■「2026年に発売開始」と報じられていた

米Appleが自動運転EV(通称Appleカー)開発プロジェクトを今年2月に中止したと、海外メディアが相次いで報じた。

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ニューヨーク・タイムズ紙は、Appleが過去10年以上をかけ、100億ドル(5月13日時点のレートで約1兆5600億円)以上を投じたと報じている。

AppleのEV開発は「プロジェクト・タイタン」と呼ばれている。自社ブランドでの自動運転EVの開発を目指した野心的な計画だ。

米ワシントン・ポスト紙は今年2月、Appleが67台のテスト車両をカリフォルニア州陸運局(DMV)に登録していると報じている。秘密主義のAppleがプロジェクトの存在を公式に認めることはほとんどなかったが、こうした点から、EVプロジェクトはもはや“公然の秘密”となっていた。

なぜこの計画は、日の目を見ることなくひっそりと幕を閉じたのか。もし完成していれば、発表予定だった2026年、私たちはどのようなクルマに乗れたはずだったのか。

■「異例の公道テスト」で期待感が高まっていた

カリフォルニア州クパチーノのApple本社近隣では今年に入りカメラやセンサーを搭載した淡いゴールドのSUVが目撃されている。米ワシントン・ポスト紙が、公道を走行する様子を報じている。目撃場所はAppleのお膝元に林立する別館のひとつ、本社から6キロほど離れたキファー4号館の目の前だ。

この車両にはボディの形状を見分けにくくするカモフラージュ塗装がないことから、自律運転システムのテスト用であり、最終的なAppleカーでない公算が高い。それを差し引いても、発表前の製品を公共の場に出すことは、Appleとしては異例の措置だ。

Appleは秘密主義で知られる。2010年、未発表のiPhone 4をApple従業員が社外でフィールドテストする際は、既存製品のiPhone 3GSに偽装したプラスチックケースに入れて使用したほどだ。

そんなAppleが、人目に触れる公道テストに踏み切った。ワシントン・ポスト紙は専門家の見解として、公道テストは同社としてプロジェクト成功に相当な自信がある証しである、との見方を伝えていた。

■近未来的なカプセル型のデザイン、シンプルな内装

これまで報じられてきたAppleカーのデザイン、機能を見てみよう。エクステリア(外観)はiPhoneを想起させる、近未来的なデザインが開発されていたようだ。

プロジェクトの途中で何度か変遷しているが、ブルームバーグは2020年ごろに予定されていたデザインとして、米カヌー社のEV SUV「ライフスタイル・ヴィークル」に近いと報じている。ちなみにライフスタイル・ヴィークルは、NASAもアルテミス計画で採用している。地上で宇宙飛行士を乗せ、発射台へ運ぶ予定だ。

エクステリアは、横から見るとフロントウインドウは90度に近い弧を描き、ルーフと車両前端をなだらかに結ぶ。後方もほぼおなじ円弧型のデザインで、全体のシルエットは前後の区別がないカプセルのような形状だ。軽くスモークのかかった窓とピラーが一体化し、総じて非常にシンプルな印象を帯びる。余分な装飾を嫌うAppleからこのまま発売されたとしても、違和感はないだろう。

インテリアはどうか。Appleカーはミニマルなインターフェースを追求しつつ、シートにはプライベートジェット並のラグジュアリーな質感があったという。内部を見たという人物はブルームバーグに対し、インテリア全般に「でこぼこのある泡」に包まれているような感覚だったと述べている。

4人乗りのシートは自在にリクライニングでき、複数あるデザインの多くでは、車内中央に大型スクリーンが設けられていた。このスクリーンはAppleのエコシステムの一角を担い、iPhoneから音楽や映画鑑賞をストリーミング再生したり、ビデオ通話アプリのFaceTimeを車内で利用したりできる構想だったという。

■今年1月には「2028年のデビュー」と報じられた

Appleの名は現在も、ドライバー付き自動運転の走行許可を受けた企業として、カリフォルニア州陸運局のサイトに掲載されている。

今年1月には、目指す自動運転のレベルを引き下げたうえで2028年のデビューを目指すと報じられたが、実現せずに終わったと報じられた。

そもそもAppleは、なぜ自動車づくりを試み、頓挫したと報じられているのか。iPhoneの次の一手になることを目論んだものの、プロジェクトに必要不可欠な自動車産業のパートナー探しで行き詰まったようだ。

2014年ごろ、共同創業者のスティーブ・ジョブズ氏の死去から3年経ったAppleは、経営の多角化を考えていた。iPhone 6は飛ぶように売れ絶好調だが、Mac、iPhone、iPadやオンラインサービス以外にも、成長分野の収益源が欲しい。当時シリコンバレーでは、EVと自動運転が次世代の成長分野とみられていた。

ジョブズ氏の後継となるティム・クックCEOらは、ここに目を付けた。MacとiPhoneで培ったノウハウを、自動車づくりに生かせないか。車載システムが複雑化していくなかで、Appleの本業であるコンピュータが持つ役割はますます大きくなっている。

■「パートナー探しに苦戦した」という指摘も

Appleはすでに、スマホとシームレスに連携する自動車向けインフォテイメント「Apple CarPlay」を普及させている(インフォテイメントとは、情報と娯楽を提供する車載システムの総称)。また、iPhoneの地図アプリ「マップ」用に世界各地の地図データを保有しており、すでにiPhoneはナビとして機能する。

EVの中核となるバッテリーでも、規模こそ異なるものの、MacBookやiPhoneで経験を積んだ高効率のバッテリー管理技術がある。後にiPhone 12 Proから搭載することになるLiDARスキャナ(自動運転にも使われる周囲の物体の把握技術)とも、結果としては相性がいい。自動車プロジェクトの未来はバラ色に思えた。

米有力技術メディアのテック・クランチによると2014年、クックCEOはプロジェクト・タイタンを正式に承認。当時のAppleは、フォードやメルセデス・ベンツなど自動車業界からヘッドハンティングを行い、社内のエンジニアと共に本社外にあるオフサイト拠点で勤務するチームを結成したという。

チームが注力したのは、パートナー探しだ。新規分野を開拓する際、まずはその業界の優良企業とタッグを組むのがAppleの流儀だ。テック・クランチは、クック氏自らBMWの施設を視察したほか、委託製造を請け負う業者にもコンタクトを取っていたと報じた。

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■徹底的に秘匿された計画

Appleの未発表情報に詳しいAppleInsiderは同年3月、関係者による情報としてEV開発棟「SG5」の実態を報じている。冒頭のSUVが目撃されたのと同じ、クパティーノに隣接するサニーベールのエリアだ。SG5には「自動車作業エリア」や「修理ガレージなど」の屋外施設が確認でき、タイタンの中核施設のひとつであった可能性があるという。

敷地内にある別の建物はシックスティーエイト・リサーチ社の所有となっているが、検索しても同社の情報はほとんど見つからない。Apple情報サイトの9to5Macは2016年、「開発の秘密を守るため、アップルはカリフォルニア州サニーベールに拠点を置くシックスティーエイト・リサーチというペーパーカンパニーを利用しているとみられる」との記事を掲載している。社運を掛けたタイタンの存在が、いかに徹底して秘匿されていたかを物語る。

■責任者が去り、メンバーが解雇される

だが、2016年になるとApple社内でも、迷走するタイタンに意見が割れるようになった。ウォール・ストリート・ジャーナル紙の記事によると、フォード出身のエンジニアであるスティーブ・ザデスキー氏がプロジェクト責任者を降り、ジョブズ氏の下でテクノロジー担当副社長を長年務めたボブ・マンスフィールド氏が継いだ。

プロジェクトは600人規模に膨れ上がっていたが進捗は芳しくなく、iPhoneやMacのデザイナーとしてID(工業デザイン)チームを率いてきたジョナサン・アイブ氏は、前年から同年の状況に「不快感」を示したと報じられている。社内でも不協和音が響き始めていたようだ。

それまで2019年を目指していた出荷時期は、2021年に後ろ倒しとなった。秋頃にはマクラーレンとの提携を打診するが結実せず、マンスフィールド氏はやむなく、EV本体の製造を優先事項から外した。自律走行システムの開発に軸足を移すプランだ。ハードウェアを担当していた数百人規模のメンバーがプロジェクトを去り、テック・クランチによると、内部からは「信じられないリーダーシップの失敗」との批判が上がったという。

またテック・クランチは、タイタンは2018年を迎えるころには5000人規模の巨大プロジェクトに成長していたが、翌年には200人以上を解雇するなど迷走が続いたと指摘。2020年からのコロナ期には前掲のカヌー社とのパートナーシップを探っていたが、話し合いは決裂したという。その後もパートナー探しは難航する。

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■日本の自動車会社が大注目された

イギリス最大規模の技術情報サイトであるテック・レーダーは、ドイツのフォルクスワーゲン、韓国キア自動車、日本の大手自動車企業、そして韓国LGなどと交渉し、いずれも結実しなかったと報じている。

自動車産業には大手メーカーをトップとする、明確なヒエラルキーが存在する。その頂点に立つ既存メーカー各社としては、Appleブランドの下で自社が設計や製造を受託することに、強い抵抗があったようだ。パートナー探しに失敗したAppleは、クルマという同社にとって経験のない分野において、研究開発からロジスティクス(部品調達)までをすべて手がける難題に突き当たった。

ほか、開発方針の度重なる変更も災いしたようだ。当初、あらゆる環境での完全自動運転を実現する「レベル5」を目指していたが、その後「レベル4」に引き下げ。さらに今年1月には、ドライバーが乗り前方注意義務を負う「レベル2」プラスアルファへと縮小した。テック・クランチは、「アップルは1年たりとも、具体的に何を作りたいのか、維持できた試しがなかった」と指摘する。

こうした開発上の難題とは別に、EV市場自体がAppleにとってすでに魅力を失っていた事情もある。中国BYDなどの新興メーカーに押され、Teslaのイーロン・マスク氏は欧州や中国市場で値下げを迫られている。米フォードやゼネラル・モーターズなど大手も、揃ってEVの生産拡大の見直しに出た。高品質・高利益率をモットーとするAppleにとって、EV市場はすでにブルーオーシャンではなくなっていた。

米ビジネス誌のフォーチュンおよびブルームバーグによると、Appleのジェフ・ウィリアムズCOO(最高執行責任者)らが今年4月27日、最終的に約2000人が従事していたタイタンの中止を社内に伝達。チームメンバーには動揺が走ったが、多くは社内のAI部門に移籍し、生成AIなどの開発に今後注力するという。

■巧みな鞍替え戦略が徒となった

Appleが既存の業界に切り込むとき、そこには必ず既存各社との複雑な利害関係が生じる。テック・クランチは、「アップルの手口とは、他社に新たなカテゴリを確立させておいて、(Appleの)デザインとロジスティクスの力で市場を掌握し、搾り取るというものだ」と論じる。

既存自動車各社が協力を躊躇した理由は、Appleの下に収まりたくないというブランド戦略だけではないだろう。Appleの市場参入に手を貸せば、いつか業界トップの座を奪われる未来が目に見えている。

過去を振り返っても、Appleはいつの時代も鞍替えが上手かった。90年代、Mac OS(現macOS)はモトローラのCPU「PowerPC」上で動作しており、Intelで動くWindows勢に速度で水をあけられていた。スティーブ・ジョブズCEO(当時)は、Intel製CPUは発熱量がひどいと主張し、数カ月に1度の自社イベントがあるたびに壇上で散々にこき下ろした。そのわずか数カ月後のイベントで、ジョブズ氏は何食わぬ顔で再び登壇し、満面の笑みでIntel対応版Mac OSを発表する。Mac OSは「(PowerPCとIntel版が存在する)秘密の二重生活」を送っていたのだ、と涼しい顔で言ってのけた。

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■何度も失敗を繰り返してきたから大ヒットがある

Appleはその後、さらにIntelとの蜜月に別れを告げ、現行「M3」「M4」などMシリーズチップの自社開発に乗り出す。こうして折々に最適なパートナーと組み、最終的には内製化するのがAppleのスタイルだ。

iPhone誕生以前の2005年には、盟友・モトローラと携帯分野でもタッグを組み、音楽ソフト「iTunes」搭載の携帯「ROKR」をモトローラブランドから発表。酷評を受けると早々に手を切り、2007年には自社製の初代iPhoneを発表した。モトローラとしては、携帯産業のノウハウだけを吸収された形だ。Appleカー頓挫の背景に、こうした変わり身の早さを自動車各社が警戒し、協業を拒んだ可能性も否定できない。

自動運転EVの開発中止は、Apple社の未来にどんな影響があるのだろうか。昨年発表されたゴーグル型空間コンピュータ「Vision Pro」の反響の薄さといい、近年のAppleにはかつての勢いがないようにも思われる。とはいえ、Appleはこれまでも野心的な製品を発表し、iMacやiPhoneなど大ヒットを飛ばしてきた。

古くは製造品質に批判の相次いだiMac G4 Cubeや、日本のバンダイと提携するも失敗に終わったゲーム機のPipin Armark、Appleを瀕死に追いやったMac OS Coplandなど、致命傷となりかねない失敗作やプロジェクト中止を何度も乗り越えてきた。

AI分野に人的リソースを振り直したことで、後手に回った音声アシスタント・Siriの評判を覆し、目下峻烈な開発競争が繰り広げられているAI製品の分野で巻き返しを行っていくのだろう。指輪状のスマートリング「Apple Ring」の噂も聞こえ始めており、Apple製品はさらに生活に密着した領域に裾野を広げそうだ。共同創業者・スティーブ・ジョブズ氏の意志を継ぐ現ティム・クックCEOの次の一手に期待したい。

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青葉 やまと(あおば・やまと)
フリーライター・翻訳者
1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。
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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)