神田みつきさん(@kandapagu1011)さん提供

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アニメ好きが集まり、アニソンで盛り上がれるコンカフェ「アニソンバーギルド」。現在は系列店を全国で34店舗展開する。

同店を立ち上げたのは、神田みつきさん(株式会社ルミナス・代表取締役)。

大分県出身の神田さんは、短大卒業後、22歳の時にアルバイトで貯めた70万円を使い、2012年に福岡に「アニソンバーギルド」を開業した。2017年に東京に進出、新宿店をオープンした。

現在では、芸能・タレント事業、イベント企画や制作アパレル事業など、幅広い分野で手腕を発揮する。しかも、神田さん自身は社長業だけでなく、テレビドラマやバラエティ出演、ラジオパーソナリティ、芸能事務所の運営なども行っているという。

そんなマルチに活躍する神田みつきさんに、「アニソンバーギルド」を立ち上げた理由や、仕事へのスタンスについて話を聞いた。

すごく地道に店を宣伝するところから始まった

――「アニソンバーギルド」のオープンに至った経緯を教えてください。

神田みつき:短大を卒業した後は、洋菓子屋さんのアルバイトをしながら、週末には有名企業のキャンペーンガールやナレーションといった仕事をしていて、東京に来る機会があったんです。給料が高かったキャンペーンガールは3年ほど続けました。ナレーションは、短大でナレーションのクラスを専攻していたこときっかけでいただいたナレーションの仕事をしていました。

私はもともとアニメなどが好きでした。で、ある時、キャンペーンガールの仕事を紹介する会社の人たちと一緒に、秋葉原のメイドカフェに行く機会がありました。

訪れたメイドカフェがちょっとバーチックな感じのところと言いますか、よくみなさんが想像するような、「萌え萌えきゅん、おかえりなさいませ」といった掛け声などがなく、メイドコスチュームのみのバータイプのカラオケバーだったんです。その瞬間、こんなところで私も働いてみたいなと思いました。そのまま九州に帰り、似たようなアルバイト先はないかと調べました。

でも、実際に出てきたのは、マンションの一室を借りて営業をするところや、期間限定で、レンタルカフェで行っているところとか......。正直あまり、いいと思える場所が九州にはありませんでした。

そんなこともあって、オタクだった私は、アニソン系に特化したアニソンバーを作ろうと思いました。70万円の貯金をはたいてオープンしたのが「アニソンバーギルド福岡店」です。

ただ、本当に何も考えずオープンしてしまって......。22歳だったこともあり、「店でも開けたら誰か来るでしょ」みたいな感覚でした。でも、いざ開けたら、知り合いしか来ないんです(笑)。

その頃の売上は、一日、2万ちょっとくらい。でも、その売上は、友達がオープンのお祝い来た際の金額なので、これはまずいと思いましたね(笑)。

そして、次の日から、漫画専門の古書店の「まんだらけ」などさまざまなお店や、イベント会場にチラシを置いてもらうために自分一人で回りました。当時流行していた「mixi」や「Facebook」に店のことを書いて必死に宣伝もしました。

その中でも、「mixi」からの集客力が一番あって。だから、mixiで募集がかかっているカラオケオフ会に行ったりもしました。そこで、すごく地道に宣伝したんですよ。そうしたら、お客さんが次第に来るようになりました。

でも、価格設定をどのくらいにしていいか分からず、チャージ料金を300円、ドリンクを一杯300円でやってしまいました(笑)。

値段設定の安さもあり、お客さんが来ないつらさは経験しませんでしたが、一人で回していたこともあり、とてもハードワークでした。でも、すごく楽しかったです。それから、店のお客さんを増やしたくて、「ギルドール」というアイドルの運営も同時並行で始めました。

――地道に努力されたんですね。特に苦労したことはありますか。

神田みつき:店が繁盛してくると、いろいろと困ったことも起きました。お客さんにからんだトラブルですとか。その対応は大変でしたね。ただ、しかるべき対処はしました。アイドルの運営も始めてからは、ネットで叩かれたこともあり、当時は耐性がついていなくてとてもつらかったです。

ネットでは、滅茶苦茶なことを書かれました。例えば、給料を皆に必ず支払っているはずなのに、支払ってないとか言われて。あまりに腹が立ったので、給料を振り込んだ銀行の履歴を、叩いている人にむかって送っていましたよ(笑)。新しいことを初めていたこともあり、アンチも多かったのでしょう。

その中でも一番怖かったのは、私のことを潰そうというアカウントがX(当時はツイッター)にできたんです。そのアカウントでは、私のことを追跡し、犬と私の散歩姿や、スーパーで鶏肉を持ってる姿を盗撮されたりとかがありました。挙句の果てには、急にみず知らずの人に、卵を投げつけられました。その後、犯人は捕まっています。

――福岡の次は、東京に店舗をオープンしたそうですが、福岡からどうして東京に?

神田みつき:九州では平日でも満席になり、たくさん人が来てくれて大成功してました。でも、就職や、転職で3年、4年で従業員がみんな辞めていくんです。

そんな中、「この状態はずっと続かない」と思い、とても怖くなりました。10年後を想像した時に、ギルドという店がないとイヤだなって思っていたので、ギルドを「日本一のアニソンバー」にしなくてはと思い、東京進出を決意しました。最初は、競合相手が少なそうな新宿にオープンしました。

けれども、東京では、お客さんがとにかく来なかった。東京には、いろんな店があるし、お客さんにとっても選択肢が多いからだと思います。オープンして3か月間は赤字でした。

福岡の店舗から、遠征してお客さんに来てもらったりしました。ほかにも、ダイエットをしてキレイになる努力をしたり、自分を知ってもらうためにメディアに出ようと思って、いろんなオーディションを受けたりして宣伝しました。そして、アイドルライブに自ら出て宣伝もしました(笑)。そうしているうちに、徐々にお客さんが増えてきて......。

でも、本当はずっと秋葉原に店を出すのが夢だったんです。秋葉原にお店を出すのは金銭面などで厳しかったので諦めていました。その時に、「マネーの虎」で知られる岩井良明社長に、とにかく会いたくて連絡しました。岩井社長には「ぜひ志願者で出てくれませんか」と言われました。本当に嬉しかったです。そして、マネーの虎に出たことで、「アニソンバーギルド秋葉店」をオープンすることができたんです。

マネーの虎に出たことで、すごく店がバズりました。お店にもたくさんのお客が来てくださいました。50個以上、店に入り切らないほどの胡蝶蘭も届きました。ちなみに、現在では各地に店舗を拡大して、8億円ぐらいの売上があります。

――何事にもポジティブに物事をこなす神田さんですが、ポジティブに挑戦できる秘訣はあるのでしょうか。

神田みつき:たとえば、起こったミスに対して、誰かを責めるとか、自分を責めたりすると、イヤな思いをし、結局やめたり、それがずっと心の傷になると思うんです。なので、怒らない方がいいと思います。とにかく、今最大限に何を行い、解決したらいいかそう考えるようにしています。

そしてこれは、私の永遠の課題だと思いますが、一緒に働く人たちの指導は勉強し続けています。やっぱり、みんなそれぞれに自分の思い描いている自分があると思うんです。だからこそ、必ず共感するようにしています。

そんな私も、過去に一度、苦しい思いをして、太ってしまった時期があります。「運営のくせに、勘違いして化粧とかしやがって。可愛いバッグを持つな」などと中傷誹謗を受けたからです。

当時、バッグはスーパーのレジ袋にして、すっぴんで仕事をすることも多々ありました。仕事は最低限こなしていたけど、でもそんなことをしていると、お客さんが減ってしまいました。その時は、見返したいという思いが強かった。そういう経験をしたからこそ、今があると思います。私自身、そこから強くなったと思います。

最近では、マーケティングを勉強しています。本だけでは吸収しきれないと思い、学校にも通っています。これからもチャレンジをしていきたいと思っています。

――今後、挑戦していきたいことはありますか。

神田みつき:今の仕事とは全然関係ないけれど、私は犬た猫がすごく好きなので、チャリティーで保護犬とかのプロジェクトを立ち上げたいなと思っています。すでにいろいろと準備中です。