決勝のブラジル戦では小川(9番)が同点弾を決めた。写真:サッカーダイジェスト

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 準優勝は望外の結果と言ってもいいかもしれない。
 
 過去にはクリスティアーノ・ロナウドやデイビッド・ベッカムといった大物プレーヤーが通過点とし、若手の登竜門として国際的な知名度を誇るトゥーロン国際大会で、U-22日本代表が大きな足跡を残した。

 
 今回のチームは最初から大きな期待を掛けられていた訳ではない。三好康児や久保建英など、多くの主力選手たちがコパ・アメリカに招集。その影響で、いわば“2軍”と言えるメンバーでの戦いを余儀なくされていたからだ。初招集の選手が7名となり、森保一監督に代わってチームを預かる横内昭展監督代行も「初めての選手も多かったので、ちょっと静か。大丈夫かなと思っていた」と不安を口にしていた。
 
 だが、蓋を開けてみると、グループリーグを力強い戦いで首位通過。準決勝ではメキシコに2度リードされながらもPK戦で勝利を掴んだ。6月15日のファイナルでもブラジルに真っ向から勝負し、PK戦の末に惜敗したものの、先制されながら小川航基のゴールで同点に追い付くなどタフに戦い抜いた。
 
 一戦ごとに逞しさを見せたU-22日本代表。コパ・アメリカに参戦している主軸候補生たちの不在が彼らに反骨心を生み、その結果が今回の準優勝に結び付いたと言える。その想いは試合だけではなく、大会中のトレーニングからも垣間見え、選手たちは口々にそうした想いを隠そうとしなかった。
 
「選ばれたメンバーを見た時に、何か、言い方悪いですけど、サブメンバー感が出ていた。見返してやりたいじゃないけど、こっちで結果を残すしかない」(長沼洋一)
「コパに行けなかった悔しさはある。そこで今大会で結果を残してアピールしたい思いが強かった」(岩崎悠人)
 
 こうした彼らの気持ちがエネルギーとなり、日本チーム史上初の決勝進出という大きな成果を生んだ。では、具体的な収穫は何だったのか。それは決勝まで勝ち上がり、ブラジルとの対戦で良くも悪くも経験値を積んだ点だ。その代表格がFWの小川と旗手怜央である。
 
 所属クラブの磐田で出場機会を得られていなかった小川は、今大会4試合に出場。準決勝で値千金の同点弾を奪うと、1トップで先発出場を果たした決勝でも持ち前のゴールセンスを存分に発揮。39分にはワンチャンスを生かし、難易度の高いボレーシュートを左足でねじ込んだ。
 
 2017年5月のU−20ワールドカップで左膝の十字靭帯断裂および半月板損傷の重傷を負って以降、小川は決して周囲の期待に応えられてはいなかっただけに、ブラジルを向こうに回して目に見える結果を残せた意味は大きい。
 
 ゴール以外のプレーに関しても、「ブラジルに対して、自分がどういうプレーができるかというのはすごく楽しみにしていた。ポストプレーで収めることはできたと思います」と本人は手応え十分。完全復活を果たしたというには時期尚早だが、磐田に戻って多くの試合に絡めば、本来の姿を取り戻すまでに多くの時間は掛からないだろう。
 
 一方で、勝負の厳しさを味わったのが旗手だ。
 
 今大会は2戦目にハットトリックを決めるなど、やはり目に見える形で結果を残した。豊富な運動量も健在。守備面での貢献度もずば抜けて高かった。3−4−2−1のシャドーで起用されたブラジル戦でも相手DFとボランチの間でボールを引き出し、攻撃の潤滑油になった。
 
 だが、悔いが残ったのが最後のPK戦。5人目のキッカーとして登場すると、迷いが出てシュートを阻止された。この瞬間にチームの敗北が決定。ピッチの上で涙を流し、誰よりも悔しさを露わにした。
 
 
「最後に一番強いブラジルとやれた。結果的に負けたけど、自分の人生の中で大きな財産になったと思うし、目の前であんなに喜ばれる経験も今までしたことがなかった」
 
 本人が語った通り、本気度の高いメンバーで挑んできたブラジルに敗れ、心底悔しさが残る体験は、まず日本ではできない。旗手にとっては、今後につながる“PK失敗”だった。
 
 反骨心を持って、未知の風景に触れた選手たち。コパ・アメリカ組が南米で強豪国に揉まれる一方で、トゥーロン組が味わった体験もまた貴重だ。「次の招集の時にはもう一回り成長した彼らとまた一緒にやりたい」とは横内監督代行の言葉。ブラジル戦が彼らの未来を変える第一歩となるかもしれない。
 
構成●サッカーダイジェストWeb編集部