【追悼】幻の“初代グワシ”は楳図かずおのリビドーの表れか? 「人間とはなにか」を描き続けた巨匠の創作意欲
『まことちゃん』や『漂流教室』などで知られる漫画家の楳図かずおが先月28日、88歳で亡くなった。彼の代表作『まことちゃん』に登場するハンドサイン「グワシ」の知られざる元ネタとは。恐怖を通してなにを伝えたかったのか。楳図の功績を振り返る。
思春期前の少年を不安にさせた『まことちゃん』
楳図かずおが亡くなったというニュースに触れ、まず思い出したのは氏の代表作のひとつ『まことちゃん』だった。
『まことちゃん』は、小学館の「週刊少年サンデー」に、1976年から1981年にかけて連載された。
本稿筆者は1969年生まれなので、その連載期間はガッツリ小学生時代に当てはまる。
楳図かずおは恐怖漫画の巨匠だが、小学生時代の自分は、リアルタイムでは『まことちゃん』以外の楳図作品を読んでいなかった。
にもかかわらず、ギャグ漫画であるはずの『まことちゃん』に対して僕は常に、得体の知れない仄暗さ、不気味さを感じていたことがいまだに強く印象に残っている。
おそらく僕と同年代の人の多くは、同様の感覚を抱きながら『まことちゃん』を読んでいたに違いない。
まことというキャラクターは常識を逸脱した存在だった。
ギャグ漫画の主人公が常識外れであることは当然と言えばそれまでだが、まことは「非常識キャラクター」という枠にさえ収まらない異常性を持っていたのだ。
彼の行動の多くは、普通の子供のいたずらや無邪気さをはるかに超え、「不気味」ともいえる領域に達しているようにも感じた。
しかしそれは、まことが過剰なほど天真爛漫であることに由来するものでもあった。
今考えてみるとそれは人間の根底にある「リビドー」、つまり性衝動を生む本能的エネルギーが表に出ていたのではないかと思う。
まことは人間の内側に潜むリビドーを象徴するキャラクターであり、その制御できないパワーがギャグの枠を越え、思春期前の僕にはわけのわからない不気味なものと感じられていたのだろう。
晩年まで使い続けた「グワシ」こそ、リビドーの表れだった?
『まことちゃん』の中で頻繁に登場するギャグであり、楳図氏自身がメディアに登場する際、定番の挨拶として使っていたハンドサイン「グワシ」。
手の親指と人差し指、薬指を立てて前に突き出すポーズだが、実は氏が考案した「初代グワシ」は、現在知られているそれとは違っていた。
初代グワシは、片手の中指だけを突き立てるというものだったのだ。
手の甲側ではなく、手の平側を前に出すという違いはあるが、ほとんど“fuck youサイン”そのものである(念のため説明しておくと、欧米で広まった“fuck youサイン”は、男性の陰嚢と陰茎を表したものだ)。
当時の日本では、このハンドサインの意味を知る人は少なく、楳図かずお自身もなにげなく描いたようだ。
しかしアメリカ在住の読者から「非常によくない意味だ」というお便りを受け取り、初代グワシは封印。
代わりとなる新しいハンドサインを読者から募って決定したのが、中指と小指を折り曲げる「グワシ」だったのである。
この経緯からまことちゃんとリビドーと楳図かずおを結びつけるのは短絡的だが、僕個人としては「やっぱりね……」とほくそ笑みながら、うなずいてしまうエピソードなのである。
「まことちゃん」とは、楳図かずおその人を映し出していたのかもしれないとも思う。
楳図にとってまことは、自分の内にあるエネルギーや欲望を表現した分身だったのかもしれない。
楳図はやがてテレビやマスメディアに頻繁に登場し、赤と白のストライプの服を着て、常識の枠を飛び越えた個性的なキャラクターとして一種の「アイコン」になっていった。
メディアに登場する彼は、漫画家という肩書きにとどまらない存在感を放ち、観る人を不思議な気持ちにさせた。彼の外見や言動は、まるでまことちゃんのように自由で、ときにその突飛な行動が笑いと狂気の境界を行き来しながら見る者を惹きつけた。
「人間とはなにか」を投げかけ続けた巨匠
楳図の描く恐怖漫画はただの怪物や幽霊の怖さとは少し違う。
その恐怖の本質は、人間の内側にある理解しがたい衝動や異質さ、それがふとした瞬間に表に現れてしまうということだろう。
だからこそ、『まことちゃん』のようなギャグ漫画の中にも、その暗いエネルギーが流れ込み、僕たちに「ただの笑いでは済まされないなにか」を感じさせた。
その感覚は、僕にとって楳図かずお作品全体に通じる独特の恐怖だったように思う。
もっと言えば、楳図は、恐怖を通して、奇妙でありながらもどこかリアルな人間像を描くことで、僕たちに「人間とはなにか」という問いを投げかけ続けていたのかもしれない。
その問いかけはギャグ漫画であろうとホラー漫画であろうと変わらず、一貫して彼の作品に流れていたのだと思う。
楳図かずおという存在がこの世に遺したのは、僕たちが心の奥で感じる、でも普段は目をそらしてしまうような混沌そのものだったのだ。
心よりご冥福をお祈りしたい。
そして、亡くなったはずの楳図かずおを吉祥寺で見た! という噂話が早く出てこないかなと期待している自分がいる。
文/佐藤誠二朗