ヨルダン対日本戦から一夜明けて、いたわるような視線を向けられている。6月に0対6で敗れた日本から勝ち点3を奪うのは、ヨルダンの人々にとって望外の喜びをもたらした。

 勝ちたいとは思っていたけれど、実際に勝ってしまったら日本人に対してどんな反応をしていいのか分からない──。そんな空気が僕の周りにまとわりついている。日本がコンフェデ杯でブラジルに勝つようなことがあったら、僕もそんな気持ちになるのかもしれない。
 
 アジアのアウェイに出ていくと、日本へのリスペクトを強く感じる。その反動として、日本から得点を奪ったり、勝利をつかんだ際の歓喜は思い切り爆発的で、ときに挑発的でもある。
 
 忘れられないのは、1997年10月にタシケントで行なわれたウズベキスタン戦だ。9月のホームゲームでは日本が6対3と勝利しており、振り返れば前年のアジアカップでも日本が4対0と大勝している。ウズベキスタンにとっての日本は、越え難い壁だった。
 
 ところが、先制したのはウズベキスタンなのである。得点者の名前は忘れてしまったが、鮮やかなミドルシュートが川口能活の守るゴールを破った。コンクリートがむき出しのひんやりとしたスタジアムが、地鳴りのような歓声に包まれた。
 
 僕ら日本人記者に割り当てられたのは、一般席の一部だった。地元の観衆のなかに放り込まれていた。

 得点が決まった瞬間、目の前に座っていた観客が振り向いた。僕に顔を近づけ、「どうだ!」と言わんばかりに叫んでいる。ひとりではない。数十人の観客が一斉に、僕らに歓喜をぶつけてきた。

 ヨルダン対日本が行なわれた試合を、僕は記者席の最前列で観ていた。目の前には地元の観衆が座っている。16年前のタシケントと同じだ。
 
 彼らは、振り返らなかった。1点目が決まっても、2点目をあげても、試合が2対1で終わっても、僕らを挑発するようなことはなかった。
 
 あくまでも僕個人の肌触りである。ひょっとしたらイヤな思いをした人がいたかもしれないが、ヨルダンの人々は最後まで日本をリスペクトしていたと僕は思う。
 
 2011年のアジアカップで優勝を争った日本とオーストラリアを、ヨルダンはホームで撃破した。この地で戦う彼らは強い。うまくはないが、強い。この国が少し、僕には羨ましい。