【マンガで学ぶ】「お金は汚い」日本人の洗脳を解除せよ!元日経新聞記者が力説する理由
三田紀房の投資マンガ『インベスターZ』を題材に、経済コラムニストで元日経新聞編集委員の高井宏章が経済の仕組みをイチから解説する連載コラム「インベスターZで学ぶ経済教室」。第5回は、日本人が抱きがちな「お金は汚い」という固定観念を解体していく。
「洗脳解除」に必要なもの
投資部の初代主将が遺した格言集の冒頭には「金ハ人ナリ 人ハ金ナリ」とあった。主人公・財前孝史はその言葉を手掛かりに思考を深め、貨幣によって物々交換から脱却した人類が交易・分業を進め、「食べること以外を考える」時間と豊かさを手に入れたと気づく。そして次の格言「金ノ聲(こえ)ヲ聞ケ」は、お金の本質にまで財前の視野を広げる。
1銘柄にいきなり30億円を投じる財前の鮮烈な投資デビューから始まった『インベスターZ』は、投資から離れて、一見まだるっこしい「お金とは何か」というテーマを深掘りしていく。このあたり、読み飛ばし気味に進んでしまう読者もいるかもしれない。
だが、ここは日本人の多くにとって、「洗脳解除」のために重要かつ不可欠なパートだ。洗脳とはすなわち「お金は汚い」という金銭忌避の価値観。前回の当コラムで書いたように、経済や金融を軽視して「たかがお金」と冷めた目を向ける傾向はなお根強い。
マンガではやや駆け足になっているので、当コラムで「補講」を試みる。
財前より1学年上の月浜蓮は「金ノ聲(こえ)ヲ聞ケ」という格言を、「お金は言葉…」「コミュニケーションなんだ」と読み解く。
言語との類似性は貨幣論では一般的な視点だ。
言語は、事象を切り取って意味を定義し、他者とコミュニケーションできる「枠組み」を生み出す。たとえば「投資」という言葉がなければ、「それ」を誰かと語り合うことは難しい。
一方、貨幣は意味ではなく事象の価値を定義して、交換可能な形に変換する。お札や硬貨といった物体そのものよりも、「お金に換算するといくらか」という情報とそれを媒介する手段が貨幣の本質だ。銀行口座への給与振り込み、クレジットカードや電子マネーを使った支払いを考えれば、その本質はスッと頭に入ってくるだろう。
金銭忌避と金銭崇拝の合間に
付け加えるなら、言語も、貨幣も、「こぼれ落ちてしまうもの」があるのを承知でコミュニケーションを優先する点も似ている。世界には、言葉で言い表せないもの、お金には換算できないものがあるのを、我々は知っている。それでも、誰かとつながるためには、「近似するメディア」が必要なのだ。
言語・貨幣があるから、我々は目の前にいる人だけでなく、遠く離れた誰かともコミュニケーションが取れる。為替市場の役割は、多言語間を橋渡しする翻訳・通訳に近い。刻一刻と動き、一義的に決まる為替レートの方が齟齬は小さく、言語よりコミュニケーションは円滑だ。
だから、言葉が全く通じない国に旅行しても買い物は簡単にできる。値引き交渉が必要な国だと、言語と貨幣だけでなく、ボディランゲージも駆使する羽目になるが……。
よく似たメディアであり、人間社会を形作るうえで欠かせない役割を果たす言語と貨幣。だが、両者の「社会的地位」には雲泥の差がある。貨幣は時に卑しいものとされ、酷いと諸悪の根源のように扱われる。その背景には、言語より歴史が浅くて使い慣れない、それでいて使い方次第で抜群の破壊力を持つお金への畏れがあるのだろう。
拙著『おカネの教室』で伝えたかった大きなメッセージのひとつは「お金は汚くない」だった。作中で講師役の元投資銀行マン「カイシュウさん」はこう語る。
「ワタクシは、お金というものは、人間が互いに支え合わないと生きていけない存在であるが故にうまれた、知恵の結晶だと思います」
金銭忌避と金銭崇拝の間のどこかに、バランスの取れた金銭観はある。
さて、投資部の部員たちの貨幣を巡る対話は、「洗脳解除」にとどまらず、フィアット・マネー(不換通貨)という貨幣の大転換までつながっていくようだ。月浜から教育係をバトンタッチした副主将・渡辺信隆は、貨幣の歴史を振り返った後、トレードマークの木刀を振りかざして大見得切る。
「人類は架空の富を築く歴史の幕を開けてしまったのだ!」