真面目な人ほど「就活」で損する演技社会の「茶番」
現代の就活は、無茶な演技の要求に拍車がかかっていると感じます(写真:8x10/PIXTA)
若者と接する場面では、「なぜそんな行動をとるのか」「なぜそんな受け取り方をするのか」など理解しがたいことが多々起きる。
企業組織を研究する経営学者の舟津昌平氏は、新刊『Z世代化する社会』の中で、それは単に若者が悪いとかおかしいという問題ではなく、もっと違う原因――例えば入社までを過ごす学校や大学の在り方、就活や会社をはじめビジネスの在り方、そして社会の在り方が影響した結果であると主張する。
本記事では、前回に続いて、著者の舟津昌平氏と教育者である鳥羽和久氏が、Z世代を通して見えてくる社会の構造について論じ合う。
若者は基本的に演技している
鳥羽:舟津さんがおっしゃる、権力がある人を「偉そうだからダメだ」と批判して脱権力させるのが現代社会の1つの特徴だ、という指摘は興味深いですね。おそらく、「偉そう」という点がすごく重要なポイントだと思います。偉そうだからダメっていうのは、つまり演技が下手だってことなんですよ。どういうことかというと、今の社会では「偉いのがダメ」ということが半ば常識となっているのに、偉そうに振る舞うこと自体が、もうそれだけで演技ができてない、下手だから不快だということになるんです。
つまり、リアルっぽさという、「ぽさ」が大事なんですよね。舟津さんも本で書かれていた旧ZenlyやBeReal.が若者たちに支持されているのは、リアルそのものではなく、あくまでリアルっぽさを提供してくれるから。
生の現実が見たいわけではなく、リアルっぽい振る舞いと演技のうまさを互いに楽しんでいるんです。だから、実際にはリアルじゃないってことも何となくわかっているけど、その「ぽさ」を楽しんでいるんだと思います。
舟津:「ぽさ」や「演技」は、今の若者を読み解くキーワードですね。本に入れようか迷って結局書かなかったのが、若者は基本的に演技をしている、という話です。若者は演技が上手で、演技することに慣れている。就活なんかまさに完全な演技の世界ですから。演じきらないと乗りこなせない状況です。
舟津:以前、金間大介先生が「今一番学生にウケる面接」という話を記事に書かれていました。例えばオンライン面接で、偉い部長がふざけたり、おやつを食べ出したりするんです。そこで、部下や後輩社員が突っ込むんですね。「そんなことしちゃダメでしょ」とか「何しているんですか、大人のくせに」ってたしなめる。そうすると就活生は安心するんですよ。「あ、偉い人が偉くないっぽさをちゃんと出している」と。
鳥羽:面白いですね。権力がある人が「権力なんて私、ないんですよ」っぽさをいかに演じるかが問われているんですね。
舟津:私の経験でもよくあるのは、学生や後輩がけっこういじろうとしてくるんですよね。勇気があるなと思う反面、自分がいじられるのはすごく嫌がる。たぶん脱権力されていないと不安だから、私にその「ぽさ」を求めているんだと思います。
「先生って言っても偉くないんでしょ」っていじってきて、それを受け入れるのを見せてほしいっていう、「ぽさ」の要求ですね。「脱権力されていないと不安」って、こっちがかえって不安になるような脆弱な感性ですけど、確実に浸透している感触はあります。
自分に合った演技でなければ苦しくなる
舟津 昌平(ふなつ しょうへい)/経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師。1989年奈良県生まれ。2012年京都大学法学部卒業、14年京都大学大学院経営管理教育部修了、19年京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了、博士(経済学)。23年10月より現職。著書に『制度複雑性のマネジメント』(白桃書房、2023年度日本ベンチャー学会清成忠男賞書籍部門受賞)、『組織変革論』(中央経済社)などがある。
舟津:今の話をもう少し膨らますと、我々は基本的に演技する存在だと思うんです。社会学者のゴフマンも「ドラマトゥルギー」という概念を用いて、役割を演じるという観点から社会を説明しています。その見立ては妥当だとしても、演技する役が自分に合っていないとストレスになりますし、無理なことを演技しろと言われてもできませんよね。
例えば現代の就活は、無茶な演技の要求に拍車がかかっていると感じます。拙著を読んでくれた先生から「しっかりした学生の一部に就活を嫌がる傾向がある」と聞きました。「ちゃんと」就活して会社に入ってもらわないと困るから頑張らせるけど、自分の頭で思考できていて芯のある学生ほど、演技の茶番に付き合えないというわけです。
鳥羽:そうですよね。演技性に開き直れない人たちは大変な思いをしているのをすごく感じます。ただ、会社側としては演技してくれたらいい、というのが本音かもしれませんし、むしろ演技ができる人間のほうが使いやすいという本音があるのでしょうね。
舟津:会社側は「こういう演技を求めているんだから、素直に演技してください」って思っていて、まさにその演技性に開き直れない若者が苦しむと。
鳥羽:「ノリが悪いな」って思われてしまう。友達同士だけじゃなくて社会全体からノリが悪いって言われる感じになっていますよね。
舟津:たしかに、ノリなんですよね。ノリに付き合わないとノリが悪い。どんどん集団主義が強まって、一様になることを求められている気がします。これだけ多様性、多様性、と叫ばれていますが、それも多様性を尊重する演技をしてくれよ、という意味にすぎない。
鳥羽:そうなんですよ。「多様性というノリにのってくれ」ですよね。そういうことを言うと嫌な顔されるけど(笑)。「せっかく演技しているのに」って。それでうまくいってるっ「ぽい」じゃんと。
「演技ができない=子ども」とされてしまう
舟津:高校くらいまでだと、運動ができない、勉強ができない、恋愛ができないといったことにコンプレックスを持つのは、ある程度伝統的な悩みですよね。そして現代では、演技ができないってコンプレックスが新たに加わっている。
演技は社会の潤滑油でもあって、必要な機能です。ただ集団のノリで演技を強要して、演技ができないから集団からこぼれるっていうのは何かがおかしい。でも現実的に今、大学の中の友達付き合いでも就活でも、ノリを演技することが求められるんですよね。
鳥羽 和久(とば かずひさ)/教育者、作家。1976年福岡生まれ。専門は日本文学・精神分析。大学院在学中に学習塾を開業。寺子屋ネット福岡代表取締役、唐人町寺子屋塾長、及び単位制高校「航空高校唐人町」校長として、小中高生150名余の学習指導に携わる。著書に『親子の手帖 増補版』(鳥影社)、『おやときどきこども』(ナナロク社)、『君は君の人生の主役になれ』(筑摩書房)など。
鳥羽:そうなんですよね。「サイコパス」という言葉が出てきた背景にも、それがあると思います。ノリが悪い人をおかしな人扱いするための便利な言葉として使われてしまっている。
舟津:中身のない言葉、唯言としても「サイコパス」や「何とか障害」が多用されていますね。ノレない人は「何かの病気だから」と。
鳥羽:大学のサークルとかは特にそこがはっきり出るところですよね。ノリがいい=社会化、大人化とされる。サイコパス的に自分の欲望にこだわるのは「中2だ」とバカにされる。
教室で子どもたちを見ていると、頑張ってノッていこうという動きが高校生になると段々先鋭化してくる。中学校まではまあ好きにやっている子が多いのですが、高校入学あたりから社会化の方向に一気に舵を切る子は多いです。小6から高3までという長い時間軸で子どもたちの変化を見ているので、どうしてもそういうダイナミズムがくっきりと見えるときがあります。
舟津:似たような例として、「先生の授業は面白いから出たいんだけど、友達グループが出たがらないから来づらい」とコメントペーパーに書いている学生がいました。
鳥羽:来ればいいのに、と思いますね(笑)。
舟津:まさに自分の欲望の問題ですよね。自分が来たいと思ったら来ればいいのに、「ノリが悪い」と言われるから来れない。「友達みんなで楽しくサボってるのに、ひとりだけ授業に出るやつって、ちょっとヤバいんじゃない?」って、なるんですよね、たぶん。
鳥羽:そうなのでしょうが、しょうもないですね。
先入観ありきの友達作り
舟津:私の理解では、高校まではクラスで固まる凝集性が高く、対して大学は自由に独りになれる、孤独を許容する場所だと思っています。でも、むしろ今の大学って独りにさせないようにできているんですよね。例えば特に文系学部では、大学の偏差値によらず、ベーシックセミナー(入門演習、ファーストイヤーゼミ)と銘打って新入生用のクラスを作ることが多いです。ドロップアウトする子を生まないように、大学側が友達作りの場を授業として用意している。
鳥羽:そういうお膳立ては、かえって偶然的な出会いの可能性を奪っている感じがします。
うちの教室では、高校生の哲学対話授業がありますが、最初は自己紹介らしきものはあまりしない、名前だけを言うという方針にしています。高校とか部活動などの所属なんかを言うと、それだけで色付けされちゃうから、あえて名前だけにして、1年かけて会話の中で相手のことを知っていくんです。最初に色付けしないほうが面白い。
でも今は、例えば小学生たちも発達障害という言葉を知っていますから、クラスに発達障害の子がいるとわかると、「いい子」ほどその子に配慮しなきゃと思うようになります。何かいたずらをしたりふざけたりしても、「あの子は発達障害だからしょうがないんだ」と理解を示すわけですが、それってほんとうに理解と言えるのか。むしろ最初からその子を理解しなくていいっていう共通了解をつくっただけなんであって、欲しかったのは理解したっぽい雰囲気にすぎないわけで、そうすると発達障害と名指された子どもたちはますます孤立して寂しくなっていくんです。
舟津:そうですね。それを「配慮」と呼んで、「私たちはちゃんとわかっている、この人のためにやっていますよ」と言う。「ADHDだと社会生活が困難だから配慮しよう」みたいな傾向すら生まれていますけど、特別な配慮がなくとも暮らせる人もたくさんいます。それこそグラデーションで、投薬や治療が必要な人もいる一方で、軽度だったら、分け隔てなくても馴染めるはず。それを、健常とADHDとではっきり分断させてしまう。
結局、「演技」できずに本音が出てしまう
鳥羽:怖いのは、配慮してるつもりでも、ふと本音が出るときがあることです。例えば、車椅子の方が乗車の際に駅員の方に手伝ってもらったときに、SNSで「こういうのが足りなかった」と言っただけで、炎上して抹殺されるぐらい叩かれるようなことが起こる。このときに健常者の醜悪な本音が出る。つまりそれは「こっちは配慮してやっているのに」という上から目線の言い分です。そんな本音を隠した人たちがニコニコしながら「配慮」してると思うと、とても気持ち悪いわけです。
舟津:演技の要求が強すぎる社会の怖さは、結局みんな演技しきれなくなることです。我慢できなくなって、本音をもろに出しちゃう。私はそこにすごく違和感があります。最後は本音を出すくせに、演技して、演技させる。あんなに演技に必死だったのに、そこはモロに出すんだっていう。若者もきっと、そのギャップの怖さは感じていると思います。
鳥羽:いわゆる弱者叩きなんかまさに典型で。結局もともとのヒエラルキーを維持したまま、今まで「ふり」をしていた人たちがいじめる構図が再現される。
舟津:男子学生が中性的になっているのも、その一例かなと。いまどきの男子学生は、メイクをしたり中性的な見た目の方が増えています。K-POPの影響も大きそうですけど、性の動物性、男性性を「ふり」で消している。でもそういう見た目の男性性を消した学生が、飲み会とかで後輩の女の子に対して、セクハラに類することを平気でやるんですよ。表向きは男性性を消している人たちが、実際にはそういう行動をとれてしまう。
鳥羽:すべての男子学生にそうだとはまったく思いませんが、そういう学生がいるのはよくわかります。
舟津:もちろん全員ではなく、一部の話です。でも、そのギャップにおののきました。結局のところ、若者が持っている動物性は時代と共に消えたわけではなくて、演技して見ないことにしただけなんだなと。
鳥羽:そうですね。女の子にウケないのがわかっているから、男性性を出さない。それも、ひとつのノリなんですよね。でもきっと、一部の女の子たちもノリに加担している部分もあるでしょう。非常にややこしいですが、実際モテてる男子っていうのは、意外と男性性を発揮している子だったりすることもあるので。
舟津:私は全然モテないんですけど(笑)、それと関係あるかは別として、私はけっこうそういうのを「つまらん」って思ってしまいます。内心は男性性まるだしなのに、見た目は真逆に繕う。それがモテる秘訣だとか。モテるためには見た目はこう繕いなさい。ただ実際の判断基準は逆なので、出すときは出そう。そんな二重構造、アホらしくて演技しきれない。
学生にとっての就活も同じ構造のはず。「こういうふりをしろ」と言われるけど、実際には違う基準で評価されうる。新しいことをやりたいです!と生意気な若者を演じさせられるけど、本当は上司に忠実な部下が欲しいから、そこは外さないように。常に「裏読み」を要求するようなコミュニケーションは、とても不健康だと思います。
演技への評価が権力に紐づいていることも見逃せません。いろいろややこしい演技を重ねさせられるけど、結局は面接官とかクラスの陽キャとか、偉い人が決める基準に従えるかどうか、その通りに演技できるかどうかしか問われていないんです。
真面目な人ほど損をしてしまう
鳥羽:つまりは、互いの演技力を試し合う社会なんですよね。それは監視し合うことでもあるから、フーコーが言った「権力は下から上に」という構造が強化されている。そして、大勢の人はそれをパフォーマンス、つまりある種の「ぽさ」としてしか見ていないし、その「ぽさ」こそが本物だと錯覚しているけど、一部の真面目な人たちは全部真に受けてしまう。その人たちにとっては本当に生きづらい社会ですよね。デフォルトが不真面目な社会では、真面目に受け取ると損ばかりしてしまう。そういう子たちがサイコパスと言われるのは本当にかわいそうです。
舟津:そうなんですよ。表向き言われてることは嘘で、ハックや裏技を知ってる人だけ得できると多数が信じている、本当に、デフォルトが不真面目な社会。一周回って、みんな訳がわからなくなっているんじゃないですかね。素を見せる演技をするけど、実際には素は出ていない。というか、素ってなんだっけ。演技がうまい人ほど訳がわからなくなっていくとすら思います。
会社でも本音を言う場所として、1on1という上司と部下が一対一で行う面談が流行っていますけど、これも本当に本音を言っちゃったら困るんですよね。まさに両者の演技が問われるところ。上司は上司で、部下は部下で、当たり障りないけど盛り上がる程度の悩みとか問題意識をうまいこと共有して、揉めない程度に満足度の高い時間にすることが、両者に求められてしまっている。
鳥羽:「この面談の意味、わかってるよね? 空気読んでくれよな」みたいな(笑)。
舟津:ほんとにそんな感じですね。
(7月18日に配信される第3回に続く)
(鳥羽 和久 : 教育者、作家)
(舟津 昌平 : 経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師)