2024年、約14年の結婚生活にピリオドを打ち、新しい家族の形を公表した声優・タレントの金田朋子さん(53)。友人の誕生会で出会った元夫の森 渉さんとは、お互いの性格を知り尽くしているからこその決断だったと金田さんはいいます。

【写真】「パパにそっくり」なひとり娘と夫婦の思い出の家族写真(6枚目/全11枚)

「おみそ汁を作ってほしい」の意味がわからず

── 2024年、元夫でアスリート俳優の森さんとの夫婦関係の解消を公表されました。もともと森さんとはどんなきっかけで出会い、ご結婚されたんですか?

金田さん:出会いはお友達の誕生会。その日、私がしゃべりすぎて終電を逃してしまい、ふたりで漫画喫茶でひと晩過ごすことになって(笑)。でも会話が不思議なくらい途切れなくて、一緒にいるのがとっても楽しかったんです。帰り際、「付き合ってください」と言ってくれて、急で驚いたけど、直感でお付き合いを決めました。私、今までずっと直感で生きてきたからそのときも即決でした。

声優の仕事のオフショット。キュートな金田さんの魅力が伝わってくる

それから付き合って3回プロポーズしてくれたんですが、私、最初はプロポーズだって気づけなかったんですよ!「これからもずっとおみそ汁を作ってほしい」と言われて、「いいよー。作るね」って本当におみそ汁を作っちゃって。

2回目のプロポーズは、「おじいちゃん、おばあちゃんになってもずっと一緒にいようね」でした。ただ、鈍感な私はそれがプロポーズだと気づかず、「いいよー」って軽く答えてしまって。すでに私の性格を見抜いていたこともあって、私の反応を見て、「本当に意味がわかってないんだな」って気づいて、3回目に「結婚してください」とまっすぐな言葉でプロポーズしてくれました。

その後、結婚生活はとても幸せだったんですけど、私って子どもみたいな性格で、たとえば、サプライズで人を驚かせたり喜ばせたりするのが大好きなんですけど、嬉しくて先に言っちゃうからすぐバレちゃう。ジーパンに、むいたさつまいもの皮をくっつけたまま気づかなくて、娘の友達に指摘されたり。本当に子どもみたいな失敗がいまだに多いんです(苦笑)。

声優のお仕事も25年やらせていただいていますが、先輩の貫禄がまったくなくて。お仕事においても家庭においても成長しないなっていうのが密かな悩みでした。

次第にずれていく夫婦の考えに当時は気づかず

── それでも、いつも全力投球で仕事や子育てに向き合い、森さんの「近代五種のオリンピックに出場したい」という夢も支える姿が、素敵だなと思っていました。

金田さん:私たち、性格が正反対なんです。パパは、正義感いっぱいで、いろいろな夢や目標を持っている人。常に「こうなるぞ」って目標に向かって緻密に計画を立てながら突き進むタイプです。いっぽうの私は、子どもの頃から楽しいことが大好きで、感覚だけで生きてきた、行き当たりばったりタイプ。楽しく生きていたら運よく声優のお仕事に恵まれて、世界が広がって今がある、という感じなんです。

だから、私は自分にはない能力を持っているパパを尊敬していて、「すごいな、応援したい」っていう気持ちが強かったんですよね。パパも、それまでの自分の生き方と全然違う私に魅力を感じてくれていたみたいです。

私は、結婚してから、何か目標に向かって頑張ることで味わう達成感のようなものを学んでいくようになりました。

それが、娘が生まれて、守るべき小さな命ができたことで、娘に対してやるべきこと、やりたいことが増えてきて。もともとマルチタスクっていうのが苦手なタイプなのに、「母親になったんだから、あれもやらなきゃこれもやらなきゃ」って毎日、いっぱいいっぱいで。

── 少し無理をしていたのかもしれませんね。

金田さん:今から振り返るとそう思います。けれど、当時は気がつかなかったんです。私たちは、娘のことが大好きで、子どものことに関しては、それぞれの形で120%愛しているから、行動でそれを示さなくちゃって思っていたんです。

パパは、娘が生まれてから「子どものために親としてできることは何か」を一生懸命考えるようになって。「わが子もかわいいし、世の中の子どももかわいい」という考え方になり、運動教室を立ち上げました。そのおかげで、娘は道で転びにくくなったし、勉強して娘に教えた考える力や生き延びる力、学ぶ力などは着実に身についている気がします。

それに比べて私は、相変わらず感覚や本能のままに娘に接しているという感じで。「自分はパパみたいにはできない」というもどかしさを感じながら、自分にできることがあれば全部120%、全力投球していました。お仕事も家庭も、15年くらい前から頑張っているマラソンも、パパの夢を応援することも…どれも手を抜けない。そういう性格なんです。

こんな生活が続き、いつしか自分のなかでうまくバランスが取れないまま、無意識に無理を強いていたんだと思います。でも、しんどいと思っても、いつものように笑ってたみたいで。

苦しくても無意識に笑う毎日に「このままじゃ…」

── しんどいのに笑ってしまうなんて…つらいですね。

ハッピーな笑顔は親子そっくり!

金田さん:母いわく、私は歯医者さんで治療をするときも本当は怖くてドキドキしているのにお医者さんと目が合うとニコッと笑ってしまうようなところがあって。そして、昔から骨折しても走り切ろうとするタイプなんです。たとえばマラソンなら、パパは給水所でうまく水を補給しながら走れるけれど、私は、給水をとらないまま突っ走っちゃう。パパは息抜きができる人だけれど、私は限界を迎えるまで息抜きが必要なことも気づけない。本当にすべてにおいて、不器用で、鈍感なんです(苦笑)。

日常でも、パパのストイックさに、私も「いいじゃん!」って笑いながら一生懸命ついていくんだけれど、途中でだんだんと苦しくなってしまっていたみたいなんです。でも、鈍感な私はついていくことに必死で。たぶん、苦しい自分に、自分でも気づけないまま無意識に走り続けていたんです。そんなことを続けていたら、ある日突然、エンジンが止まったみたいになってしまいました。

笑いながら走ることができていたはずが、突然、ふっと脱力するような感覚があったんです。それは何気ないときでした。年2回、2人で出演させていただいているマラソンの番組があって、2人ともその番組が大好きで。ある日の収録のときも、そのマラソンのために一緒に練習する時間を子育て生活のなか一生懸命見つけて、いつものように頑張って練習して準備したうえで出演しました。収録が終わり、みんなで帰宅して、「無事に終わったねー」とホッとしたんです。そのとき、私のなかで、パンパンに膨らんでいた風船がプチンッと割れて、しぼんでいく感覚がありました。

その瞬間、今までにない自分の状態に「このままじゃダメだ」って本能的に思いました。そのときは私自身、離婚したいわけではなかったんです。でも、その方法しか、当時の自分には思い浮かびませんでした。

取材・文:たかなしまき 写真:金田朋子