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G20サミットを目前に控え

今週末28日、29日に、いよいよ大阪G20(主要国・地域)サミットが開かれる。安倍晋三首相にとっては、参院選を来月に控える中、一世一代の外交の晴れ舞台となる。

だが世界の視線が集まるのは、議長役の安倍首相に対してではなく、太平洋の両サイドから来日する「ビッグ2」である。昨年来、エスカレートしている米中貿易戦争と、5G(第5世代無線通信システム)を巡る米中ハイテク覇権戦争は今後、どうなっていくのかということだ。

その二人、米ドナルド・トランプ大統領と中国・習近平主席は、すったもんだの末、先週18日に電話会談を行い、G20サミットの期間中に、米中首脳会談を行うことが決まった。中国国営新華社通信の報道によれば、電話会談で習主席は「合則両利、闘則倶傷」(合わされば則ち両者に利があり、闘えば則ち共に傷つく)という言葉を強調したという。

先週、G20財務大臣・中央銀行総裁会議(6月8日、9日 福岡)を仕切り、大阪G20サミットのキーパーソンでもある財務省の浅川雅嗣財務官に短時間、話を聞く機会があった。そこで米中首脳会談についての見解を訊ねたところ、次のように述べた。

「大阪で米中首脳会談をやらないとしたら、これは大変なことだった。二人の会談も久しぶり(昨年12月のブエノスアイレスG20以来)だしね。だからトランプ大統領と習近平主席が、まず会うことに意味がある。会談の成果については、なかなかすぐにすべてはまとまらないだろうが、これから一歩一歩だろう」

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そんな中で、米中首脳会談で新たな火種になる可能性が出てきたのが、香港の大規模デモである。トランプ大統領の腹心であるマイク・ポンペオ国務長官は、16日にFOXニュースに出演し、こう強調した。

「香港で起きていることを注視している。香港市民らは、大切だと考えていることについて声を上げている」

香港の市民団体は、G20サミット直前の26日夜と、直後の7月1日に、大規模デモを予定している。7月1日の香港返還22周年を前に、近隣の日本でG20が開かれるということで、香港の自由と民主が中国に脅かされている現状を、大きく世界にアピールしようという狙いだ。そしてその動きに、トランプ政権が乗っかるという構図である。

「雨傘運動」とは違う結末

思い起こすのは、5年前のことだ。

2014年11月の北京APEC(アジア太平洋経済協力会議)の直前にも、香港で「雨傘運動」が起こった。これは、2017年に行われる香港行政長官(香港トップ)選挙が、当初予定されていた直接選挙にせず、中国政府が推薦した候補者たちによる選挙にすると中国が規定。これに香港市民が反発し、学生を中心に中環(セントラル)などに集結して、警察の催涙弾に「抗議の雨傘」を振って起こしたデモだった。

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だが「雨傘運動」は、強硬な習近平政権の命を受けた香港当局によって、完膚なきまでに蹴散らされた。首謀者たちは逮捕され、活動家の一部は買収された。

その結果、一年後の2015年11月に行われた香港区議会議員選挙では、建制派(親中派)が298議席、民主派が106議席、「雨傘運動」のリーダーたちはわずか8議席と、親中派の圧勝となった。その前後に、中国の発禁書を扱う書店経営者ら5人が、中国当局に拘束される事件も起こった。

その後、2017年7月1日の香港返還20周年の際には、習近平主席が香港にやって来て、香港人には不慣れな軍事パレードを敢行して凄んだ。それは、1997年の返還の際、「50年変えない」(香港基本法第5条)とした「一国二制度」に関して、「一国があってこその二制度だ」ということを、740万香港市民に見せつける意味があった。

このような中国政府の「攻勢」が続く中、香港市民は今回、再び立ち上がった。「逃亡犯条例」の改正問題が、直接の原因だった。

4月17日、立法会(香港議会)に逃亡犯条例の改正委員会が設置され、7月1日の香港返還22周年までの成立を目指すとした。

だが、そもそも香港市民には中国政府に対する根強い不信感がある中で、この法律が改正されると、自分たちがいつ中国大陸に連行されるか知れないとして、市民の怒りが「爆発」したのだ。

そうしたことから日ごと、デモの数は膨れ上がっていった。6月12日のデモでは、警察側が150発以上の催涙弾を使用し、さらに市民が反発。デモが100万人を超えたところで、林鄭月娥行政長官が15日、5日後に予定されていた条例案改正の議決を延期すると発表した。

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だが「延期」が発表されたにもかかわらず、翌16日には、これまでで最多の200万人近くがデモに参加。これに対して林鄭月娥長官は18日に記者会見を開いて、香港市民に改めて謝罪した。

「今回の改正案の議論で、対立と社会不安を招いたことに対して、すべての香港市民に心から謝罪します」

さらに21日夜には、香港行政庁報道官が、「改正作業を完全に停止し、来年7月に廃案となる事実を受け入れる」との声明を発表した。

5年前の「雨傘運動」と違って、抗議した市民の側の完全勝利だった。香港政庁とそのバックにいる中国政府にとって、大阪G20が間近に迫る中で、人権問題でトランプ政権に攻撃されたくないという判断が働いたのは確実だ。

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香港市民のストレス

だが冒頭述べたように、それでもデモは終わらない。この現象を、いったいどう解釈すればよいのだろうか?

私は6月上旬に、香港を訪れた。そこで目にしたのは、未曽有の不景気と、不景気から来る香港市民のストレスだった。

一例を示すと、香港でタクシーに乗った。ほぼワンメーターに近い25香港ドル(約350円)の距離である。青年運転手が、やたら愛想がよいので、しばし雑談したが、何と私が、その日最初の客だという。

「早朝から何時間、市内を走っても客が取れない。もう運転手を辞めたいけど、辞めても他に職がない……」

彼は、広東語訛りの中国語でこぼした。そう言われて気づいたが、通りを走っていたり、どこかへ横づけされているタクシーは、ほぼすべて空車だった。

なぜ香港は、これほど不景気になってしまったのだろう? 考えられる要因は、いくつかある。

まず短期的には、米中貿易戦争の余波である。海運、金融、不動産で経済を動かしている香港は、米中対立の影響をモロに受けているのだ。

香港特別行政区庁が5月17日に発表した今年第1四半期の実質域内総生産(GDP)の伸び率は、前年同期比で0.6%だった。2018年第4四半期の同1.2%から大幅に縮小し、リーマン・ショック以降、過去10年で最低となった。特に、輸出総額が前年同期比4.1%減と落ち込んだことが原因だ。

失業率は、注意を要する3%ラインには達しておらず、2%台後半で推移している。だが香港の通りを歩くと、ヒマそうにブラブラしている若者たちが実に多い。彼らが「デモ予備軍」になっていることは疑いなかった。

また長期的に見ると、香港が不景気をかこっている理由は、中国による「香港軽視」の影響が大きい。香港返還22周年が近づく中、中国大陸では「香港不要論」まで飛び交い始めているのである。

香港はただの経由地

「香港不要論」には、主に3つの側面がある。第一に、中国人観光客による「香港不要論」である。

昨年、香港を訪れた域外の観光客は、前年比11.4%増の6510万人。そのうち全体の78%を占めたのが、中国大陸からの観光客で、前年比14.8%増の5100万人だった。

この数字だけ聞くと、「爆買い」の中国人観光客が増えて、香港経済は潤っていると思えてしまうが、これにはカラクリがある。多くの中国人観光客は、いったん香港に出て、そこからランタオ島にある香港国際空港を経由して、世界中に向かうのである。

昨年、日本の総人口を超える延べ1億4000万人もの中国人が海外(域外)旅行に出たが、多くの中国人はもはや香港には関心を抱いていない。つまり香港は、ただのトランジットの場所なのだ。

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私は今月上旬、深圳北駅から香港西九龍駅まで高速鉄道(新幹線)に乗った。わずか18分だったが、車内にはウキウキと会話を交わす若い中国人グループで溢れていた。会話の様子から、進行方向右手の女子大生3人組は、ヨーロッパ周遊。前方の若夫婦と幼稚園児の家族は、オーストラリアとニュージーランドへ行く途上だった。

いずれも香港は、「ただ経由するだけ」である。それでも香港西九龍駅に降りると、まず中国の出境手続きをして、その後、香港の入境手続きを行う。その際、入境事由には「観光」にチェックするから、ただ香港国際空港に行くだけの中国人たちも、「香港を訪れた中国人観光客」にカウントされてしまうのだ。

「香港離れ」が進むワケ

「香港不要論」の2番目は、隣接する経済特区の深圳が巨大化したことによるものだ。

昨年の深圳市のGDP(域内総生産)は、前年比7.6%増の2兆4221億9800万人民元だった。一方香港は、前年比3%増の2兆8453億1700万香港ドルで、2018年の香港ドル・人民元の平均為替レートを適用すると、2兆4000億9800万人民元。

つまり、ついに深圳市のGDPが香港を超えたのである。すでに北京市と上海市は超えているから、中国本土で3都市目となる。だが、香港人は深圳を、長く「格下」と見てきただけに、香港市民の間で「深圳ショック」が広がった。

そもそも深圳は、1980年に「改革開放の総設計師」蠟小平が、「ここにもう一つの香港を作る」として、中国初の経済特区に指定したことから始まった。当時は人口3万人の漁村に過ぎなかったから、香港人はむろん、中国共産党の幹部たちさえ、「蠟小平の夢想」を嘲笑したものだ。

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ところがいまや、人口で2倍に達し、ついに経済でも超えてしまったのである。こうしたことから、私は今月上旬に深圳を訪問した際、「香港不要論」を何度か聞いた。例えば、深圳の大手中国企業幹部は、こんな話をしていた。

「何より不便で仕方ないのは、深圳から海外出張に行く際、わざわざ香港を経由しないといけないことだ。わが社から香港国際空港まで、車で3時間もかかり、その間に2回も税関チェックが入る(中国の出境と香港の入境)。

それで1400万深圳市民は、近くにある宝安空港(深圳国際空港)からの国際便をもっと増やしてほしいと願っている。だが、北京政府が首を縦に振らない。なぜならそれをやると、本当に香港が衰退してしまうからだ。『一国二制度』での台湾統一を目指す北京政府は、香港を『一国二制度』の成功例として台湾人に示したいから、香港が衰退してしまっては困るのだ」

「逃亡犯条例」を巡って200万人もの香港市民にデモを起こされては、「一国二制度の成功例」もあったものではないと思うが、この深圳人ビジネスマンの心情は、私にも理解できた。

日本から空路で香港国際空港に降り立つと、第2ターミナルゲートから、大量の中国人が直接、深圳に向かう姿を目にする。その手段は、タクシー、乗り合いバス、鉄道とあるが、共通しているのは、わざわざ香港ドルに両替せず、直接人民元で代金を支払おうとすることである。

香港人はそれを嫌がり、「人民元で支払うなら香港ドルと同額にする」と凄む。だが、たかだか13%程度の差であり、中国人たちは少し高い消費税くらいに思って「OK!」となる。つまり、中国人にとって香港ドルは、かつては「闇取引してでも欲しい通貨」だったが、いまや「不要な通貨」と化しているのである。

多くの中国人が、香港へ来て何よりイラつくのは、中国国内では当然のスマホ決済が、なかなかできないことである。香港は日本と似て、いまだ現金主流社会であり、しかも香港ドルのコインは旧イギリス式で重たい。ほとんどの中国人は、すでに財布さえ持っていないから、「こんな重たいもの持って歩けるか!」と思ってしまうのだ。

前出の深圳人ビジネスマンは、こうも言っていた。

「以前は『憧れの香港』という目で見ていて、香港出張があると、家族や会社の同僚などから大量の買い物を頼まれたものだ。だがいまでは、香港に入境するたびに、陳腐で遅れた街に思えてならない」

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実は私も、今回深圳から香港に高速鉄道で入った時、同じような心象を持った。深圳のピカピカの摩天楼と較べて、香港の摩天楼はいささか古ぼけて見えるのだ。これが郊外の住宅街のマンション群になると、さらにその差が顕著である。

思えば、中国の周辺国・地域が、中国の大都市に較べて古ぼけて見えると最初に感じたのは、10年ほど前に台湾を訪れた時だった。それまでは「台湾=中国大陸よりモダンで先進的」というイメージだったが、その頃から印象が逆転した。

次は、5年ほど前のソウルである。そして最近は、悲しいことに東京。今回は香港でも、同様のことを感じた。

こうしたことに伴って、日本企業でもこのところ、「香港離れ」が起こっている。香港国際空港から深圳行きの乗り合いリムジンに乗ったら、乗車した6人の客のうち5人が日本人だった。私以外は、深圳の日系企業駐在員である。そのうちの一人、日本の大手企業の幹部駐在員は、こう述べた。

「わが社では、香港事務所はすでに畳んで、深圳を50人規模に増やしています。いままでは香港が、広東省を発展させる牽引役になってきましたが、これからは広東省が、香港を支えていくという時代になるのは明白だからです。実際、香港の証券市場で上場している企業も、過半数が中国大陸の企業です」

以前は、香港>広東省、もしくは香港>深圳だったのが、広東省>香港、もしくは深圳>香港という時代が到来しつつあるということだ。

1997年に返還された時、中国と香港のGDP比は、5.4対1だった。つまり香港は、中国全体の2割近くの経済力を占めていたのだ。それが昨年は、37対1。香港の経済力は中国全体の2.7%に過ぎず、中国では「香港不要論」が起こっているというわけだ。

香港は誰のものか

中国による「香港不要論」の3つ目の理由は、香港のかつての「母国」だったイギリスの衰退である。

香港の近現代史は、1840年のアヘン戦争(中英戦争)で清朝が破れ、南京条約で香港島をイギリスに割譲させられたことに端を発する。その後、1898年には新界地域(中国大陸側)も99年間、イギリスの租借地とさせられた。

そして99年後の1997年7月1日、香港はようやく元の中国に返還された。当時、私は香港で取材したが、約150年ぶりに「植民地からの解放」が実現したというのに、650万香港人に歓喜の声は聞かれず、むしろ不安や悲観論が飛び交っていた。

沙田にあった香港歴史博物館にも足を運んだが、「イギリスの植民地」の歴史を、大いに誇っていた。多くの香港人は返還時も現在も、イギリスの植民地にされたことを、肯定的に捉えているのだ。自分たちは中国大陸と異なり、自由と民主、そして先進国の一部だというわけだ。

香港を「アジアの先進地域」たらしめている最たるものが、EUの金融センターであるロンドンのシティと直結した「アジアの金融センター」としての地位だった。返還当初は、北京政府もこれを大いに重視し、北京→香港→ロンドンという流れで人民元の国際化を図ろうとした。

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だが、2016年6月にイギリスで国民投票が行われ、Brexit(EU離脱)が決まると、状況は一変した。ロンドンに紐づいていた香港の金融センターとしての地位が、急降下していったのである。いまやアジアの金融センターは、シンガポールに取って代わろうとしている。

それとともに、中国国内では「香港不要論」が喧しくなり、「早く広東省と一体化してしまえ」という流れになったのである。

この流れに拍車をかける出来事が、昨年秋に2つあった。一つは、約9年の工事を経て、昨年10月に「港珠澳大橋」が開通したことだ。広東省珠海市と香港のランタオ島、マカオの3ヵ所を結ぶ世界最長55?の海上大橋である。

昨年10月23日に珠海で行われた大橋の開通式には、習近平主席も出席。「広東省、香港、マカオを一体化した発展を加速させる」と述べた。これは聞こえはいいが、要は「今後は香港を広東省の一部のように取り込んでいく」ということに他ならない。

もう一つは、昨年9月23日、中国の高速鉄道(新幹線)が香港まで伸長されたことである。いわゆる広深港高速鉄道の全面開通で、これによって北京と香港は8時間56分で直接結ばれた。

これも一見すると便利になって香港市民にとって吉事と思えるが、開通にあたって香港市民の猛烈な抗議に遭った。それは北京政府が、中国本土と香港との税関を、終着駅の香港側の西九龍駅に定めたからだった。

通常の陸地なら、香港と中国大陸とのボーダーに出入境の税関が定められている。だが高速鉄道でそんなことをしたら、いちいちボーダーで時速190?の高速鉄道を停めなければならなくなる。それは不便だということで、中国側は終着駅がよかろうとした。「客の利便性」を前面に押し立てた老獪な戦術だった。

香港側にしてみれば、それを許せばボーダーが香港の中心街まで延びてきて、「中国支配」が進むことを意味する。「一国二制度」を踏みにじるものだ。だが結局、建設費用を負担しているのは主に中国側ということもあり、強引に押し切ってしまった。

深圳北駅から香港側の西九龍駅までわずか18分、深圳中心部の福田駅からなら14分で、乗ってみて分かったが、これは本当に便利である。高速鉄道はほぼ10分に1本走っているので、まさに香港と深圳の一体化につながる。

だが高速鉄道が終着駅に滑り込んだ時、私は香港人のささやかな「抵抗」を見た気がした。ホームには「西九龍」と大書されていたのだ。

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中国の高速鉄道なら「西九龙」と簡体字になるべきだ。ところが香港側は「西九龍」と繁体字にこだわった。

中国大陸側から高速鉄道に乗って来た中国人たちは、ホームのこの表示を見て、「別世界にやって来た」ことを痛感させられる。一方、香港人にとってみれば、「自由世界にお帰りなさい」と映るというわけだ。

日本人である私も、香港人と同様の心情になった。何せ深圳北駅の駅舎内には、習近平主席の肖像画と「交通強国」と書かれた巨大なスローガンが掲げられていたのだ。

いずれにしても、今回の「逃亡犯条例」を巡る問題は、氷山の一角であり、その奥には「香港は誰のものか」という本質的な問題が横たわっている。その意味で、「香港人の噴火」は一過性のものではなく、これからも様々な場面で起こってくると考えるべきである。そしてそれが台湾問題にも影響してくるだろう。