「名古屋は関東なのか? 関西なのか?」。

太古の昔から論じられてきたテーマだ。

そしてこの問いを投げかける人は、必ず名古屋人ではない。

僕らからみると完璧なるよそものが、この種の議論を好む。

東京の同業者4、5名にこの問いを投げると、「名古屋? そりゃあ関西に属するだろうよ」と返される。

一方で関西のおばちゃんたちから返ってくる答えは「名古屋は関東に入るでしょ!」…。

いつも決着をみないのだ。

関東も関西も、われら名古屋を自分のエリアに受け入れることを必死に拒んでいるように思えてならない。

関東人と関西人のセンシティビティというか感受性の違い―それは「笑いのつぼ」によく表れる。

ある雑誌の仕事で、東京から編集長一行を名古屋に迎え、各所を取材で回った時のエピソードとしてこんなものがある。

仕事の合間、関西出身でお笑い大好きな編集スタッフたちが、まあ延々とお互いの「お笑い論」を展開していた。

すると、しばらく不思議そうに眺めていた東京生まれK大卒の編集長が話に割って入ってきた。

「ね。

あなたの話に出てくる、ボケとツッコミって何なの?」。

“何なの”。

当たり前すぎる文化や風習というものは「何なの?」と聞かれた時に、すぐに説明できるものではない。

我々のDNAといってもよい、血肉に植えつけられているものだからだ。

しかし、東京人の彼には不思議なコミュニケーションに思えたのだろう。

しかもキリスト教宣教師のような理解とゆるしに満ちたまなざしで穏やかに尋ねてくる。

僕は思わず心を打たれ、この質問に対しては論理的にお答えしなければいけないと、回らない頭で必死に考え始めた。

「えーと、わざと間違ったことを言い続けることがボケ。

それに対し、“そりゃなんやねーん”と相手の間違いを激しく追及することをツッコミって言うんですよ」。

それを聞いた編集者は、さらに穏やかに問いかけてきた。

「名古屋でも大阪でも、“それの何が”転げまわるほど楽しいことなの?」。

今度は水を打ったように静かになった車中で、関西人と名古屋人の僕は、じっと彼を凝視するしかなかった。

僕はこの時に初めて「東京人にはボケとツッコミの概念が通じない」というカルチャーショックの洗礼を受けたのだった。

そう。

お笑い文化というフレームワークの中では、名古屋は関西の傘下にあると言っていい。

昔から土曜の昼には吉本新喜劇が放送され、テレビやラジオには多くの関西芸人が出演している。

雨上がり決死隊を筆頭に、東京でブレークする前に名古屋で下積みしたお笑い芸人は少なくない。

そんな環境だからこそ、名古屋人もボケとツッコミのカルチャーをコミュニケーションのひとつのスタイルとして受容しているのだ。

だからといって、「ほら、やっぱ名古屋は関西圏じゃん」と判断するのは早計だ。

なぜなら名古屋人は、お笑いの「当事者」に進んでなろうとはしないのだ。

つまり、「自分たちは関西人と違う」という意識があるのだ。

関西の芸人たちのことはあくまで「外の人」として認識している。

自分たちとは異質な人間として理解しているだけで、その世界に憧れたり同化しようとしたりすることはあまりない。

名古屋人はプライドが高い。

「名古屋が一番」と、口にしないだけで皆がそう思っている。

なぜか。

それを解くキモとなるのが、信長・秀吉・家康だ。

日本人なら誰もが知っている「天下人」、名古屋はこの三英傑を輩出した土地なのだ。

そして、なぜこの英傑たちが名古屋で誕生したかを考えてみる時、思い浮かぶのがチンギス・ハーンだ。

上はロシア、下は中国という大国に挟まれながら、モンゴルのアイデンティティーを貫いてきた点において、非常によく似ていると思わないか。