ハマカーン:浜谷健司(写真左)1977年生まれ、埼玉県出身。神田伸一郎(写真右)1977年生まれ、神奈川県出身。ケイダッシュステージ所属。大学の柔道部で先輩だった神田が、後輩の浜谷を誘って2000年にコンビ結成。2009年、第8回漫才新人大賞で大賞を受賞。『THE MANZAI 2011』ファイナリスト。先日行われた『THE MANZAI 2012』で、審査員票10票中8票を獲得し、見事チャンピオンとなった。

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12月16日に放送された『日清食品 THE MANZAI 2012〜年間最強漫才師決定トーナメント!〜栄光の決勝大会』で、王者となったハマカーン。

エントリー総数1740組の漫才師の頂点に立ち、一夜にしてその名前が知られることになったが、彼らが栄光を掴むまでには長い長い道のりがあった。

2000年にコンビを結成し、東京のライブシーンを支え続けて今年で芸歴13年。
インタビュー前半では、これまでウケていた漫才の形を捨て、新たなスタイルのネタが生まれるまでの話を聞いた。

今年は無理だろうと思っていた

―― 『THE MANZAI 2012』、優勝おめでとうございます! 大会から数日が経ちましたが、実感は湧いてきていますか?
浜谷 いやぁ、まだないですねぇ。
神田 でも、会う人会う人に「おめでとう」と言っていただいて。それがすごくうれしいです。

―― さっそくオファーが殺到しているそうですが、この数日で初体験のお仕事などはありましたか?
神田 まだそこまでじゃないんですけど、今日みたいに取材が立て続けに3本っていうのは初めてですね。
浜谷 あとは、朝の情報番組に呼んでもらったり…なんだか信じられないです。

―― お2人は昨年から2年連続で『THE MANZAI』の決勝に進出されましたが、今年はどんな心境で大会に臨んでいたんですか?
神田 去年とは全く違う心境でした。去年は「絶対に勝つ」っていう気持ちだったし、自分たちでも勝てると思っていたんですよ。
浜谷 他の誰とも被ってないネタだっていう自信もあったので、去年は優勝するつもりでいました。それなのに、ファーストステージであっさり敗退して…。
神田 箸にも棒にもかからなかった(笑)。だから、今年はもう無理だろうと思ってたんです。
浜谷 そうですね。ギリギリ認定漫才師の50組に残れたらラッキーだなっていう感じで。「今年1年棒に振って、また来年がんばろうか」って話していたくらいなんで。

「神田さんに何も期待しません」

―― 昨年の『THE MANZAI 2011』で披露したネタは、神田さんの話に浜谷さんが「ゲスの極み!」といったフレーズでキレる漫才で、お笑いファンの間ではかなり浸透していましたよね。でも、今年はその浸透していた漫才からさらにスタイルを変えたネタを披露されていて、驚きました。
浜谷 去年のネタは、ライブなんかでは結構笑ってもらっていたんですけど、ライブに来るようなお笑いファンの方って、ちょっとコアな目線で見ていますからね。やっぱり『THE MANZAI』のようなコンテストでは、ファーストラウンドで負けてしまうんだなと思って。

―― 去年の大会の結果を受けて、今年は漫才のスタイルを変えようと思ったんですか?
浜谷 そうです。元をたどれば2008年の『M-1グランプリ』で決勝に行けなくて、それまでの漫才コントから「ゲスの極み!」の漫才に形を変えて…。
神田 そこで1回、自分たちの漫才の形ができたと思ったんです。でも、その武器を持って去年の『THE MANZAI』に出たら、全く斬れない刀だったっていう(笑)。
浜谷 最初のひと振りでパキーンと折れちゃって(笑)。「ダメだこの刀は! ふざけんな!」って、その時に刀も甲冑も全部投げ捨てたんです。で、神田さんに「もうあなたは何にも考えなくていいよ。普段考えていることをペラペラ話してください」って言って。
神田 そうそう。浜谷さんが、去年の『THE MANZAI』が終わって年が明けた時に、「今年は神田さんに何も期待しないし、何も求めないのが目標です」って言ったんですよ(笑)。

―― 期待しなかった結果、2人の掛け合いの面白さが2倍になったという感じですよね。
浜谷 うーん、まぁたまたま最良の結果が出たからよかったんですけど…。神田さんは何もがんばらないでいる時の方が、面白いことを言ったりするんですよね。だから、トークライブとかリラックスした環境だと、僕が神田さんにツッコんでいることが多かったんです。

「進化」じゃなくて「退化」した漫才

―― ネタでは神田さんに対して浜谷さんから「お前女子じゃねぇだろ!」とツッコミが入りますが、“素”の神田さんも女子っぽいところがあるんですか?
神田 はい。例えば、普通はトークライブとかだとちゃんとオチを用意したエピソードトークをすると思うんですけど、僕の場合はオチのない話も平気でするので(笑)。そういうところに浜谷さんがイラっとして「なんなんだよ!」ってツッコまれることはよくありますね。

―― 神田さんの“素”な部分がネタに繋がっていったというか。
浜谷 そうですね。
神田 だから、今年やったネタって浜谷さんが1人でがんばらないといけないんですよ(笑)。でも、僕に何も期待しないし求めないのが目標って言ってたから、その目標を達成させてあげようと思って。
浜谷 これね、本当に何にも考えないでいるのって、僧侶に求められることだと思うんですよ。なかなか簡単にできることじゃないですからね。(神田に)お前、よく1年間何にも考えなかったな。よくやったよ。
神田 いや、肌のこととかいろいろ考えてたわ!

―― 肌のことですか(笑)。
神田 そうですよ。僕がいっぱいネタのヒントをあげてるんですよ?
浜谷 まぁ、ネタは2人で作ってますからね。まず僕が「神田さん、最近何にハマってんの?」って聞いて…。
(ここから漫才口調で)
神田「最近はね、馬油が非常に良くて」
浜谷「馬油ってなんだよ?」
神田「馬油って、調べたらすごいんですよ。古代中国では…」
浜谷「だから、馬油ってなんなんだよ!」みたいな。だからなんて言うんですかね…、こんなものを漫才としてやっていいわけがないと思うじゃないですか。

―― 最初にこのネタをひらめいた時は、そう思っていたんですか?
浜谷・神田 (2人同時に)ひらめいたわけじゃないんです!(笑)

―― あ、そうなんですか?(笑)
浜谷 かどっこに追い込まれて、「どうしよう」と思っていたらちょっと隙間があったからスッと入ってみたんですよ。そしたら『THE MANZAI』で優勝できたっていう感じなんです(笑)。

―― では、今年の漫才の形ができた時は、「やった!できた!」という感覚ではなかったんですね。
神田 そうですね。単独ライブっていう僕らを好きで見に来てくれているお客さんの前ではウケるだろうけど、テレビでこのネタをやっても、まず「お前ら誰だよ」が先にあるだろうなって。だから、こんな漫才が通じるわけがないと思ってました。「お前らの漫才、進化したな」って言ってくれる方もいたんですけど、進化でもなんでもないですから(笑)。
浜谷 そうなんですよ。進化じゃなくて、退化なんです。もともとの“神田さん”に戻っただけなんですよ。13年かけてツッコミという技術を学んできて、ネタを作る技術を学んできて、13年目に全部捨てたんです(笑)。
神田 スタイルを変えたっていう意識もなかったですからね。月1、2本の新ネタを作っていたら、徐々に僕がツッコまないで浜谷さんがツッコむ要素が増えていったっていう感じで。

―― ボケ・ツッコミの漫才というよりも、まさに“浜谷さんと神田さんの漫才”でしたよね。お2人が優勝された後、記者の方たちは「どっちがボケでどっちがツッコミって書けばいいの?」と、ちょっと混乱しているようでしたが(笑)。
神田 へぇ〜。
浜谷 (しみじみ)ああ、それはうれしいなぁ…。そんな漫才ができたら理想的だなと思っていたことがあったんですよね。
(青柳マリ子)

2へつづく