いまを問えば度量がわかる/純丘曜彰 教授博士
事業定義は、個人でも重要だ。しかし、仕事へのコミットメントの深さとスコープの広さは、かならずしも比例しない。気晴らしのほとんどは、スコープの遮断にすぎず、かえって自分を追い込んでしまう。今日と別に明日があるのではなく、ここと別に世界があるのではない。
いま、何をしている? たとえば、会社で聞いてみよう。ある人いわく、見てのとおりのコピー取りですよ。また別の人は、いやぁ、午後からの会議資料が多くてね。そしてまた別の人は、例のプロジェクトの件、こじれちゃって、もう大変ですよ、と。しかし、じつはこの三人、みなコピー機を操作していた。
企業では事業定義が最重要とされるが、個人でも同じ。何をやっているのか。やっている行動は同じでも、やっている行為が違うということがありうる。ひとつには、コミットメント(関与)の深さ。コピー取りをしているだけ、という人は、とりあえずコピーがきれいに取れていればいい、そこに何が書いてあるかなんて、知ったこっちゃない。午後からの会議うんぬんというひとは、資料を揃え、とにかく会議に間に合わせれば、なんとか会議を乗り切れば、というところか。そして、最後の人は、問題のプロジェクトのためなら、自分でコピーでも、会議でも、できることはなんでもするつもりだろう。
とはいえ、前者より後者の方が偉い、などということはない。人それぞれに、地位があり、責任がある。地位も責任もなければ、仕事にコミットメントなどしようがあるまい。小さな仕事しかさせてもらえていないのに、きみたちはいま、世界の平和と幸福と繁栄を築いているのだ、などと上から言い聞かせられても、責任のあるやつが責任を果たすのが当然であって、下の者にまで責任を言うなら、あんたと同じ待遇にしてからにしてくれよ、というのが本音だろう。
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いま、何をしている? たとえば、会社で聞いてみよう。ある人いわく、見てのとおりのコピー取りですよ。また別の人は、いやぁ、午後からの会議資料が多くてね。そしてまた別の人は、例のプロジェクトの件、こじれちゃって、もう大変ですよ、と。しかし、じつはこの三人、みなコピー機を操作していた。
とはいえ、前者より後者の方が偉い、などということはない。人それぞれに、地位があり、責任がある。地位も責任もなければ、仕事にコミットメントなどしようがあるまい。小さな仕事しかさせてもらえていないのに、きみたちはいま、世界の平和と幸福と繁栄を築いているのだ、などと上から言い聞かせられても、責任のあるやつが責任を果たすのが当然であって、下の者にまで責任を言うなら、あんたと同じ待遇にしてからにしてくれよ、というのが本音だろう。
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