結婚という形を取らないだけで、お互いに自由でいられるという(写真:8x10/PIXTA)

もともと結婚という言葉自体にも拒否反応があり、結婚ではなくパートナーシップという形を選択してきたという中尾ミエさんは、男性との関わり方について、若い頃に抱いていたイメージが変わってきたといいます。

そんな中尾さんと、精神科医として多くの高齢者と接してきた和田秀樹氏との対話の中から見えてきた、これからのシニア世代にとって必要な「人との関わり方」とは。

※本稿は、中尾さんと和田氏の共著『60代から女は好き勝手くらいがちょうどいい』から、一部を抜粋・編集してお届けします。

年を取ってからでも恋愛をしていい

和田 中尾さんみたいにパートナーとうまくいっている人に言うべきことではないでしょうけれども、近年は熟年離婚が多いと取り沙汰されていますね。あるいは夫が定年退職したら、「夫源病(ふげんびょう)」ともいいますが、ぬれ落ち葉みたいな夫と一緒にいると気がめいってくる女性が増えているらしい。

結局、最初の結婚をして出産・子育てを経て、夫の面倒を見たりする時期を、大体30年と考えると、そこからさらに20〜30年くらい人生の時間が残っているわけですよね。

そのことを考えると、最初の結婚は子育てという共同作業のためだとして、子どもも自立し、夫も定年を迎えるくらいになったら、すっぱり終わりにする。年を取ったあとは、一緒に旅行に行って楽しいとか、フレンチに行って楽しいと思えるような、話の合う人にパートナーを変えるなんていうことがあってもいいとも思うんですよね。

中尾 だから私は結婚という形態はとらないんですよね。実際には生活自体は何も変わりはないけれども、結婚しないというだけで、お互いに自由でいられる。

和田 いまだに日本では先進的なように見えて、中高年以降で恋愛をすると「年甲斐もなく」とか「色が抜けない」とか言われたりするのは、良くないなと思いますね。子どもの頃、母親の従姉妹が2回離婚して、またパートナーを見つけてきた。そうしたら、うちの母親も「あの人は幾つになっても色狂いや」と非難していた。

思い起こしてみると、その母の従姉妹はまだ40を過ぎたくらいですよ。昔は40を過ぎて恋愛すると非難されるんだから、すごい時代ですよね。今から50年以上前の話です。

とはいえ、その頃はすでに大阪万博が開催されて、日本も先進国の仲間入りを果たしたような時代ですよ。それなのに40過ぎで恋愛したら親戚じゅうでボロクソに言われるなんて、やはりひどいと思う。

70歳を過ぎたら「よれよれ」だと思っていた

中尾 私も若い頃には、70歳を過ぎたら自分も友人もみんなよれよれになっていて、遊んでも楽しくないんじゃないかと思っていましたけれども、いざなってみたら、けっこう楽しいですよね。

和田 そういうふうにありたいと思うことが本当に大事ですよ。私も中尾さんのように70歳を過ぎても、「和田さんといると面白いね」「楽しいね」「気持ちが沸き立つね」なんて言われるような人間でありたいと思う。

中尾 デートをしていても楽しい。「デートしましょう」というお誘いもいただいたりすることもありますよ。昔なら、「同年代の人はちょっと……若い男の子ならいいけど」なんて思ったりもしたけれども、けっこう、同年代でも楽しい人がたくさんいて、うれしいなと思いますよね。

和田 そういう時代になってきたのだと思いますよ。遊び方が洗練されてきているし、子どもの頃からそこまで貧しい時代ではなかったわけですしね。

中尾 私は結婚はせずに、パートナーシップで生きてきました。だから結婚につきものの家同士の関係なんてまったく気にしません。私が関係を持っているのはパートナーその人だけですから。あるとき、パートナーから親族のお墓参りに付き合ってくれと言われたけれども、そもそも私は会ったこともない人のお墓でしたから、断りました。

和田 それはそうですよね。本来、そのパートナー同士が結ばれているだけの話ですから、余計な親類縁者は関係ない。でも日本は本当にいやになるくらい、そういう親類縁者の人たちがうるさい国だよね。

中尾 それがいちばん煩わしいから、いっさい、関わらなかったですね。もともと結婚という言葉自体にも拒否反応がありましたから。

男女のあり方だって「人それぞれ」

和田 それだからパートナーとよく続いているのではないですか。

中尾 制約がない代わりにそうなのかもしれません。そこまでいったらもう人類愛、なんて言うと大げさですね。

和田 年を取れば取るほど、パートナーは一緒にいて幸せを味わうためにあるわけであって、逆に相手を縛り付けるためにあるわけではない気がしますけれどもね。そこは考え方を変えないと、うまく年は取れない。

中尾 私は端(はな)から結婚願望がなかったから、自分の人生としてはこれで良かったと思っています。

和田 言ったら悪いけれども、70代でも80代でもいいですが、社会的地位もなくなり、年金暮らしになって、自分で稼いでいるわけでもないのに、現役時代と同じように奥さんに対して威張っている人――現役時代にだって、奥さんに威張っていいわけがないけれども――こいつ、何を考えているんだと思いますよね。

中尾 いろんな人がとやかく言っていたのかもしれませんが、貫き通していれば、もうこの年になれば何も言われません。誰にも迷惑をかけなければ、本人が幸せだと思っていればそれでいいわけじゃないですか。

和田 本人が幸せだと思っていればそれでいいのに。日本に限ったことではないと思いますが、周囲からの制約や縛りが多い。年を取れば取るほど、そういう縛りを減らしたほうがいいですよ。会社にいればそれなりのルールがあるし、子育ての最中にはママ友的なルールがあったりして、そこはある程度、社会生活を送っているわけですから。

我慢したとしても、もう60代以降はそういうことから解放される年齢ですしね。それなのに、親戚や子どもに縛られていたらたまったものではありません。

認知症の予防には、「新しい人」と出会うこと

和田 私が若い頃に勤めていた浴風会病院は、今は自由に入院できますけれども、そもそもが身寄りのない老人が入る施設として始まりました。だから、入所者が亡くなると、基本的には解剖していたのです。

我々が最後まで一生懸命面倒を見て、自分が生前に行った診断が本当に合っていたのか、解剖すれば答え合わせができるわけですよね。そのとき、初めてリアルな死因がわかる。

そうした入所者・患者さんのご家族のなかでも、ずっと通われてそばで付き添ってこられた方たちは、我々がかいがいしく面倒を見てきたことを知っているから、亡くなった後に、本当の死因が知りたいから解剖させてほしいと頼んでも大概はOKしてくれます。

ところが、生前にはまったく来たことがない子どもとかが突然やってきて、そういう人に限って「うちの親に傷をつけるな」と言って解剖に反対するんですよね。そんなに大事なら、生前にもっと会いに来てほしかった。

それと、アンチエイジングや認知症予防として、なるべく新しい人と出会って、いろいろと刺激を受けるのがいい。そんな話をしてきましたが、他方で、今、独居老人の問題もある。

1人暮らしの老人が心配だと世間は言いますし、孤独を寂しいものとしていやがる風潮もあるかもわかりませんが、人間、独りでいたいときだってありますよね。

私が特別、孤独が好きなのかもわかりませんが、人と会いたいときは会いに出かけて、独りになりたいときは家でのんびり過ごせばいい。そうやって孤独を尊重しつつ、みんなで暮らせればいいですよね。それがごくごく自然なことだと思う。

中尾 そういう町づくりをしてくれればいいと思いますね。きちんとプライベートは確保できるようにして、その一方で、みんなが集まれるような場所が常にある。食堂でもいい、ダンスパーティーとかみんなが交流できる催しだっていい。

そういう環境があれば、独りになりたいときは独りになれますし、また、孤独にはならないですみます。そういう町づくりというか、場所づくりができるといいですし、それぞれが自分の周りで、そういう環境をつくる実践をしてもらいたいですね。

一人ひとりが分断されてしまった「阪神淡路大震災」

和田 精神科医として1994年までアメリカに留学して、その後戻ってきた直後の1995年に阪神淡路大震災がありました。


中学・高校と神戸だったこともあり、1年ほど毎週ボランティアに通っていたんです。震災の被害に遭われた人たちがそのつらさと悩みを共有して話し合うグループセラピーというものを行いました。

会議室のようなところを借りて実施したのですが、ほとんど若い人しか来ないんです。本当に独りで外に出られないようなお年寄りがいるのならば、避難所でも仮設住宅でも、いくらでも出張するよと思いました。

当時、避難所にも仮設住宅にも、集会所を作らなかったんですよね。それぞれの住宅はあるけれども、結局、一人ひとり分断されてしまっていた。だから集会所や会議室があれば、そこに出張してグループセラピーでみんなの話を共有しながら、心のケアだってできたはずです。

その後、さんざん文句を言っていたら、阪神淡路大震災以降の震災の際には、避難所や仮設住宅を作るときに、集会所や会議室のようなものを作ってくれるようになりました。そういうのは、べつに被災地の仮設でなくても、普段から必要なんだと思いますよ。

(中尾 ミエ : 歌手、女優)
(和田 秀樹 : 精神科医)