「実は神奈川」のネタでお馴染みの東京都町田市

形は神奈川に盲腸のごとく食い込み、過去には実際神奈川の一部だったという歴史を持つなど、間違いなく東京の自治体ではあるのだが、神奈川とは切っても切れない関係にある。

そんな状況を踏まえてなのか、町田市内のショッピングビル「町田パリオ」には約6年にわたってこんな垂れ幕がかかっていた。


今では違う垂れ幕に(画像はちょも@cyomozouさん提供)

「まちだはまちだ」

東京でも神奈川でもない。ここは「町田」―― そんな町田市民の声が聞こえてきそうだ。シンプルな言葉だが重みを感じる。町田の独立宣言といっても過言ではないだろう。

現在はすでに違うものになっているが、なぜこのような垂れ幕を掲示したのか。Jタウンネットは2019年10月7日、町田パリオの担当者に取材した。

制作者の思いを聞いた

担当者によれば、この垂れ幕は13年から19年9月上旬まで掲示されてきた。町田パリオは、町田の新しいシンボルを作るワークショップを開催し、「43万人のまちだ」という新たな垂れ幕を制作。9月18日から掲示している。

「まちだはまちだ」の垂れ幕を描いたのは、イラストレーターのキン・シオタニさん。13年に日大三高(町田市)が甲子園に出場した際、ビルのオーナーから「日大三高優勝おめでとう」という垂れ幕を描いて欲しいとの依頼を受たことがきっかけだ。

すぐに制作したものの、日大三高は甲子園優勝を逃し、垂れ幕はお蔵入りに。しかし、この垂れ幕を使って何か面白いことができそうだと思ったシオタニさんは、自ら「何かやらせてください」とお願いしたという。

シオタニさんは「まちだはまちだ」の文言にした理由について、

「『町田は都会(=町田は町だ)』だということと、『東京と神奈川が混在していること』を言葉にしようと思い、ひらがなで『まちだはまちだ』と書きました。仕事帰りに電車に乗って、ふとこの懸垂幕に気づいてもらい、『?』となったら少しは会社の疲れを別の方向に持っていけるんじゃないかと狙っているわけです」

と話す。

約6年にわたって町田を見守り続けてきた垂れ幕。今は新しいものに交代してしまったが、市民に愛されていたことは確かなようで、

「反響は予想以上に大きく、待ち合わせ場所になったり、親しんでもらっている噂を耳にするのでありがたいです。町田は大好きな街なので、これからも色々できたらと思います」

とシオタニさんは話している。