SF的仕掛けから人間の本質に迫る「わたしたちが光の速さで進めないなら」 藤井光が薦める文庫この新刊!
『わたしたちが光の速さで進めないなら』 キム・チョヨプ著 カン・バンファ、ユン・ジヨン訳 ハヤカワ文庫 1100円
『もうひとつの街』 ミハル・アイヴァス著 阿部賢一訳 河出文庫 1210円
『灯台へ』 ヴァージニア・ウルフ著 鴻巣友季子訳 新潮文庫 935円
「小島」のような人の孤独を描く三冊が揃(そろ)った。SF的仕掛けから人間の本質に迫る短編集(1)は、語りの巧みさが際立つ。見知らぬ惑星の絵を描き続けた女性、古びた宇宙ステーションに居座る年配の女性といった設定から、人と人との間にある隔たりと、それを乗り越えようとする思いの切実さが浮かび上がる。なかでも、死者が意識のデータとして保存されている図書館を舞台に、母と娘の断絶を描く「館内紛失」が忘れがたい。
雪の降るプラハで、主人公が古書店で何気なく手に取った本には、見たことのない文字が並んでいた。(2)はそこから、知っている街の風景と、もうひとつの魔術的な街の風景とのせめぎあいに分け入り、内陸の街にサメやエイを登場させ、日常のなかにミニチュアの戦場を埋め込む。私たちの知る世界は、まったく別の世界のなかに浮かぶ小島のようなものなのか――小説は「もうひとつの街」を断片的に見せてくれるにすぎないが、その断片の美しさは格別である。
新訳なった(3)は、小島に別荘を構える一家が、沖合の岩に立つ灯台に舟を出す話をする一日と、十年後に実際に舟を出す一日を描く。そのささやかな展開において、登場人物たちがあまり表に出さない思考や感情が実に豊かに語られる。一家の母を中心に人間関係が取り持たれる前半と、登場人物たちがばらばらになった後半の描き分けの巧みさ、そして、十年という時間の経過を、風や光の移ろいに託して描き、風景画が動き出すような筆致の美しさに息を呑(の)む。=朝日新聞2024年11月2日掲載