現在の三重県南部に明治初期およそ5年間だけ存在したという幻の県「度会(わたらい)県」が復活し、公式サイトで「度会県民」を募集している。


度会県公式サイトより

募集されている「度会県民」は、なにも三重県南部地域出身の人に限らない。この取り組みを面白いと思う人を幅広く募集している。「県民参加型プロジェクト」や「度会県民の集い」へ参加しながら、それぞれの関わり方でまったく新しい地域づくりを行っていく。

ネット上に幻の県が復活するとは、一体どういうことなのか。Jタウンネット編集部は詳しい話を聞いてみた。

古き良き思い出を抱きながら

「度会県」は明治4年(1871年)の廃藩置県に伴って誕生。9年(76年)に「三重県」(現在の三重北部)と統合されるまでの約5年間存在した。そんな「幻の県」の復活は、総務省の補助事業として始まり、「観光以上、移住未満」として地域や住民とかかわる人々を指す「関係人口」に着目し、新たな地域づくりを目指していく。

Jタウンネット編集部は2018年8月23日、三重県南部地域活性化局担当者に話を聞くと、県南部では、若者世代の人口流出や高齢化によって集落機能の維持が困難となっている地域も増えているという。地域の課題を踏まえ、なにかできないか考えていたところ、今年が明治150年ということもあり、度会県をネット上で復活させようという声が上がったとのことだ。

20日に公式サイトが公開となってから「度会県民」に申請した人は予想以上に多いそうだ。23日の時点で200人を超える申請があり、幅広い年齢層の人から県民申請が来ているという。

「度会県の誕生を機に、初めて南部地域のことを知ったという人もいるかもしれませんし、南部地域が出身でも今は遠く離れたところに住んでいるという人もいるかもしれません。今回のことがちょっとでも関わりを持つきっかけになってくれたらと思っています」

今後も地域を主体として様々なプロジェクトを行っていく予定だ。第1弾として尾鷲(おわせ)市にて廃校となった九鬼小学校の活用をテーマとしてフィールドワークを実施する「九鬼かいぞく学校」が8月25日、26日に開催される。10月13日には東京日本橋の三重テラスにて「県民の集い」の開催が予定されている。

復活した度会県。新たな県民とまったく新しい地域活性化を行っていく。今後の動向に目が離せない。