異次元の強さだったキングカメハメハ。安藤勝己「誰が乗っても勝てた」
「あの馬は、強かったね。負かしてやろうと挑んだけど、跳ね返されてしまった」
何年か前、2004年のGI日本ダービー(東京・芝2400m)を振り返って、蛯名正義騎手はそう漏らした。
蛯名騎手は、このダービーで最大の”ダークホース”と見られていたハイアーゲームに騎乗していた。そして、その蛯名騎手に「強かった」と唸らせたのが、このときのダービーを圧勝したキングカメハメハだ――。
2004年の日本ダービーを制したキングカメハメハ
かねてからの免疫機能の低下により、種牡馬を引退していたキングカメハメハが8月9日、体調の急変によって死亡した。18歳だった。
GI NHKマイルC(東京・芝1600m)とダービーの、いわゆる”変則二冠”を初めて達成した馬だ。マイラーのスピードと、中長距離戦に勝つためのタフさを併せ持った稀有な馬だった。
3歳秋に屈腱炎により引退したため、GI勝ちはこの2つのみ。他の「名馬」と言われる馬に比べると、その数字は寂しく映るかもしれないが、戦績自体は8戦7勝と輝かしい。それに何より、記録より記憶に残る馬だった。キングカメハメハが残した印象は、並みの名馬などには及ばないほど鮮烈だった。
とりわけ記憶に残るのが、2004年のダービー。その前の、NHKマイルCでの5馬身差圧勝も強烈だったが、ダービーで見せた強さは、ただの”強さ”ではなかった。
本当に強い馬とは、「こうやって勝つものだ」という”凄み”のようなものを見せてくれた。冒頭の蛯名騎手の「強かったね」というコメントにも、そのことがよく表われている。
そのダービー。
断然の1番人気を背負ったキングカメハメハは、4コーナー入口付近で早くも先頭をうかがう。府中の直線は長い。4角先頭は、いわば禁じ手と言うに近い。
だが、馬の能力に絶対的な自信を持つ主戦の安藤勝己騎手は、果敢にその戦法を取った。
そして、キングカメハメハをぴったりマークしていた3番人気のハイアーゲームも、それに付いていった。
ハイアーゲームも、前走では強敵ぞろいの青葉賞(東京・芝2400m)をレコードタイムで完勝。「ダービーで青葉賞馬は勝てない」とジンクスがあったものの、当時猛威を振るっていたサンデーサイレンス産駒ということもあって、「この馬なら」という期待を集めていた。
直線で先頭に立とうとするキングカメハメハ。それを外から競り潰しにかかるハイアーゲーム。
ハイアーゲームの手綱を取る蛯名騎手は、確かにキングカメハメハを「負かしにいった」のだ。この捨て身のチャレンジが、のちにこのレースを「名勝負」と呼ばせることになる。
しかし、ハイアーゲームがわずかに前に出たかに見えたその直後、そこから勝負は一気につく。
蛯名騎手の手が激しく動くも、その叱咤にハイアーゲームが応えられない。一方、キングカメハメハの手応えは、ハイアーゲームから見れば無慈悲なほどに確かだった。
2頭の差はみるみると開いていく。ゴール前でさらに手応えが怪しくなっていったハイアーゲームは、結局後ろから脚を伸ばしてきたハーツクライにも差されて3着に沈んだ。
終わってみれば、無謀とも思えるレースをしながら、キングカメハメハが従来の記録を2秒も縮めるレコードタイムで勝利を飾った。
4角先頭の競馬で、しかも競りかけるライバルを捻り潰した。そのうえ、レコードタイムでの快勝劇。まさに破格の強さだった。
のちに、主戦の安藤騎手は、キングカメハメハのダービー制覇について「どう乗っても勝てた」と語り、さらに「誰が乗っても勝てた」とまで言った。
それほど、キングカメハメハの強さは次元が違ったということだろう。
そうして、キングカメハメハは種牡馬となってからも、周囲の期待に十二分に応えた。
ロードカナロアという後継馬をのこし、そのロードカナロアからも、アーモンドアイ、サートゥルナーリアといった強い馬が生まれている。
さらに、ロードカナロアのあとには、ドゥラメンテ、レイデオロと2頭のダービー馬も輩出。いずれも、後継馬としての期待も高まっている。
今年の春、繁栄するキングカメハメハ系について、安藤元ジョッキーに話を聞く機会があった。その際、彼はこんな話をしてくれた。
「キングカメハメハは、乗りやすくて操縦性の優れた馬だった。ロードカナロアの産駒を見ると、その操縦性のよさがロードカナロアを通して受け継がれているような気がする」
キングカメハメハは、日本の競馬界に大きな遺産をのこして逝った。合掌――。