アメリカの科学誌「Improbable Research(風変わりな研究の年報)」が1991年から主催する、「笑い、そして考えさせられる研究」に対して贈られる「イグノーベル賞」の第33回(2023年度)授賞式が、日本時間の2023年9月15日7時に開催されました。特に日本人は2017年度から毎年イグノーベル賞を受賞しており、第33回でも日本人の研究者が栄養学賞を受賞しました。

The 33rd First Annual Ig Nobel Prizes:

https://improbable.com/ig/2023-ceremony/

受賞式の様子は以下から見ることができます。イグノーベル賞の授賞式はハーバード大学のサンダース・シアターで開催されてきたのですが、新型コロナウイルスのパンデミックによって2019年からはオンライン開催となっています。

イグノーベル賞2023 授賞式 日本語版公式配信 / The 33nd First Annual Ig Nobel Prize Ceremony [Japanese Subtitles] - YouTube

第33回イグノーベル賞のテーマは「水」ということで、司会進行は船の上で行われました。受賞者には「イグノーベル賞を受賞したよ」と書かれた紙と10兆ジンバブエドル、そしてトロフィーが贈られます。なお、ジンバブエドルは2015年に通貨として廃止されてしまったため、贈られるのは本物のお札ではなく、拡大印刷できるデータです。



トロフィーはPDFファイルを印刷して、受賞者自身が組み立てる仕組み。2023年度はコーラの箱(12本未満入り)を模した箱になりました。



◆化学・地質学賞:なぜ多くの科学者は石をなめるのが好きなのかを説明したこと

化学・地質学賞はポーランド・イギリスのヤン・ザラシェヴィッチ氏に贈られました。

Eating fossils | The Palaeontological Association

https://www.palass.org/publications/newsletter/eating-fossils

ザラシェヴィッチ氏によると、地質学者は岩石をなめることが多いそうで、これは岩石の表面がぬれている方が、乾いている時よりも表面の粒子がよく見えるからという視覚的な理由があることを示しました。また、18世紀のイタリアの地質学者であるジョバンニ・アルドゥイーノは、実際に味覚を用いて鉱物を識別していたという記録もあるそうです。



◆文学賞:一つの単語を何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も繰り返した時に覚える感覚の研究

文学賞はフランス・イギリス・マレーシア・フィンランドのクリス・ムーラン氏、ニコール・ベル氏、メリタ・トゥルネン氏、イリーナ・バハラン氏、アキラ・オコーナー氏に贈られました。

The the the the induction of jamais vu in the laboratory: word alienation and semantic satiation: Memory: Vol 29, No 7

https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/09658211.2020.1727519

ふとした瞬間に「今知覚しているものを過去にも経験したことがあるような気がするような感覚に陥ること」を「デジャヴ」といいます。研究チームは、デジャヴの反対である「本来見慣れているものを主観的に見慣れないもののように感じてしまうこと」を「ジャメヴ」と呼び、何度も同じ言葉を繰り返すことでジャメヴを起こすかどうかを確かめました。その結果、1分間に30回同じ言葉を繰り返すと、被験者の3分の2が「ジャメヴを経験した」と報告したことがわかりました。



また、日常生活でデジャヴを経験したと報告した人は、ジャメヴを経験したと報告する可能性が非常に高かったそうで、研究チームはこの2つの間に相関関係があることを示唆しています。

◆機械工学賞:機械じかけのマジックハンドとして、死んだクモを生き返らせたこと

機械工学賞はインド・中国・マレーシア・アメリカのティ・フェ・ヤップ氏、ジェン・リウ氏、アヌープ・ラジャパン氏、トレバー・シモクス氏、ダニエル・プレストン氏に贈られました。

Necrobotics: Biotic Materials as Ready‐to‐Use Actuators - Yap - 2022 - Advanced Science - Wiley Online Library

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/advs.202201174

プレストン氏らの研究チームは、死んだクモの筋肉を空気圧で動かし、クレーンゲームのクレーンのように物をつかむ実験を行いました。実際にどんな感じなのかは以下の記事を読むとよくわかります。

クモの死体をロボットハンドに改造した「ネクロボット」が登場 - GIGAZINE



死んだクモを使ったマジックハンドは体重の1.3倍を超える物体を持ち上げることができ、最大握力は0.35ミリニュートンを記録したとのこと。また、足の開閉を1000回繰り返すことができるなど、高い耐久性も確認できたと研究チームは報告しています。

研究チームは死んだクモを使ったロボット工学分野を「ネクロボティクス」と呼んでいますが、この呼び名は研究チーム全員で考えたとのこと。他の名前も検討したものの、最終的には「ネクロボティクス」が定着したそうです。研究チームは「ネクロボティクスという新しい分野が好奇心を刺激するような研究や生態素材に敬意を払いながら持続可能な形でロボット工学へ応用するためのアイデアへとつながることを願っています」とコメントしました。



◆公衆衛生学賞:人の排せつ物を迅速に解析するため、尿検査用の試験紙や排せつ分析のための画像解析システム、肛門認証センサー、さらにオンラインシステムなど、多様な技術を搭載したスタンフォードトイレの発明

公衆衛生学賞は韓国・アメリカのパク・スンミン氏らに贈られました。

Passive monitoring by smart toilets for precision health | Science Translational Medicine

https://www.science.org/doi/10.1126/scitranslmed.abk3489

Digital biomarkers in human excreta | Nature Reviews Gastroenterology & Hepatology

https://www.nature.com/articles/s41575-021-00462-0

パク氏が考案したのは、トイレにさまざまなセンサーやカメラを取り付けることで排せつ物や肛門の状態を常にチェックし、ヘルスケアのモニタリングを行えるスマートトイレです。パク氏はスマートトイレを活用することで、新型コロナウイルスやノロウイルス、赤痢(せきり)菌などの検査を行い、データを集約して分析することで衛生当局がリアルタイムに病気の流行を把握できるようになると述べています。



スマートトイレについては1970年代から検討されており、さまざまな企業がスマートトイレの実用化を進めていることが報じられています。

用を足す人の健康を最新のテクノロジーで徹底的に管理する「スマートトイレ」の開発が進んでいる - GIGAZINE



パク氏は「この栄誉に感謝します。うんちをうんと活かすことを忘れないでください」と、オーギュスト・ロダンによる「考える人」像の前に置かれた便座に座って述べました。



◆コミュニケーション学賞:逆さ言葉が達人たちの精神活動の研究

アルゼンチン・スペイン・コロンビア・チリ・中国・アメリカのマリア・ホセ・トーレス・プリオリス氏、ディアナ・ロペス・バロッソ氏、エステラ・カマラ氏、ソル・フィッティパルディ氏、ルーカス・セデーニョ氏、アグスティン・イバニェス氏、マルチェロ・ベルティエ氏、アドルフォ・ガルシア氏らにコミュニケーション学賞が贈られました。

Neurocognitive signatures of phonemic sequencing in expert backward speakers | Scientific Reports

https://www.nature.com/articles/s41598-020-67551-z

研究チームによると、スペインのある地方では、わざと逆さ言葉で話す文化があるそうで、しかも1単語だけではなくかなり長い文章を逆さに話すこと。この逆さ言葉を話す人たちは聴覚と視覚の処理に関わる神経回路に独特なパターンを含んでいたことがわかりました。研究チームは「普通の言葉を理解する精神活動のメカニズムを理解するために、逆さ言葉を話す時のメカニズムを理解しようとしたのです」と述べています。



◆医学賞

医学賞はアメリカ・カナダ・マケドニア・イラン・ベトナムのクリスティーン・ファム氏、ボバク・ヘダヤティ氏、キアナ・ハシェミ氏、ティアナ・ママガミ氏、エラ・チュカ氏、マルギット・ユハジ氏、ナターシャ・マシンスコフスカ氏の「左右の鼻毛の本数が同じかどうかを確かめるために死体を用いた研究」に対して贈られました。

17958 The quantification and measurement of nasal hairs in a cadaveric population - Journal of the American Academy of Dermatology

https://www.jaad.org/article/S0190-9622(20)32002-8/fulltext

脱毛症は髪の毛だけではなく、まつげや眉毛、そして鼻毛でもみられます。一般的に鼻毛は「病原体などの異物の侵入を防ぐ」と考えられていますが、研究チームによると、脱毛症で鼻毛を失った人は病気にかかるリスクが高まるかどうかについての研究がなかったとのこと。また、体は基本的に非対称なので、鼻毛の本数も非対称なのかが気になったことも研究の動機になったと語っています。



研究チームが約20人分の死体の鼻毛を数えた結果、鼻毛は平均的に左側に120本、右側に112本あり、左側の方がわずかに多いことがわかりました。また、毛は鼻の前方で生え、0.81〜1.035cmまでにしか成長しないこともわかりました。このことから研究チームは、鼻毛が外部からの侵入を防ぐためのものという仮説がより確からしいといえると論じています。

◆栄養学賞:電気刺激を用いた箸やストローが人の味覚をどのように変えるかを調べた実験

明治大学の宮下芳明教授と東京大学の中村宏美特任准教授に、栄養学賞が贈られました。日本人の受賞は2007年から17年連続となります。宮下教授と中村特任准教授は、味覚を電気で操作する仕組みについて研究を行っており、2016年には電気で味覚を操作して塩分を感じさせるフォークを開発しています。

食べ物に電気を流して味を変化させる「エレクトリックフォーク」は塩分過多の食生活に革命を巻き起こす? - GIGAZINE



この技術は、例えば病気によって減塩食を強いられる人に役立ちます。減塩食は塩味が薄いことからあまりおいしく感じられず、患者のメンタルにも大きな影響を与えます。電気で味覚を操作することができれば、減塩食をおいしく食べることができるようになるというわけです。



2022年にはすでにキリンと明治大学が開発を進めていることが報じられています。また、宮下教授は遠隔で味を伝える技術「テイストメディア」の研究にも着手していることを明らかにしました。

「塩味を1.5倍に増強する箸型デバイス」の開発にキリンと明治大学が成功 - GIGAZINE



宮下教授は受賞式で、電気刺激で味覚を操作するデバイスを「Electric Salt(エレキソルト)」という名前で2023年中の発売を予定していることを発表しました。



◆教育学賞:教師と生徒の退屈に関する体系的研究

香港・イギリス・オランダ・アイルランド・アメリカ・カナダ・日本のケイティ・タム氏、サヤニア・プーン氏、ヴィクトリア・フエ氏、ワイナン・ヴァン・ティルバーグ氏、クリスティ・ウォン氏、ヴィヴィアン・クワン氏、ジジ・ユエン氏、クリスチャン・チャン氏らに、教育学賞が贈られました。

Whatever will bore, will bore: The mere anticipation of boredom exacerbates its occurrence in lectures - Tam - 2023 - British Journal of Educational Psychology - Wiley Online Library

https://bpspsychub.onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1111/bjep.12549

Boredom begets boredom: An experience sampling study on the impact of teacher boredom on student boredom and motivation.

https://psycnet.apa.org/record/2019-43511-001

研究チームは、香港の中学校で生徒437人と教師17人を対象に、毎日の授業の退屈度を記録する日記を2週間つけさせました。また、生徒たちは教師がどれだけ退屈していると感じられたか、授業中にどれだけやる気を感じているかを評価しました。

その結果、教師自身が教えることに退屈している場合、教師の退屈が生徒に影響を及ぼし、生徒のモチベーションが減少したこともわかりました。教師側は毎年同じ授業を教えなければならないため、教えることに退屈しやすく、このことが生徒を退屈させている原因になっている可能性があるというわけです。



◆心理学賞:路上で見知らぬ人が上を見上げているのを見た時にどれだけの通行人がつられて上を見上げるのかを調べた実験

心理学賞はアメリカのスタンレー・ミルグラム氏、レナード・ビックマン氏、ローレンス・バーコヴィッツ氏に贈られました。

(PDF) Note on the Drawing Power of Crowds of Different Size

https://www.researchgate.net/publication/232493453_Note_on_the_Drawing_Power_of_Crowds_of_Different_Size

研究は1968年に行われたもので、研究チームを率いたのは「ミルグラム実験」で知られるスタンレー・ミルグラム氏です。ミルグラム氏は1984年に亡くなっているため、受賞式ではゼミ生だったビックマン氏が代わりにトロフィーを受け取りました。



ミルグラム氏は1〜15人のゼミ生を、通行人の多いマンハッタンの42番街に立たせて、ふとした瞬間に上を見上げさせ、その様子を近くにある建物の6階から観察しました。

上を向いたゼミ生が1人だった場合、42番街を歩いた通行人1425人のうち、立ち止まって上空を確認した人は全体のわずか4%でした。しかし、上を向いたゼミ生を15人に増やすと通行人の40%が立ち止まったとのこと。また、立ち止まらずに上を向いた人を含めると、ゼミ生が1人だと通行人の42%が、ゼミ生が15人だと通行人の86%がつられて上を向いたそうです。

◆物理学賞:カタクチイワシの性活動がどれだけ海洋混合に影響を与えるのか

スペイン・ガリシア・スイス・フランス・アメリカのビエト・フェルナンデス・カストロ氏、マリアン・ペーニャ氏、エンリケ・ノゲイラ氏、ミゲル・ギルコト氏、エスペランザ・ブルロン氏、アントニオ・コマサーニャ氏、デミアン・ブファート氏、アルベルト・ナヴェラ・ガラバト氏、ベアトリス・モリーニョ・カルバリード氏の研究に物理学賞が贈られました。

Intense upper ocean mixing due to large aggregations of spawning fish | Nature Geoscience

https://www.nature.com/articles/s41561-022-00916-3

海洋混合とは海の上層と下層が混ざることで、海中の栄養分のバランスにも大きく影響します。これまで海洋混合は海生生物の活動から影響を受けているのではないかと議論されていました。

研究チームは2018年に調査を行い、大量のカタクチイワシが産卵期に交尾しながら群泳することで、海流の散逸が通常の10倍から100倍に増加したことを突き止めました。このことから、カタクチイワシの性活動が海洋混合を引き起こしている可能性を示しています。