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2022年11月、内閣主導で「スタートアップ育成5か年計画」が発表された。2027年をめどにスタートアップに対する投資額を10兆円に増やし、将来的にはスタートアップの数を現在の10倍にしようという野心的な計画だ。新たな産業をスタートアップが作っていくことへの期待が感じられる。このようにスタートアップへの注目が高まる中、『起業の科学』『起業大全』の著者・田所雅之氏の最新刊『「起業参謀」の戦略書ーースタートアップを成功に導く「5つの眼」と23のフレームワーク』が発売に。優れたスタートアップには、優れた起業家に加えて、それを脇で支える参謀人材(起業参謀)の存在が光っている。本連載では、スタートアップ成長のキーマンと言える起業参謀に必要な「マインド・思考・スキル・フレームワーク」について解説していく。

顧客を起点に考えることが大事

 今回からは、UXエンゲージメントマップというフレームワークについて解説していく。これは、拙著『起業の科学』や『起業大全』でも紹介しているフレームワークである。

 UX(ユーザーエクスペリエンス:顧客体験)は非常に重要な概念だ。先述したように起業参謀は、起業家が「顧客起点=ユーザーエクスペリエンス起点」で考えることができるように、支援をしていくのが大きな役割だ。

 起業家がエンジニアならば、プロダクトを作る時に、まず「どういう機能を追加するか?」という視点で考えがちである。

 前に述べたように、ユーザーが求めているのは、「自分にとって価値のあるもの」であり、機能ではない。闇雲に機能を追加してしまうと、UXは毀損してしまう場合も少なくない(たとえば、操作を覚えるのにユーザーに負担がかかる。使われないボタンや機能が増えるたびにユーザーにはもったいないという感情が芽生えるなど)。

 冒頭のスティーブ・ジョブズのコメントにあるように、機能やテクノロジーではなく、まず「良い顧客体験の起点」で考えることが重要になる。モバイルインターネットに革命を起こしたiPhoneも技術ありきで始まっていない。ジョブズの「良い顧客体験」への凄まじいこだわりから始まり、そこから「逆算」してから必要となるテクノロジーを集約したのだ。

iPhoneで重視したUXの要件とは?

 2000年代の前半、欧米諸国で大ヒットとなった「スマートフォン」がブラックベリーだった。メールの送受信、ビジネス文書などをキーボードで打ち込めるデバイスだ。パソコンのキーボードを凝縮したようなパネルがデバイスの3分の1を占めるデザインだった。パソコンで仕事をばりばりこなしている人には、出先でも同じように仕事がこなせるので必需品として人気を博した。

 ところがスティーブ・ジョブズはキーボードとスタイラスペンをことのほか嫌った。「このUXは全然ダメだ。キーボードが占める面積が無駄だ。また矢印キーを使ったりスタイラスペンを使ったりする直感的でない操作はユーザーに情報を直接扱う感覚を与えない。しかも、スタイラスペンなんてすぐになくなる。そんなの絶対ダメだ」

 ジョブズは、あくまでも情報を直接操作する「感触」にこだわったのだ。

 2005年、ジョブズはチームを集めて宣言する。UXの要件として以下を挙げる。

 ・タブレットを作りたい。キーボードもスタイラスペンもなし
 ・入力はスクリーンを直接指でタッチして行う
 ・複数の入力を同時に処理できるマルチタッチ機能を持つスクリーンを実装
 ・デバイスを持ちやすく操作しやすい形状にする
 ・iPodの機能を踏襲する

(出典:『スティーブ・ジョブズII』ウォルター・アイザックソン著、井口耕二訳、講談社より)

「直感的なUX」を実現したテクノロジー

 実はその頃すでに、複数の指が同時にタッチした場所を検出する機能を備えたトラックパッドは存在した。2005年、Appleはその会社、フィンガーワークスと特許を全部買い取ると同時に、創設者の2人を雇い入れ新しい特許をAppleが取得した。

 加えて、高精細画像印刷と同じレベルの液晶ディスプレイに人体が触れた時に生じる微細な静電容量の変化を感じとるセンサーフィルムを貼る必要があった(文字入力用のキーボードを従来のパソコンのキーボードのように敷き詰めたら、数ミリ角のパネルを正確にタッチしてもらわなければならないため)。

 それ以外にも、ジョブズが求めた「直感的なUX」を可能にするために、様々な技術導入や検証がされた。

 普段、私たちがストレスなく使い続けているiPhoneは、非常に優れたUXを提供しているが、それを実現するために膨大な労力とテクノロジーが投下されているのだ。

 ただ、起点にあるのは「いかにして、良いUX(直感的で使いやすいUX)を顧客に提供するか」という、執拗なこだわりだ。

 普段生活している消費者の立場では、「どこのUXが優れているのか」といったことを特に意識することはないだろう。

 しかし、作り手側に立つ起業家は、そうしたプロダクトのUXの要素を分解し、それをどう磨き上げていくのかを常に考えることが仕事になる。

「PMF(Product Market Fit)は動詞である」と先述したが、ダイナミックに変わりゆく顧客の心理状態や期待に対して、どのようなUXを提供すると最適なのかを継続的に解像度を高めていくことが欠かせない。

 そういった意味で、起業参謀は、起業家に向けて、単に「PMFを目指しましょう」と伝えているだけでは全く不十分だといえる。UXを、次に解説するUXエンゲージメントの要素に分けた上で、より具体的に、どのような施策を打っていけばユーザーのエンゲージメント(顧客が積極的に関与していること)が高まっていくのか、示唆が出せるようになる必要がある。

(※本稿は『「起業参謀」の戦略書ーースタートアップを成功に導く「5つの眼」と23のフレームワーク』の一部を抜粋・編集したものです)

田所雅之(たどころ・まさゆき)
株式会社ユニコーンファーム代表取締役CEO
1978年生まれ。大学を卒業後、外資系のコンサルティングファームに入社し、経営戦略コンサルティングなどに従事。独立後は、日本で企業向け研修会社と経営コンサルティング会社、エドテック(教育技術)のスタートアップなど3社、米国でECプラットフォームのスタートアップを起業し、シリコンバレーで活動。帰国後、米国シリコンバレーのベンチャーキャピタルのベンチャーパートナーを務めた。また、欧州最大級のスタートアップイベントのアジア版、Pioneers Asiaなどで、スライド資料やプレゼンなどを基に世界各地のスタートアップの評価を行う。これまで日本とシリコンバレーのスタートアップ数十社の戦略アドバイザーやボードメンバーを務めてきた。2017年スタートアップ支援会社ユニコーンファームを設立、代表取締役CEOに就任。2017年、それまでの経験を生かして作成したスライド集『Startup Science2017』は全世界で約5万回シェアという大きな反響を呼んだ。2022年よりブルー・マーリン・パートナーズの社外取締役を務める。
主な著書に『起業の科学』『入門 起業の科学』(以上、日経BP)、『起業大全』(ダイヤモンド社)、『御社の新規事業はなぜ失敗するのか?』(光文社新書)、『超入門 ストーリーでわかる「起業の科学」』(朝日新聞出版)などがある。