17年に渡り甲府一筋でプロ人生を歩んできた石原(7番)。そのキャリアは、まさにクラブカルチャーを体現するものだ。写真:徳原隆元

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 甲府は予算規模的に間違いなくこのカテゴリーで最少のクラブだが、それでも4年連続のJ1残留を成し遂げている。15日のFC東京戦を引き分けたことで15位に浮上し、「5年連続」に半歩近づいた。
 
 今季限りでスパイクを脱ぐ決断をした石原克哉は、そんなクラブが「J2最少規模」「最弱」だった2001年に甲府へ加わっている。他に行き場のない練習生として拾われた形でキャリアをスタートし、17シーズンに渡って甲府一筋でプレーしてきた。若い頃はキレ味鋭いドリブラーとして、その後は運動量豊富なオールラウンダーとしてクラブを支えてきた。
 
 筆者が印象深いのは2014年の終盤に彼が見せた奮闘だ。石原は29節・浦和戦からのラスト6試合にすべて先発し、チームはその間の戦いを3勝3分けで乗り切って残留に漕ぎつけた。エースとして期待されたクリスティアーノがフィットしない中で、石原と盛田剛平、阿部拓馬といういぶし銀の「100歳3トップ」が機能した。
 
 13年から甲府でプレーし、今季はゲームキャプテンを務めることも多い新井涼平は石原への感謝を口にする。
「僕は人見知りなので自分を出すまでに時間がかかりましたけれど、克さんが何かあるごとに声をかけてくれました。チームに溶け込むような役を買って出てくれた人です。『好きなようにやっていいよ』とか、『自分を出してやった方がいいよ』という言葉が自分を助けてくれた。チームみんなを常にしっかり見てくれているなという感じがしました」
 
 石原は時には厳しい、周りが言いにくいことを口にする「骨のあるタイプ」でもあるが、それは間違いなく彼なりにチームをいい方向に導こうという思いから生まれる言葉だ。ピッチ内においても同様で、35歳を過ぎてからの彼にオン・ザ・ボールの強みはもうなかったが、しかしスペースを空ける、バランスを取るといった「献身的な」「気が利く」プレーでチームを支えていた。
 
 本人が「特別に技術がある方でも、フィジカルがある方でもなかったけれど、『負けたくない』という気持ちは人一倍持っていたと思う」と口にするメンタリティも、彼を39歳の今季まで駆り立てるエネルギーになったのだろう。地元・韮崎高出身で「山梨」を背負う立場でもあるが、そういう彼が身をもって生き様を見せたことが、甲府のサバイバルを助けていた。
 甲府は石原が今季限りの引退を発表しただけでなく、13年から在籍していた43歳のDF土屋征夫が京都への期限付き移籍で去っている。37歳のキャプテン山本英臣も出場時間を減らしており、端的に言えば世代交代が進んでいる。最終ラインを見ると、昨季は土屋、山本、津田琢磨という「116歳3バック」を組んだ試合が少なからずあった。しかし今季は新井に新里亮、エデル・リマに顔ぶれが一新された。
 
 若返りについて、吉田達磨監督はこう述べる。
 
「世代交代を進めようとか、進めてほしいというのは僕の意思でもなくて、クラブから(の指示)も特にない。ベストの選手たちが出ていくというベースは変わっていない。ただJ3から来た島川(俊郎)がJ1のスピードに慣れて出ていて、新里も2年目の今年はスピードに慣れてきた。世代が変わっているというより、この舞台で目のなかった選手たちがJ1 でプレーできるレベルに行きつつある」
 
 もちろんベテランが「譲った」ということは一切ない。石原に若手が出番を増やしている現状について聞くと、やや表情を歪めて、絞り出すような言葉が返ってきた。彼は言う。
 
「怪我はしていますけれど、諦めが悪いし、負けず嫌いなので……。まだ戦えると思っています。今試合に出ている若い選手は、自分で勝ち取ったものだしチームメイトなので尊重する、応援するというところはあります。でも『世代交代』という言葉は年を取ると嫌いになっちゃうので、あまり思わないようにしています」
 
 今季の石原はまだリーグ戦に一度も絡めていないが、残り5試合に向けて心が折れているわけではないし、本気で若手を食おうとしている。そんな意地が伝わってくる言葉だった。
 
 今季の甲府はサッカーの質を徐々に上げているし、キャリアの浅い選手が成長してポジションを取ったということもポジティブだ。しかし石原の経験値、いぶし銀の味わいは一朝一夕に獲得できるものでない。石原の必死にもがく姿勢、徹底した執念は甲府の粘り強いカルチャーを作る基盤になっていった。
 
取材・文:大島和人(球技ライター)