川上量生が振り返るニコニコ動画の10年「“オワコン”なんて何度も言われてます」
2006年12月12日に『ニコニコ動画(仮)』がスタートしてから間もなく10年!
数々のアイドルやクリエイターなどを生み出し、視聴者をPCの前に釘づけにしたオバケコンテンツの誕生秘話と当時の熱気をインタビューでプレイバック!
第1弾は、ニコ動をスタートさせた“ニコニコ動画の父”川上量生(のぶお)氏が10年間をふり返る!
■プレミアム制度はただのクレーム対策
―開始当初はニコ動が10年間も続くと思いましたか?
川上 当時、みんなから「ニコ動ってサービスはめちゃくちゃオモシロいけど、絶対半年後にはなくなるよね」って言われてたから(笑)、なんとか5年は続けようっていうのが僕の目標でしたね。
―それはなぜ?
川上 そりゃいろいろ問題があったから。もともとニコ動は、YouTubeに投稿されたものを引用してコメント付き動画を再生する寄生サイトみたいな形だった。でもYouTubeのアクセスのほとんどがニコ動からになっちゃったから向こうからアクセスを切断されたりして。
―その結果、サービスを一時中断せざるをえなくなりましたが、1ヵ月後にはアカウント制にして再開。会員になるまで何ヵ月も待たなくてはいけない状況でした!
川上 アクセスするユーザーが多すぎて、アカウントを発行しても2ヵ月、3ヵ月待ち…ってどんどん増えていって、最終的には半年待ちくらいになったのかな。
―そこで「このサービスはいける!」という手応えが?
川上 手応えというか、YouTubeからアクセスを切断されてからつくった自前のサーバーだと、推定ユーザーの10分の1しかさばけない。だから、会員制にして毎週サーバーを増設してさばき切れる分だけ新規会員を受け入れるってことを繰り返してたけど、新規登録が半年待ちになったときはもうどうしよう、やけくそって感じで(笑)。
―サーバーをいくら増やしても追いつかない状況?
川上 それでプレミアム会員制度をつくりました。実はこれは儲けるためじゃなくて、ただのユーザーのクレームよけ。既存ユーザーは「新規を入れると動画が重くなる」と言ってきて、登録待ちのユーザーは「早く入れろ!」って言ってくる。
でもプレミアム会員をつくれば、「動画が重い!」とか「早く登録させろ!」なんて言ってるユーザーがいたら、「金払ってプレミアム登録しろ貧乏人!」ってユーザー同士で争ってくれるかなと(笑)。そしたらみんな入ってくれて、黒字化できるかも、って算段になったんですよ。
―そして、ニコ動といえばやはりコメント機能です。
川上 2ちゃんねるに、テレビを見ながらリアルタイムで書き込む実況文化がもともとあって、あれを動画でやるなら画面にコメントを流すのが一番いいなと。だから当初は、2ちゃんのユーザーを母体にニコ動を大きくしようと思ってたんです。
今だから言えるけど、2ちゃんにYouTubeの動画リンクを張ったら、ニコ動のコメント付き動画へ誘導するような仕組みをつくれないかと、当時2ちゃんの管理人のひろゆき(西村博之)と話をしてたんです。結局実現はしなかった、というよりその必要もなくニコ動は人気が出てくれましたが。
―では、ニコ動人気の火つけ役は2ちゃんねらー?
川上 それがそうでもなくて、2ちゃんのコアユーザーが、サービス開始してすぐにニコ動にやって来たんですけど、荒らすだけ荒らして帰っていった(笑)。彼らがいなくなって落ち着いた頃に、ネットのライトユーザーが集まってきて話題になり始めたら、コアユーザーが戻ってきたんですよ。「ニコ動は俺たちの植民地だ」みたいな感じで(笑)。そこで、ネットのコアユーザーとライトユーザーが融合して、独特の文化が生まれたんです。
―ニコ動によってさまざまなアマチュアクリエイターも注目されるようになりました。
川上 日本は世界的にも二次創作が盛ん。その要因は、当時の世界中の動画サイトで唯一僕たちだけがパトロールをして著作権侵害動画を削除したことにあると思ってます。ユーザーたちが「消されたんだったら自分たちで楽しむしかない」と二次創作を始めた。それによって、ニコ動は世界的に特別なサイトになった。
―若者文化を変えてきたニコ動ですが、最近では“オワコン”扱いされることも…。
川上 今まで何度もオワコンって言われてます(笑)。でもそう言ってる人ってただ自分が見るのをやめたユーザー。ユーザーは必ず移り変わるし、そもそもUGC(ユーザー主体のコンテンツ)をベースにしたサイトって寿命は2、3年っていわれてるんです。でもニコ動は10年続いてる。これは異常なことなんです。
―それはマーケットを守るための運営努力のおかげですか?
川上 マーケットが成熟したら必ず競合が起こるから、そうしたらそのマーケットは欲しい人が取ればいいし、僕は次のマーケットで勝負をするだけ。僕はマーケットを守るよりも、世の中や文化をどう変えられるかってことのほうに興味があるので。
―ニコ動で新たな文化を確立できたと思った瞬間は?
川上 ニコ動に投稿されたレミオロメンの『粉雪』のPVに、歌詞に合わせて画面をコメントで埋め尽くす「合唱」という“弾幕”文化が生まれたときですね。そんなの今まで見たことがなくて、こんな遊び方があるのかと。
―ただ、こういった動画は著作権が問題になりがちでした。
川上 だから僕らは権利元から許可を取って、二次創作を堂々とできる環境づくりをしてきました。まだグレーな部分もあるし、著作権者は正式に許可したくなくても、黙認したりむしろ二次創作を喜ぶこともあるじゃないですか。そういうものに関しては杓子定規(しゃくしじょうぎ)じゃない世界はあったほうがいい。
現代は平和だし、複雑だし、人間はルールを作るのが好きだからなんでもかんでも規制したがる。でもそんなの絶対オモシロくない。そういう意味では、ニコ動はネット文化にひとつの物語を提供できたのかなと思います。
◆『週刊プレイボーイ』47号「10周年! ニコニコ動画クロニクル」では、システム開発・戀塚昭彦、演歌歌謡界の女王・小林幸子、ラジオパーソナリティ・鷲崎健、漫画家・ルーツ、アイドル・愛川こずえのインタビューも掲載!
●川上量生(かわかみ・のぶお)
7年ほどサラリーマンを経験した後、独立してドワンゴを創業。着メロなどの携帯電話関連事業に進出し、同社を急成長させた。その後、ニコニコ動画をスタートさせ、現在は同社代表取締役会長として新サービスを次々と展開
(取材・文/武松佑季(A4studio) 撮影/下城英悟)