【戸塚啓コラム】日本サッカーの2020年を振り返る「代表掛け持ちの是非」
2020年もあと1か月を切った。サッカー界も新型コロナウイルスの世界的な感染拡大に襲われ、世界各国でリーグ戦の延期、中止、無観客での試合開催といった措置が取られた。
コロナウイルスによってスポーツの世界も一変してしまったが、そのなかでも記憶にとどめておくべきトピックスはある。2021年を迎える前に、日本サッカー界の2020年を振り返っておきたい。
最初に触れるべきは、1月のAFCU―23選手権だろう。
前年11月に広島で行なわれたU―22コロンビア戦に、森保一監督は海外クラブに所属する板倉滉、中山雄太、菅原由勢、堂安律、久保建英、三好康児、食野亮太郎、前田大然を招集した。ケガさえしていなければ、冨安健洋もリストアップされていただろう。
U―23選手権の開催時期は、ヨーロッパ各国でリーグ戦が行なわれていた。彼らを拘束することはできない。タイにやってきた海外組は食野だけで、その彼もグループステージ3試合のみの参加予定となっていた。
森保監督は19年のコパ・アメリカとE−1選手権で、U−22世代を日本代表にデビューさせている。U−23選手権のメンバーでは、GK大迫敬介、DF渡辺剛、古賀太陽、橋岡大樹、MF杉岡大暉、田中駿太、森島司、相馬勇紀、遠藤渓太、FW上田絢世、小川航基らが、国際Aマッチのピッチに立っていた。
U−23選手権は東京五輪最終予選の位置づけを持つが、開催国の日本は出場権を持っている。それだけに、海外組の招集に固執しなかったのだろう。同時に、森保監督は国内組だけでも戦える、との手ごたえをつかんでいたに違いない。
ところが、結果は予想外のものとなった。
サウジアラビア、シリア、カタールとのグループステージで1勝もできず、まさかの最下位に終わったのである。
サウジアラビアとの初戦では、1対1で迎えた88分にPKで決勝点を奪われた。最終ラインでのパスミスが致命傷となった。
3日後のシリア戦は、初戦をなぞるような展開となる。先制され、追いつき、89分に被弾してしまった。この時点でグループステージ敗退が決まった。
カタールとの最終戦では、前半終了間際に退場者を出してしまう。それでも先制点をあげたものの、78分にPKを与えて同点に持ち込まれた。1対1の引分けで終えるのが精いっぱいだった。
五輪世代が挑むアジアの大会は、アジア大会と五輪予選がある。アジア大会は98年から年齢別の大会となったが、1勝もできなかったことは一度もない。2010年は大学生を含むメンバーで挑み、金メダルを獲得している。
五輪予選は96年から16年まで、6大会連続で突破してきた。五輪予選とは関係のない年度のU−23選手権でも、ベスト8には勝ち残っている。
今年1月のグループステージ敗退は、過去最低の結果だったのだ。森保監督とサッカー協会に、批判が集まったのも当然である。
海外組が漏れなく参加できていれば、結果は違っただろう。ただ、五輪は本大会でも選手の拘束力がない。出場の確約を取り付けていても、クラブ事情で白紙撤回されることも起こり得る。
16年リオ五輪ではストライカーの久保裕也が、大会直前にクラブから合流を拒否された。当時所属していたヤングボーイズのFW陣に、ケガ人が出たことが理由だった。
U−23日本代表は新型コロナウイルスの感染拡大によって、U−23選手権以降のスケジュールがすべてキャンセルされた。チームとしての強化は進んでいない。
一方で、今シーズンのJ1、J2では五輪世代の活躍が目ざましい。海外組も奮闘している。夏の移籍マーケットでは遠藤渓太が横浜F・マリノスからヘルタ・ベルリン(ブンデスリーガ1部)へ、藤本寛也がJ2の東京ヴェルディからジル・ヴィセンテ(ポルトガル1部)へ新天地を求めた。
国内でプレーしている選手だけでも、チェックすべき対象は飛躍的に増えている。新型コロナウイルスの感染拡大による空白期間を埋めるために、限られた時間のなかでも可能な限り活動をしていきたい。
森保監督が日本代表と五輪代表の指揮官を兼ねるのは、もはや限界がある。
来年3月には延期されたカタールW杯アジア2次予選が再開され、五輪代表も同じタイミングで強化を進めていくはずだ。金メダルと目標とするなら、活動のない期間も対戦相手のスカウティングや候補選手の視察などに時間を費やさなければならない。
森保監督は日本代表に専念し、五輪代表は横内昭展コーチに任せるべきだ。横内コーチは監督代行の立場で、これまでも活動の多くで陣頭指揮を執ってきた。チーム作りに支障はない。
兼任監督の難しさが指摘されるたびに、技術委員会は自分たちとコーチ以下のスタッフがサポートする、と説明してきた。その結果が、U−23選手権での惨敗である。これ以上の掛け持ちは現実的ではないと考える。
(次回は新型コロナウイルスによるJリーグの延期について触れます)。
コロナウイルスによってスポーツの世界も一変してしまったが、そのなかでも記憶にとどめておくべきトピックスはある。2021年を迎える前に、日本サッカー界の2020年を振り返っておきたい。
最初に触れるべきは、1月のAFCU―23選手権だろう。
U―23選手権の開催時期は、ヨーロッパ各国でリーグ戦が行なわれていた。彼らを拘束することはできない。タイにやってきた海外組は食野だけで、その彼もグループステージ3試合のみの参加予定となっていた。
森保監督は19年のコパ・アメリカとE−1選手権で、U−22世代を日本代表にデビューさせている。U−23選手権のメンバーでは、GK大迫敬介、DF渡辺剛、古賀太陽、橋岡大樹、MF杉岡大暉、田中駿太、森島司、相馬勇紀、遠藤渓太、FW上田絢世、小川航基らが、国際Aマッチのピッチに立っていた。
U−23選手権は東京五輪最終予選の位置づけを持つが、開催国の日本は出場権を持っている。それだけに、海外組の招集に固執しなかったのだろう。同時に、森保監督は国内組だけでも戦える、との手ごたえをつかんでいたに違いない。
ところが、結果は予想外のものとなった。
サウジアラビア、シリア、カタールとのグループステージで1勝もできず、まさかの最下位に終わったのである。
サウジアラビアとの初戦では、1対1で迎えた88分にPKで決勝点を奪われた。最終ラインでのパスミスが致命傷となった。
3日後のシリア戦は、初戦をなぞるような展開となる。先制され、追いつき、89分に被弾してしまった。この時点でグループステージ敗退が決まった。
カタールとの最終戦では、前半終了間際に退場者を出してしまう。それでも先制点をあげたものの、78分にPKを与えて同点に持ち込まれた。1対1の引分けで終えるのが精いっぱいだった。
五輪世代が挑むアジアの大会は、アジア大会と五輪予選がある。アジア大会は98年から年齢別の大会となったが、1勝もできなかったことは一度もない。2010年は大学生を含むメンバーで挑み、金メダルを獲得している。
五輪予選は96年から16年まで、6大会連続で突破してきた。五輪予選とは関係のない年度のU−23選手権でも、ベスト8には勝ち残っている。
今年1月のグループステージ敗退は、過去最低の結果だったのだ。森保監督とサッカー協会に、批判が集まったのも当然である。
海外組が漏れなく参加できていれば、結果は違っただろう。ただ、五輪は本大会でも選手の拘束力がない。出場の確約を取り付けていても、クラブ事情で白紙撤回されることも起こり得る。
16年リオ五輪ではストライカーの久保裕也が、大会直前にクラブから合流を拒否された。当時所属していたヤングボーイズのFW陣に、ケガ人が出たことが理由だった。
U−23日本代表は新型コロナウイルスの感染拡大によって、U−23選手権以降のスケジュールがすべてキャンセルされた。チームとしての強化は進んでいない。
一方で、今シーズンのJ1、J2では五輪世代の活躍が目ざましい。海外組も奮闘している。夏の移籍マーケットでは遠藤渓太が横浜F・マリノスからヘルタ・ベルリン(ブンデスリーガ1部)へ、藤本寛也がJ2の東京ヴェルディからジル・ヴィセンテ(ポルトガル1部)へ新天地を求めた。
国内でプレーしている選手だけでも、チェックすべき対象は飛躍的に増えている。新型コロナウイルスの感染拡大による空白期間を埋めるために、限られた時間のなかでも可能な限り活動をしていきたい。
森保監督が日本代表と五輪代表の指揮官を兼ねるのは、もはや限界がある。
来年3月には延期されたカタールW杯アジア2次予選が再開され、五輪代表も同じタイミングで強化を進めていくはずだ。金メダルと目標とするなら、活動のない期間も対戦相手のスカウティングや候補選手の視察などに時間を費やさなければならない。
森保監督は日本代表に専念し、五輪代表は横内昭展コーチに任せるべきだ。横内コーチは監督代行の立場で、これまでも活動の多くで陣頭指揮を執ってきた。チーム作りに支障はない。
兼任監督の難しさが指摘されるたびに、技術委員会は自分たちとコーチ以下のスタッフがサポートする、と説明してきた。その結果が、U−23選手権での惨敗である。これ以上の掛け持ちは現実的ではないと考える。
(次回は新型コロナウイルスによるJリーグの延期について触れます)。
1968年生まれ。'91年から'98年まで『サッカーダイジェスト』編集部に所属。'98年秋よりフリーに。2000年3月より、日本代表の国際Aマッチを連続して取材している