ただ、勘違いしてほしくないのは、監督と選手という関係だった時期には、プライベートでは一切、会ったことがないということ。『お前はキャプテンだが、プレーが悪くなったら外す』と監督から言われ続けましたし、選手と監督という関係は少しも崩れていなかったと思います」
――コロンビアに敗れた翌日の取材で話を聞いた時に感じたことなのですが、長谷部選手は日本のために活躍したいと思う半面、一度くらいレギュラーの座を脅かされたいと考えていたのではないのか、と。
 
「それはありましたよ。例えば、ボランチはヤットさん(遠藤保仁)と僕で6年くらいコンビを組んでいたけど、ボランチの選手がそんなに長く代表で一緒にやるのは珍しいでしょうし、他の選手に抜いてもらうくらいでないと、チームとしても困るなあと思うことはありました」
 
――もちろん、レギュラーである自分からそれを言い出すのは難しい。
 
「難しいですけどね。うーん、なんて言えばいいんだろう……」
 
――例えば、まだ代表のキャプテンマークを一度も巻いたことのなかった2010年南アフリカ・ワールドカップ前の時点で、長谷部選手はすでに「チームを引っ張るのは俺だ、という気持ちでやっている」と何度も発言していました。
 
「そうですね。もちろん、ブラジル大会の時もサブで良いと思ってやっている選手はひとりもいなかったはず。ただ、すごくいいレギュラー争いができていたかというと……、そこは少し足りなかったかなと思う部分はありました。個人的に代表とは、『選ばれるところ』ではなく、『試合に出るところ』だと思いますし、そういう感覚で代表に来ないと、それ以上はない気もします」
 
――長谷部選手が初めて代表に選ばれた時は、どうでしたか?
 
「(2006年1月に)ジーコ監督から初めて代表に呼ばれた時、僕はまだ21歳だったのですが、『ドイツ・ワールドカップに絶対に出るぞ』と思っていたんです。監督からは『代表には序列があるから』と言われたのですが、『じゃあ、序列を崩してやる』と意気込んでいて。練習や試合でもそれなりに良いプレーができた手応えがあって、『これ、行けるんじゃないかな?』と自分でも思った時がありました(笑)。
 
 まあ、結局ドイツ・ワールドカップのメンバーには選ばれなかったのですが、その後(2008年1月に)ドイツに渡って半年弱で代表に呼ばれた時には、『自分がチームの中心になろう』と思いました」
 
――当時は24歳ですね。
 
「代表の練習に行った時、『レギュラー、いけるな』と少し思いましたから(笑)。フィジカル的な部分もパススピードもそう。ドイツのサッカーに慣れていたから、『オレが中心になってやらないとダメだ』と思いましたね。
 
 もちろん、監督の好みもあるから難しい部分はありますが、代表に選ばれるだけじゃなく、自分がチームを引っ張って世界に勝つというくらいの気持ちをみんなが持たないといけない。2010年のワールドカップが終わった後に岡ちゃん(岡崎慎司)、長友(佑都)、(香川)真司、ウッチー(内田篤人)などが海外で活躍するようになり、そういう気持ちをみんなが持ってやってきた。そういう選手が多ければ多いほど、代表チームは強くなっていくし、若い選手が出て競争が激しくなれば自分自身も成長できますからね」
――ここまでの話を聞く限り、長谷部選手の視線はすでに2018年のロシア・ワールドカップを捉えていそうです。
 
「いや、今考えているのは目の前のことだけで、4年後はまだ想像していないです。自分自身はまだまだ成長できると思っているから、すべてを全力疾走でやっていくだけ。この1、2年は、今までのサッカー人生で一番いい時期を過ごせているという感覚が自分の中にあるから」