ピラミッドの建設にはナイル川の支流か運河が用いられたことが、当時の現場監督の日記に記録されています。地質学者らの研究により、「アフラマト支流」と名付けられた、ピラミッド群のそばを流れていた支流の存在が証明されました。

考古学:遠い昔に存在していたナイル川のアフラマト支流沿いに建設されたエジプトのピラミッド群 | Communications Earth & Environment | Nature Portfolio

https://www.natureasia.com/ja-jp/research/highlight/14918

The Egyptian pyramid chain was built along the now abandoned Ahramat Nile Branch | Communications Earth & Environment

https://www.nature.com/articles/s43247-024-01379-7

Found at last: long-lost branch of the Nile that ran by the pyramids

https://www.nature.com/articles/d41586-024-01449-y



Discovery may explain why Egyptian pyramids were built along long-lost Ahramat branch of the Nile

https://phys.org/news/2024-05-discovery-egyptian-pyramids-built-lost.html

ピラミッドの多くは、ナイル川西岸の砂漠地帯の端に点在していて、ピラミッドを建設するにあたっては、川の流れを利用したことが過去の記録からわかっています。また、実際に水路の痕跡は各地から見つかっています。

ピラミッドはナイル川の力と大規模な土木工事によって造られたことが現場監督の日記に記録されていた - GIGAZINE



今回調査を行ったのは、ノースカロライナ大学ウィルミントン校の地質学者であるイマン・ゴーニム氏らです。

エジプト育ちのゴーニム氏は2年ほど前、マルチスペクトル衛星写真で支流の痕跡を初めて確認。

その後、現地で堆積物コアを取得して分析を行い、かつて支流が存在したことを確認し、この支流にアラビア語で「ピラミッド」を意味する「アフラマト」と名付けました。

以下はナイル川流域の地図で、赤や緑などで示された丸印がピラミッドです。青い線は現在のナイル川、水色の実線は確認されたアフラマト支流、水色の点線はアフラマト支流の予測流路です。



ゴーニム氏らによるコアの分析から、アフラマト支流は少なくともメンフィスに首都が置かれたエジプト第3王朝期(紀元前2686年〜)から、イチ・タウィ(今のリシュト村あたり)に首都を置いたエジプト第13王朝期(〜紀元前1650年ごろ)には、地図で示された流路で流れていたと考えられます。

その後、ナイル川の流れそのものがプレートテクトニクスによって東へ東へと動いていったことや、砂漠から砂が吹き込んだことなどにより、アフラマト支流は枯れてしまったと考えられます。

以下はエジプト測量局が1911年に作成した地図で、バール・エル=リベイニ運河(Bahr El-Libeini)や周辺の使われなくなった水路が描かれています。



水路部分と衛星写真を重ねたもの。ゴーニム氏らは、運河は「アフラマト支流」の生き残りだと考えています。