「国民全員にPCR検査を」ワイドショーがそう煽りつづける本当の理由
■PCR検査の「大論争」でかすんだ重要課題
9月16日に菅内閣が発足した。コロナ対応に関しては、西村康稔・コロナ担当大臣は留任、加藤勝信・厚労大臣は官房長官に転じ、自民党でコロナ対策本部長を務めてきた田村憲久氏が厚労大臣に就任した。
基本的に、これまでの方針を踏襲する人事と考えてよいだろう。感染状況は落ち着きつつあるが、コロナ対応の課題は山積みだ。
冷え込んだ経済の再点火、季節性インフルエンザとのダブル流行に備えた検査・医療体制の拡充、感染症法上の取り扱い(指定感染症二類相当以上)の見直し、コロナ特措法の見直しの検討(強制権限を伴う措置、国と自治体の役割分野などの課題)など、安倍政権で積み残された課題は多い。これまでの反省点は軌道修正しつつ、迅速な対応が進むことを期待したい。
ここ数カ月のコロナ対応を巡っては、「PCR検査」が異常なほどに注目を集めた。テレビのワイドショーなどで連日のように取り上げられ、専門家やコメンテーター、国会議員らも巻き込んで、「推進派」vs.「抑制派」の大論争が繰り広げられた。検査にばかり焦点が当てられ、そのほかの重要課題が霞んでしまっていた感すらあった。
■当たり前のことが、いまだに実現していない
「PCR検査論争」については、8月19日に刊行した高橋洋一氏との共著『国家の怠慢』の冒頭で論じた。結論は、
・他方で、「検査を増やすべきでない」との主張も極論、
・なすべきことは「必要な検査ができるよう検査能力の拡充」、
ということだ。
当たり前じゃないかと感じる人も多いだろう。本のもとになった対談を行った当時(対談は何度かにわけて行ったが、このくだりは4月)、正直いうと「本が出る頃には当たり前すぎて、つまらない話になっているのでは」と心配していた。残念ながら、本にとっては良かったのかもしれないが、杞憂だった。今もなお、PCRをはじめとする「検査論争」(抗原検査、抗体検査も含め)は続いている。
■結論は出ているのに、マスコミや国会の「全員検査」論は収まらない
政府の検査方針は明確に示されている。7月の「新型コロナウィルス感染症対策分科会」提言を受け、以下のように整理された。
2)無症状で感染リスク・可能性の高い者(濃厚接触者、感染拡大地域・組織などに属する者、医療機関・高齢者施設、海外からの入国者など):検査を拡充
3)無症状で感染リスク・可能性の低い者(特に感染が疑われる事情はないが不安なので検査希望など):感染拡大防止の効果は低いが、自費での検査はあり得る。
この方針に沿って、当面はインフルエンザ感染期に備えた「抗原検査一日20万件」の確保(8月28日発表)など、検査体制の拡充が進められている。
3)の検査がなぜ意味が乏しいかは、分科会提言の中で説明され、専門家による解説も数多くなされている(一例を挙げれば、https://toyokeizai.net/articles/-/373155)。ここで詳しくは繰り返さないが、私なりに言えば、この検査は「感染者をできるだけ見つける」ための検査(3割程度の見落としは生じる)であって、「非感染の証明」には使えない。だからターゲットを絞って「必要な検査」を行うべき、ということだ。私からみれば、至極もっともな整理であり、「PCR検査論争」はこれでもう決着のはずだ。
ところが、マスコミや国会での「全員検査」論は収まらない。予算委員会の閉会中審査では、参考人招致された専門家が「感染集積地では全住民検査。それ以外の地域ではいつでも誰でも無料検査」を提唱(7月16日予算委員会での児玉龍彦氏配布資料)。その具現化を目指す「世田谷モデル」が脚光を浴び、迷走しつつも期待を集めている。「PCR検査」はいまだに一大争点のままだ。
■国際比較のデタラメ
論争の混迷を深めているのが、「海外では桁違いの検査を行っている」といった国際比較だ。少し前になるが、日経新聞9月4日付記事『増やせぬコロナ検査 日本に4つの課題』では、「日本の検査数は欧米に見劣りする」と題するグラフが掲げられた。
マスコミや野党だけではない。新厚労大臣の田村氏も、与党議員として4月に国会質問した際、国際比較のグラフを掲げて「日本の検査数は圧倒的に少ない」と指摘したことがあった。
こうした国際比較のあやしさも、『国家の怠慢』で指摘した。感染規模が日本と桁違いの欧米諸国で、桁違いの検査が行われているのは当たり前だ。これと比べて「欧米諸国は検査をたくさんやっていて素晴らしい」と賞賛する意味はないし、「検査数を欧米並みに」と提唱する根拠にもならない。国際比較を都合よく用いる典型例だが、これも相変わらず続いている。
大量検査が感染抑制につながるとの議論もなされがちだが、根拠不明だ。主要国の検査数と感染者数の推移をみても、そんな形跡はない。検査をたくさんやっている米国は感染者数がなかなか減らない。ロシアは初期段階から検査数が多かったが感染拡大し、高止まりが続く。オーストラリアやフランスは大量検査を続けながら第2波に見舞われた。
■不思議な「海外を見習え」論
一方で、「検査数が欧米に見劣り」する日本や韓国の感染者数は少なく、別格で感染抑制に成功してきた台湾の検査数はさらに「見劣り」する。
都市単位で「ニューヨークは感染抑え込みに成功。東京は失敗。差を生んだのはPCR検査の数」といった説もあるが、これもデータをみればそうは見えない。ニューヨークは桁違いの感染拡大を経て、ようやく東京のピーク水準に落ち着いてきたところだ。不思議な「海外を見習え」論にしかみえない。さらに、検査だけでなく、店舗の営業停止などの強力な感染対策が継続されてきたこともなぜか見落とされている。
「検査数が多ければ死亡者が少ない」(陽性率7%未満では死亡率が少ないなど)との説も春頃に盛んに唱えられた。これも最新データを見ても、そんな相関関係はありそうにない。ちなみに、4月初めに「陽性率が低く、死亡者が少ない」代表例だったロシアやカナダはその後状況が一変してしまった。
■危機を煽る視聴率ビジネスと検査ビジネス
こんなことは、データをちょっとみたらわかる話だ。それなのに何故、テレビや新聞はこんな国際比較をもっともらしく示し、「欧米並みの検査を」「全員検査を」と唱え続けてきたのだろう。
裏側には、視聴率やスポンサーとの関係などの事情もあったのでないかと思う。「日本のコロナ対策はおかしい。これから恐るべき感染拡大が起きるはず」と危機を煽れば、テレビでは視聴率アップに貢献しやすい。
一方で、危機だからといって「経済活動を止めるべき(例えば、旅行は一切ストップすべき)」と唱えるのは、スポンサー(例えば、旅行に関わる企業も多い)との関係で好ましくない。
そこで、「欧米並みの検査を」、「検査さえ増やせば、経済活動を止めずに感染を抑えられる」などと、“検査が魔法の杖”論を振りかざすのがビジネス視点で好都合だったはずだ。さらに、経済活動再開を強く願う経済界や、検査が収益につながる医療機関や検査ビジネスなどの期待に応えた面もあったのかもしれない。
■マスコミ報道に歪められた真実
マスコミ報道はこれに限らず、歪められていることが少なくない。例えば、ここ数年の間、モリカケ・桜など安倍政権の疑惑が大きく取り上げられてきた。もちろん政権の対応におかしな点もあったが、根拠の乏しい疑惑報道もしばしばあった。
加計問題では私は政策決定に関わった当事者だったが、私からみて、明らかにでっち上げの“疑惑”追及もあった。それにもかかわらず、こうした“疑惑”が国会で野党から追及され、マスコミ・国会の連携プレーで争点が作られてきた面が否めない。
こうしたマスコミと国会の絡み合う問題や今後の展望についても『国家の怠慢』の中で論じた。関心があればご覧いただきたい。
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原 英史(はら・えいじ)
政策工房代表取締役
1966年生まれ。経済産業省などを経て2009年「(株)政策工房」設立。著書に『岩盤規制 誰が成長を阻むのか』(新潮新書)など。
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(政策工房代表取締役 原 英史)