返ってもらいました。
「去年の12月初頭です。夫の弟が義母の家の玄関を開けたら、そこに義母が倒れていたっていうんです。自分で起き上がれなくなっていました。パーキンソン病でした」
パーキンソン病は手足の震えや筋肉のこわばりが起き、運動障害を起こす病気です。義弟の連絡を受け、夫と一緒に病院に駆けつけた大山薫さん。医者から衝撃の宣告を受けました。義母は認知症も発症していたのです。
「3年前に義父が亡くなったんですが、義父は内弁慶の亭主関白。義母にいろいろと世話を焼かせていました。義母も気が強くて口が悪いので、決して仲のよい夫婦ではありませんでしたが、生活の質は保たれていたんでしょう。その義父が亡くなって、食事や掃除の手を抜くようになり、気がついたら後戻りできない状態でした」
病院での検査の結果、義母は「要介護3」の認定を受けました。この段階は排泄や入浴、着替えなど、日常生活全般において介助が必要。認知症も会話ができないほどひどくありませんが、つじつまが合わないこともある状態でした。医者からは「もう一人暮らしは無理。家族が引き取るか、施設に入れるか考えてください」と言われました。
「義母は入院するような病気とは違うので、治療と診断がすんだらすぐ家に帰されたんです。かといって、これまでどおり家に一人で置いておくわけにもいきません。一時的に、義母は家の近い義弟のところに行くことにしました」
大山さんの夫は51歳。その弟は大山さんと同じ年の49歳で妻と子ども2人の4人家族。義母の家から徒歩数分の賃貸マンションに暮らしていました。対して大山さんは、義母の家から電車で2時間近く離れた地域で、持ち家マンション暮らし。子どもはもうすぐ高校生になる男の子一人でした。
そういった状況で、義母が義弟の家に行ったのは自然だったといいます。徒歩数分という近さだけではなく、義弟は義母の家を自分の車の駐車場に使うほか、普段から義母と頻繁に交流していました。
「夏休みや正月に旅行に行ったり、週末に焼き肉や寿司屋に行ったり。それらの費用は義弟一家の分も全部、義母に出させていました。車だってタダで実家に置いているんです。うちがなにもしないつもりではありませんが、義母が困ったらまず義弟が助けて当然だという気持ちはありました」
そうは言っても、義弟家でずっと義母の面倒を見ることはできないだろうと考えていた大山さん。自宅介護をするのは入所する施設が見つかるまでとし、それまでは義弟家と大山さん家で、1年か2年の交代で面倒を見ようと話していたといいます。
「問題はとにかく施設が見つからなかったことです。甘かったですね。じつは薬と通院を始めたら、義母はみるみる元気になり、要介護3からもっと程度の軽い要支援2に回復したんです。ところが費用の安い施設は、要介護からしか利用できなかったり、要支援から入れるところは数十人待ちだったり。すぐ入れる施設は費用が高く手が出ませんでした」
とにもかくにも自宅介護をはじめたものの、義弟夫婦は2週間で音を上げました。義弟が「兄貴は長男のくせに、オフクロのことなにしてんの? うちはやってるのに」と文句を言ってきました。
「さんざんお義母さんにお金を出してもらっていたくせに、たった2週間でギブアップ。しかも相談してくるならまだしも、押しつけるために言いがかりをつけてきたような言い草でした。事前にお義母さんの面倒は交代で見ようという話もしていたのに、一方的にもほどがある。もともと期待はしていませんでしたが、あきれ果てました」
義弟は義母を病院に連れていくときも“ケチ”ぶりを発揮したといいます。駐車場代を出すのが惜しくて、近くの道路に路上駐車し、パーキンソン病の母親を一人で病院に行かせたのだそうです。また母親が自宅で倒れても助け起こすこともせず、「なにしてんの? さっさとどいて」とまで言い放ったそう。
「義母から“お兄ちゃんのところに行かせて”と泣きつかれてしまって。さらに義弟は信用できないから、お金の相談もできないと言うんです。さすがに義母も、義弟一家にたかられていると感じていたようです。もううちで引き取ると言わざるを得ませんでした」
その頃、夫がリストラに遭い、時間ができたこともあって、大山さんは義母を引き取ることを承諾しました。ただし条件をつけたといいます。施設に入ることを前提として、引き取るのはそれまでの期間とすること。そして、義母の面倒は夫がすべて見て、自分はなにもしない、の2つでした。
「私はアルバイトでしたが毎日フルタイムで働いていました。夫がリストラに遭ったのに息子の高校にお金がかかる。コロナでシフトが減ってしまったこともあって、夜勤の仕事も始めたところでした。私になにかしろなんて無理な話です」
大山さんの言った条件は義母にも夫から話し、承諾した上で家に来ることになりました。義母を迎えるにあたって、大山さんは自宅の部屋の使い方を変更。義母と夫はリビング横の和室に寝てもらい、義母の部屋は和室としました。大山さんはそれまで夫が使っていた玄関脇の小部屋を自分の部屋に。
「でもやっぱり大変でした。自分の家なのに、くつろげないんです」
義母は一日じゅうリビングで過ごし、ほとんど外出しません。夜勤明けから次の仕事の始まるまでの数時間リラックスしようと思っても、リビングに義母がいれば気を遣いました。大山さんは帰ると玄関脇の部屋に直行し、ほとんどそこで過ごすようになりました。さらに夜もなかなか寝つけなかったそう。
「義母は間に合わないのでオムツをしていましたが、基本的にはトイレに行きました。ただ頻尿で、夜間も1時間おきに行くんです。足が弱っているので、途中で転ぶ。その音で、夫も私も目が覚めてしまいました」
家族の負担を軽減するための“命綱”である介護サービスも、費用の都合で思ったようには利用できなかったといいます。
「週末だけは宿泊サービスを利用しました。週末になると悪いけど、『やっと(義母が)いなくなってくれた…』という気持ちでした。ただ宿泊サービスは介護保険適用外で、うちが利用していた施設では毎週使うと月10万円くらいでした。本当は平日も使いたかったけどさすがに無理でした」
義母の飲酒癖も問題だったといいます。体が不自由になった義母の楽しみといえばお酒を飲むこと。ただ薬が効かくなるため、「夕飯のときにコップ1杯まで」と約束したといいますが、昼間、一人でいるときに飲んでしまいました。
「お酒を高い棚の上に移動して、勝手に飲めないようにしたんです。すると息子に酒を取らせるようになって。息子もダメだよ、といいながら義母に言われたら断りきれません」
義母は一人にしておけばお茶をこぼしたり、転倒したりしてしまいます。おむつの交換も必要です。夫の新しい仕事もスタートすると、いよいよ自宅介護は限界に。
「挙句の果ては義母が『この家、居心地悪い』なんて言ったんです。私も義母に負けず劣らず気が強いので、それでカーッとなって『なに言ってんの! ふざけんじゃないわよ!』って。たださすがにこのときは夫も母に怒って。自分の親だから優しくしたいけど、家族も自分もいっぱいいっぱい。最後は夫がいちばん、母親にイライラしていました」
「もう限界だ、もう無理! と思って、あとは早かったです。ネットで介護施設を検索できるポータルサイトを見つけて、片端から電話しました。200件くらいかけたんです。そうしたらなんと、年金の範囲で、要介護や要支援の状態を問わずに面倒を見てくれる施設が近隣県であったんです。しかも個室。ここしかないと思ってすぐに見に行きました」
大山さんがその介護施設を見つけたのは3月の末。義母さんを前年の暮れに引き取ってから、3か月とちょっとでした。
「義母には『行きたくない』と泣かれました。でもうちも限界。施設か義弟のところか、どちらかしかないと夫から話しました。義母はそれでも義弟の家はいやだったみたいで、最後はしぶしぶ承諾したんです」
施設に行く日には“映画のように”義母が泣き、罪悪感でいっぱいだったという大山さん。でも今では全員にとってよい選択だったと感じているといいます。介護施設は、義母と同年代の地元のやり手実業家が経営しており、よくも悪くも「緩い」部分が、義母に合っているそう。
「施設の運営が管理的ではないんです。お酒やたばこもOKですし、社長が自分のポケットマネーでカラオケに連れていってくれたりもします。お酒は『月3本まで』と決めてうちから送り、その範囲で飲ませてくれています」
最近義母と電話で話したところ、同じ施設の96歳のおばあさんにいじめられていると文句を言っていたと言います。大山さんはそんな義母に「気が強いんだから、言い返しなさいよ」とはっぱをかけたと笑います。もし症状が悪化し再び要介護認定を受けたら、以前は入れなかった施設に再度申請するつもりです。それまでは、今の場所で楽しんでほしいと思っているとか。
「今はコロナで行けないんですが、以前、見に行ったときには、何だかんだ文句を言いながら楽しそうでした。ずっと世話をしてくれる専門のスタッフさんもいますし、おもしろい経営者もいます。時間的にも経済的にもゆとりのないわが家にいて一人でお酒を飲んでいるより、ずっといいんじゃないでしょうか」
大変だった日を乗り越え、義母にとっても大山さん夫妻にとってもいい環境に落ち着きました。
※この内容は個人の体験談であり、地域や施設によって異なることがあります。
<取材・文/長根典子>
今回は、パーキンソン病と認知症を同時発症してしまった義理の母親を自宅で介護することになったという方にお話を伺いました。
自宅で義母の介護をすることになり、生活は一変(※写真はイメージです。以下同)
義母が倒れ施設が見つかるまで、自宅を介護をすることに…地獄だった日々とその後
●義母が倒れた!パーキンソン病に認知症も発症
「去年の12月初頭です。夫の弟が義母の家の玄関を開けたら、そこに義母が倒れていたっていうんです。自分で起き上がれなくなっていました。パーキンソン病でした」
パーキンソン病は手足の震えや筋肉のこわばりが起き、運動障害を起こす病気です。義弟の連絡を受け、夫と一緒に病院に駆けつけた大山薫さん。医者から衝撃の宣告を受けました。義母は認知症も発症していたのです。
「3年前に義父が亡くなったんですが、義父は内弁慶の亭主関白。義母にいろいろと世話を焼かせていました。義母も気が強くて口が悪いので、決して仲のよい夫婦ではありませんでしたが、生活の質は保たれていたんでしょう。その義父が亡くなって、食事や掃除の手を抜くようになり、気がついたら後戻りできない状態でした」
病院での検査の結果、義母は「要介護3」の認定を受けました。この段階は排泄や入浴、着替えなど、日常生活全般において介助が必要。認知症も会話ができないほどひどくありませんが、つじつまが合わないこともある状態でした。医者からは「もう一人暮らしは無理。家族が引き取るか、施設に入れるか考えてください」と言われました。
●入所できる施設が見つからない!
「義母は入院するような病気とは違うので、治療と診断がすんだらすぐ家に帰されたんです。かといって、これまでどおり家に一人で置いておくわけにもいきません。一時的に、義母は家の近い義弟のところに行くことにしました」
大山さんの夫は51歳。その弟は大山さんと同じ年の49歳で妻と子ども2人の4人家族。義母の家から徒歩数分の賃貸マンションに暮らしていました。対して大山さんは、義母の家から電車で2時間近く離れた地域で、持ち家マンション暮らし。子どもはもうすぐ高校生になる男の子一人でした。
そういった状況で、義母が義弟の家に行ったのは自然だったといいます。徒歩数分という近さだけではなく、義弟は義母の家を自分の車の駐車場に使うほか、普段から義母と頻繁に交流していました。
「夏休みや正月に旅行に行ったり、週末に焼き肉や寿司屋に行ったり。それらの費用は義弟一家の分も全部、義母に出させていました。車だってタダで実家に置いているんです。うちがなにもしないつもりではありませんが、義母が困ったらまず義弟が助けて当然だという気持ちはありました」
そうは言っても、義弟家でずっと義母の面倒を見ることはできないだろうと考えていた大山さん。自宅介護をするのは入所する施設が見つかるまでとし、それまでは義弟家と大山さん家で、1年か2年の交代で面倒を見ようと話していたといいます。
「問題はとにかく施設が見つからなかったことです。甘かったですね。じつは薬と通院を始めたら、義母はみるみる元気になり、要介護3からもっと程度の軽い要支援2に回復したんです。ところが費用の安い施設は、要介護からしか利用できなかったり、要支援から入れるところは数十人待ちだったり。すぐ入れる施設は費用が高く手が出ませんでした」
●実の母親に冷たくあしらう義弟。うちで引き取るしかない状況に
とにもかくにも自宅介護をはじめたものの、義弟夫婦は2週間で音を上げました。義弟が「兄貴は長男のくせに、オフクロのことなにしてんの? うちはやってるのに」と文句を言ってきました。
「さんざんお義母さんにお金を出してもらっていたくせに、たった2週間でギブアップ。しかも相談してくるならまだしも、押しつけるために言いがかりをつけてきたような言い草でした。事前にお義母さんの面倒は交代で見ようという話もしていたのに、一方的にもほどがある。もともと期待はしていませんでしたが、あきれ果てました」
義弟は義母を病院に連れていくときも“ケチ”ぶりを発揮したといいます。駐車場代を出すのが惜しくて、近くの道路に路上駐車し、パーキンソン病の母親を一人で病院に行かせたのだそうです。また母親が自宅で倒れても助け起こすこともせず、「なにしてんの? さっさとどいて」とまで言い放ったそう。
「義母から“お兄ちゃんのところに行かせて”と泣きつかれてしまって。さらに義弟は信用できないから、お金の相談もできないと言うんです。さすがに義母も、義弟一家にたかられていると感じていたようです。もううちで引き取ると言わざるを得ませんでした」
●義母との生活…自分の家が自分の家でないように
その頃、夫がリストラに遭い、時間ができたこともあって、大山さんは義母を引き取ることを承諾しました。ただし条件をつけたといいます。施設に入ることを前提として、引き取るのはそれまでの期間とすること。そして、義母の面倒は夫がすべて見て、自分はなにもしない、の2つでした。
「私はアルバイトでしたが毎日フルタイムで働いていました。夫がリストラに遭ったのに息子の高校にお金がかかる。コロナでシフトが減ってしまったこともあって、夜勤の仕事も始めたところでした。私になにかしろなんて無理な話です」
大山さんの言った条件は義母にも夫から話し、承諾した上で家に来ることになりました。義母を迎えるにあたって、大山さんは自宅の部屋の使い方を変更。義母と夫はリビング横の和室に寝てもらい、義母の部屋は和室としました。大山さんはそれまで夫が使っていた玄関脇の小部屋を自分の部屋に。
「でもやっぱり大変でした。自分の家なのに、くつろげないんです」
●週末に宿泊介護サービスを利用するも10万円の出費に…
義母は一日じゅうリビングで過ごし、ほとんど外出しません。夜勤明けから次の仕事の始まるまでの数時間リラックスしようと思っても、リビングに義母がいれば気を遣いました。大山さんは帰ると玄関脇の部屋に直行し、ほとんどそこで過ごすようになりました。さらに夜もなかなか寝つけなかったそう。
「義母は間に合わないのでオムツをしていましたが、基本的にはトイレに行きました。ただ頻尿で、夜間も1時間おきに行くんです。足が弱っているので、途中で転ぶ。その音で、夫も私も目が覚めてしまいました」
家族の負担を軽減するための“命綱”である介護サービスも、費用の都合で思ったようには利用できなかったといいます。
「週末だけは宿泊サービスを利用しました。週末になると悪いけど、『やっと(義母が)いなくなってくれた…』という気持ちでした。ただ宿泊サービスは介護保険適用外で、うちが利用していた施設では毎週使うと月10万円くらいでした。本当は平日も使いたかったけどさすがに無理でした」
●自宅介護の限界…ついに家族ゲンカに発展
義母の飲酒癖も問題だったといいます。体が不自由になった義母の楽しみといえばお酒を飲むこと。ただ薬が効かくなるため、「夕飯のときにコップ1杯まで」と約束したといいますが、昼間、一人でいるときに飲んでしまいました。
「お酒を高い棚の上に移動して、勝手に飲めないようにしたんです。すると息子に酒を取らせるようになって。息子もダメだよ、といいながら義母に言われたら断りきれません」
義母は一人にしておけばお茶をこぼしたり、転倒したりしてしまいます。おむつの交換も必要です。夫の新しい仕事もスタートすると、いよいよ自宅介護は限界に。
「挙句の果ては義母が『この家、居心地悪い』なんて言ったんです。私も義母に負けず劣らず気が強いので、それでカーッとなって『なに言ってんの! ふざけんじゃないわよ!』って。たださすがにこのときは夫も母に怒って。自分の親だから優しくしたいけど、家族も自分もいっぱいいっぱい。最後は夫がいちばん、母親にイライラしていました」
●必死で施設を探すため全国に電話。義母は泣いて嫌がり…
「もう限界だ、もう無理! と思って、あとは早かったです。ネットで介護施設を検索できるポータルサイトを見つけて、片端から電話しました。200件くらいかけたんです。そうしたらなんと、年金の範囲で、要介護や要支援の状態を問わずに面倒を見てくれる施設が近隣県であったんです。しかも個室。ここしかないと思ってすぐに見に行きました」
大山さんがその介護施設を見つけたのは3月の末。義母さんを前年の暮れに引き取ってから、3か月とちょっとでした。
「義母には『行きたくない』と泣かれました。でもうちも限界。施設か義弟のところか、どちらかしかないと夫から話しました。義母はそれでも義弟の家はいやだったみたいで、最後はしぶしぶ承諾したんです」
●施設に入ったら、結果的によかった
施設に行く日には“映画のように”義母が泣き、罪悪感でいっぱいだったという大山さん。でも今では全員にとってよい選択だったと感じているといいます。介護施設は、義母と同年代の地元のやり手実業家が経営しており、よくも悪くも「緩い」部分が、義母に合っているそう。
「施設の運営が管理的ではないんです。お酒やたばこもOKですし、社長が自分のポケットマネーでカラオケに連れていってくれたりもします。お酒は『月3本まで』と決めてうちから送り、その範囲で飲ませてくれています」
最近義母と電話で話したところ、同じ施設の96歳のおばあさんにいじめられていると文句を言っていたと言います。大山さんはそんな義母に「気が強いんだから、言い返しなさいよ」とはっぱをかけたと笑います。もし症状が悪化し再び要介護認定を受けたら、以前は入れなかった施設に再度申請するつもりです。それまでは、今の場所で楽しんでほしいと思っているとか。
「今はコロナで行けないんですが、以前、見に行ったときには、何だかんだ文句を言いながら楽しそうでした。ずっと世話をしてくれる専門のスタッフさんもいますし、おもしろい経営者もいます。時間的にも経済的にもゆとりのないわが家にいて一人でお酒を飲んでいるより、ずっといいんじゃないでしょうか」
大変だった日を乗り越え、義母にとっても大山さん夫妻にとってもいい環境に落ち着きました。
※この内容は個人の体験談であり、地域や施設によって異なることがあります。
<取材・文/長根典子>