高知市の「とさのさと」に並ぶ漬物、こうした手作り漬物の販売が今後、難しくなる(写真:筆者撮影)

食品衛生法の改正に伴い、衛生基準をクリアする設備が必須となったことで、各地の手作り漬物が消えかねない事態が起こっている(全2回。今回は後編です)。

自宅で手作りして道の駅などに出品してきた多くの高齢者らが対応できず、今年5月末の経過措置期限までに生産をあきらめる人も多い。郷土の味の存続危機に、識者も疑問を投げかける。

漬物を喜ばれるのが生きがい

「漬物を喜ばれるのが生きがいだったけど、複雑な手続きをする体力も気力もなければ、設備投資をするお金もない」

愛媛県で長年、漬物作りをしてきた80歳女性は、こうため息をつく。

法改正によって、漬物製造には基準を満たす専用スペースが必須となり、今年6月以降も製造を続けるには多額の設備投資が必要になることから、高齢の作り手を中心に漬物作りを断念する動きが起きているのは、前回の記事(タイトル:道の駅から「おばあちゃんの味」が消える深刻事情)の通りだ。

きっかけは大規模食中毒

そもそも、法改正の発端は、2012年に北海道で起こった大規模な集団食中毒だ。

札幌市の食品会社が製造した白菜の浅漬けによって食中毒が発生し、169人が症状を訴え、8人が死亡した。製造過程での消毒が不十分なまま、漬物を作り続けていたことが原因とされている。

この事件を受け、厚生労働省主導で、漬物製造業も営業許可制となることが決まり、「HACCP(ハサップ)」に適合した食品衛生管理が義務付けられる。

HACCPは、食品衛生法の改正により、2021年から食品を扱う全事業者に義務付けられた衛生管理の手法で、国際的な衛生基準だ。原料の受け入れから出荷まで、健康被害の可能性があるリスク要因を、科学的な根拠のもとで管理する。

アメリカやEU(欧州連合)などではすでに、基本的にすべての食品にHACCPの実施や、HACCPの考え方に基づいた衛生管理が義務付けられており、今後も世界各国で同様の流れが見込まれる。

だが、個人で漬物製造を行う生産者らからは、「漬物に国際水準が必要なのか」という声も多い。

「あくまで菌ありきで考える発酵食品と、あらゆる菌をなくすというHACCPの考え方とは、相反する部分がどうしてもある」

こう話すのは、発酵のメカニズムに詳しい東京農業大学教授の前橋健二さんだ。

和食に使われる味噌、しょうゆ、酢、みりん、酒はすべて発酵食品で、漬物もその1つ。発酵とは、食品に微生物が増えることによって起こる変化で、温暖で湿度の高い気候風土を活かした日本特有の食文化だ。

「一般的に発酵食品は、菌が存在するのが大前提で、良い菌が増えると悪い菌が減るという考え方で作られています。伝統的な発酵食品は、雑菌がたくさん存在しても、良い菌が増えていくごとに、腐敗や食中毒の原因となる細菌が増殖しにくくなり、結果的に食の安全が保たれるという考えがベースです」(前橋さん)

また、食中毒のリスクという観点で考えると、「漬物全般をひとくくりにするのは、いささか疑問が残る」とする見方もある。

漬物は、塩を使うことで素材を腐敗から守り、熟成するごとにうま味を引き出すように作られている。塩蔵を基本としながら、そこに調味料や発酵による風味付けを行うことで、さまざまな種類の漬物が作られる。

また漬ける期間も古漬けなどの長期から、浅漬けなどの短期まであり、漬け込む回数も1回だけのものから数回にわたって漬け込むものまで、さまざまだ。


古漬けの漬物。塩を使うことで素材を腐敗から守っている(写真:筆者撮影)

食中毒のリスクがあるのは?

食品の発酵に詳しい東京家政大学大学院客員教授の宮尾茂雄さんは、「食中毒を起こす漬物は、浅漬けなど、低塩で非加熱殺菌の漬物に集中している」と指摘する。

「食中毒のリスクがある浅漬けは、殺菌や温度管理などを徹底するべきですが、しっかり塩漬けされた漬物や梅干し、らっきょうなどの甘酢漬け、いぶりがっこのように燻煙された漬物、加熱殺菌された漬物などでは、食中毒の事例は起こっていません」(宮尾さん)

それを踏まえると、今回の法改正で漬物全般が営業許可制になるのは、少し強引な印象だという。

「範囲を広げ過ぎているようにも感じます。かといって、漬物の種類ごとに線引きを変えるのも、管理や運用面で考えると難しいため、悩ましいところです」(宮尾さん)

実際、厚労省は規制強化の対象を漬物全般としたことについて、「浅漬けとそれ以外などを区別する線引きが難しい」(担当者)とする。作り方が異なり、食中毒リスクの観点において差があったとしても、ひとくくりにせざるを得ないのが実情のようだ。

こうした中、伝統の味を守ろうとする動きが各地で広がり始めている。

伝統の味を守ろうとする動き

「漬物作りを続けたい人の思いや、味の伝承をできるだけ守っていきたい」。食品衛生法の改正で今年6月以降、漬物などの製造業の営業許可が必須なることを受け、高知県は1月29日、営業許可取得の基準を満たす施設改修や機器の導入に対する補助金を創設した。

それぞれの地域の実情に応じて運用できるよう、市町村と協調する制度とし、補助率は、市町村負担額の2分の1以内。県の補助上限は個別加工施設50万円、共同施設100万円で、改正法施行前から営業する事業者が対象となる。

3月1日時点で、県内34市町村のうち「支援制度を創設済み」が23市町村、「検討中」が8市町村、「取り組む予定がない」のが3町村だという。

「可能な限り、幅広い方に補助制度を活用してもらうことで、漬物文化の伝承を守っていけたらと考えています」(高知県地産地消・外商課)

前回の記事にある「いぶりがっこ」の産地・秋田県横手市も、県との共同助成を行う。補助金の創設のほか、市の施設に漬物の製造保管場所を増設し、共同利用できるように整備や改修を行った。

また、生産者が改修や営業許可を得るための手続きなどについて、個別に相談できる専属の相談員を2022年から配置。高齢の生産者が、許可を得るための煩雑な手続きを理由に製造をやめるのを防ぐ目的だという。

“支援があるなら、もう少し頑張ろうかな”とする生産者も増え、2021年に同市が実施したアンケートでは、187人のうち製造継続の意向を示したのは、当初の1割から約半数に増加した。

「いぶりがっこは、食事だけでなく、お茶請けとしておやつ代わりにも食べたりする地域の味。できる限り、守っていきたいと思っています」(横手市食農推進課)

「手作り漬物がなくなる前に、僕らと一緒に製造所作りませんか?」

今年1月、SNSのこんな投稿が注目を集めた。発信の主は、梅の産地として知られる和歌山県みなべ町で、梅干し製造会社「うめひかり」を営む山本将志郎さん(30)。

山本さんは、全国各地で農家の後継者不足が問題になる中、耕作放棄地を活用し、梅栽培に励んでいる。

法改正によって、各地で漬物作りを断念する生産者が増えている事態を受け、山本さんは「必要最低限の小さな梅干し製造の設備を整えて、全国のおばあちゃんたちにオーナーになってほしい」と発信。今後、必要な設備を整備するための費用を、クラウドファンディングで募るなどし、製造を続けたい人をサポートしていく予定だ。

山本さんは、「1次産業や地域の味をつなぐ担い手が不足しているという根本的な問題に目を向けなければならない」とも強調する。

「漬物製造が続けられないと断念する人が相次いでいますが、その根本的な課題は、後継ぎがおらず長期的な設備投資に踏み切れないことだと思います。法改正で、この問題が改めて取り沙汰されましたが、農家の高齢化と後継者不足という問題は、もっと前から起こっている。本当の意味で味の伝承を考えるなら、より根本的なところから考えないといけない」(山本さん)


和歌山県で梅干し作りに取り組む「うめひかり」スタッフ。前列右から2番目が山本さん(写真:山本さん提供)

地域の味を守ろうという機運

前出の宮尾茂雄さんは、「問題が表面化したことで、地域の味を守ろうという機運が生まれたのは明るい兆し」とも指摘する。「これを機に、若い人が文化継承のために動いてくれるなどの動きも期待したい」。

法改正が決まってからの移行期間、長年にわたって漬物を作ってきた高齢者らは、苦悩を重ねてきただろう。生きがいや楽しみとして作り続けてきた人も多いだけに、継続するかどうか悩み抜いた人も少なくないはずだ。

小規模で漬物を作る多くが野菜の栽培農家で、多くが高齢者。ただでさえ作り手が少ない中で、法改正を機に撤退を決めた人もいる。

補助金や共同加工場の整備などの支援の動きがあっても、「そこまでしては続けられない」と判断する高齢者も少なくない。前出の前橋さんは言う。

「発酵文化を含めた和食文化は、これまでも幾多の困難を乗り越えてきた。衛生管理の徹底は、時代の流れや環境の変化を踏まえても必要で、法改正は致し方ないと考える。時代に合わせて変化しながら伝統を守ろうとする努力が必要ではないか」

郷土の味と、作り手の生きがいが途絶えることのないよう、活路となるような道筋を見出せるのか。規制強化が目前に迫っている。

(松岡 かすみ : フリーランス記者)