「他の学校じゃダメ」星稜の“伝統”変えた女子高生 4か月は帰宅部も…諦めず叶えた夢
星稜に野球部史上初めての女子部員とマネジャーが誕生した
「他の学校じゃダメなんです。星稜じゃなきゃ」。女子生徒の熱意が強豪校の“伝統”を変えた。第96回選抜高校野球大会は25日に3試合が行われ、星稜(石川)が八戸学院光星(青森)を3-2で破り3回戦進出を決めた。そんな強豪校のアルプススタンドには今までなかった女子部員とマネジャーの姿があった。
同校はこれまで女子部員とマネジャーを採用してこなかった。しかし一昨年春に入学した鈴木紗弥さん(2年)が山下智将監督に入部を懇願し、野球部史上初めての女子マネジャーに就任した。しかし、その道のりは決して簡単ではなかった。
鈴木さんがマネジャーを志し始めたのは小学生の頃。夏になると必ず実家や祖母の家のテレビに星稜の試合が映っていた。選手たちがひたむきにプレーする姿に心奪われた。「気づいたらファンになっていました。それで小学校の頃から星稜のマネジャーをすることが私の夢だったんです」。中学時代には土日に試合を観戦しに行きたいという理由だけで、土日休みだった美術部に入部を決めた。生活の中心にはいつも星稜があった。
だからこそ、高校受験も迷いはなかった。女子部員とマネジャーがいないことももちろん知っていたが、自分の夢を曲げることは出来なかった。無事合格すると、登校初日にすぐさま山下監督のもとを訪れた。「マネジャーやらせてください」。自己紹介とともに直談判したものの「野球放送部じゃダメか? 今はそういうことも考えていないんだ」と夢を叶えるのは簡単ではなかった。
しかし、山下監督は前向きに検討してくれたという。これまでは秋から冬の間に選手の中からマネジャーを選出してきた。選手自身から立候補する事もあるが、監督が自ら転身を相談する事もあったという。この“伝統”には、川岸正興コーチも「マネージャー=選手を諦めろということになってしまうので」と選手としての夢を終わらせなければならない残酷さを感じていた。
なんとか最後まで選手としてやらせてあげたいという思いが首脳陣にはあったという。川岸コーチは「時代も変わってきて、うちも新しい方向にと思っていましたが、具体的な方法がなかったので」と転換のタイミングを図っていたと明かす。
入学後4か月は帰宅部でも絶対に諦めなかった
それでも、返事はすぐに来なかった。結局、正式にマネジャーとして迎え入れられたのは新チームが始動した8月。練習試合のアナウンスを手伝っていた野球放送部の3年生らも正式にマネジャーとして採用された。歴史ある野球部で初めてのことでもあり、OB会や校長先生など様々な方へ許可を取る必要があった。さらに野球放送部として支えてくれていた生徒の立場も真剣に考える時間が必要だった。
「めちゃくちゃ不安でした。4か月は帰宅部だったので」と不安な日々も過ごした。そのような状況でも「もし断られたらもう一度お願いしに行こうと思っていました(笑)」と諦める気はゼロだった。
マネジャーの仕事は飲用水の用意から、掃除やデータの整理まで幅広い。さらに同高では、基本的に部員と同じく休みは不定期で週1回すらないこともある。「めちゃくちゃつらいです(笑)」とつい本音も漏れるが、「でも夢だったので頑張れます」と前を向く。
「ベンチに入ってスコアをつけたい」。幼い頃からの夢を叶えた今、新たな夢もできた。これからも全国制覇の目標を全力で支え続ける。大好きな星稜のために。(木村竜也 / Tatsuya Kimura)