「パリ横断」がなければ、旧車好きのバカンスは始まらない!|16e Traversée de Paris estivale
いよいよバカンス本番のフランス。7月の最後の土曜日はバカンスに向かう車でフランス全土を合わせて1000kmを超える渋滞になった。とにかくフランスでは「バカンスに行かなければいけない」のだ。そして最後の日曜日となった7月30日。パリ横断の夏の部が開催された。旧車好きはこれを終えてからバカンスへ行くのだろう。これがなければバカンスは始まらないのだ。
【画像】見ごたえたっぷり!パリ横断に参加した様々な車たち(写真59点)
今回は一台の車に同乗させてもらって参加車の目線で写真を撮っていこうと考えた。それを快く引き受けてくれたのがシェノワ夫妻。車はシトロエンDS21だ。そして、もう一人写真のモデルになってもらおうとこの間、ルイ15世の妻マリー・レクザンスカ妃を演じていたエレンさんにも同行してもらった。出発前に軽く挨拶を済ませると、さっそく車に乗り込んで出発だ。
シェノワさんは今回が初参加。またパリ郊外に住んでいて普段パリを車で走ることはない。このパリ横断は朝の受付を済ませるとこの日のコース図を渡される。それを見ながらパリを走る。地図を見る奥さんも通りの名前に慣れていないのでまずは少し走って落ち着くまで待つことに。しばらくすれば参加車両の列に加わることが出来て要領がつかめてきた。そこで、この車を選んだ理由などを聞きながらこの車の年代について訊ねると、1967年製だと言う。これは僕の生まれ年でもあるのでそう言うと、このシェノワご夫妻も共に1967年生まれ。そしてなんと同行してくれたエレンさんも! ということで、今日は「チーム67」で行こうといっぺんに打ち解け和んだのである。ちなみに、生まれ月は皆バラバラだ。
日本人である僕にとってはDSはフランスという別の国の車であり、人生の中で自然に触れてきた車ではない。同じ年に生まれた他の3人はもちろんフランスで生まれ育ち、DSが現役だった頃の思い出がある。エレンさんのおじいさんがDSに乗っていてそのふわふわした乗り心地でいつも酔っていた思い出を話してくれた。ハイドロを用いた格別の乗り心地が売りのDSは幼い少女には不自然な乗り心地に感じたのだ。
シェノワさんの車好きが過ぎることに奥さんの愚痴もでたりして、すっかり楽しいパリのドライブなる。この車を選んだのはもちろん1967年製ということがいちばんの理由。1967年にDSはガラスカバー式の四灯に変更された。しかしそのタイミングで67年製でもまだガラスカバーでないモデルも少量生産された。またこのマイナーチェンジでハイドロシステムにも変更点があった。つまりガラスカバーが付いた1967年式モデルでは標準だが、それ以前のスタイルでこのハイドロが新型になっているモデルは1967年にしか存在しない。そこにこだわってこのDSを探し続けてようやく手に入れたのだという。
パリ横断中に他のDSにであって声をかけたり、沿道からスマホで写真やビデオを撮る人たちに手を振ったり話しかけたり。トラクシオンアヴァンと並ぶと”兄弟”と言ってそれぞれのオーナー同士で言葉を交わす。
ここのところ、パリは青空がでたと思うと雨が降り出したりと不安定な天気だ。このパリ横断も開催前には雨が心配されたが、この日は雨の心配がない、天候ん恵まれた唯一の日となった。明日からはまた雨が続く。何よりパリは6月には30度を超える夏日があったものの7月に入ると25度を下回る。最近では最高気温が20度くらいで冷夏だと言われている。これは旧車にとって良い季節だ。パリ横断中もちろん冷房はないが、それを必要とせず、ちょっと暑くなったら窓を開けると爽やかなパリの夏の風が車内を涼しくしてくれた。
無事にムドンの公園に到着すると御礼を言ってシェノワさんとDSと別れた。ちょっと前は暴動などもあり何かと延期や中止に見舞われるパリ横断だったが、平和で爽やかに行われた。今回も車、バイク、トラクター、バス、自転車など総勢で700台近い旧車でパリが埋め尽くされたのだった。
写真・文:櫻井朋成 Photography and Words: Tomonari SAKURAI
【画像】見ごたえたっぷり!パリ横断に参加した様々な車たち(写真59点)
シェノワさんは今回が初参加。またパリ郊外に住んでいて普段パリを車で走ることはない。このパリ横断は朝の受付を済ませるとこの日のコース図を渡される。それを見ながらパリを走る。地図を見る奥さんも通りの名前に慣れていないのでまずは少し走って落ち着くまで待つことに。しばらくすれば参加車両の列に加わることが出来て要領がつかめてきた。そこで、この車を選んだ理由などを聞きながらこの車の年代について訊ねると、1967年製だと言う。これは僕の生まれ年でもあるのでそう言うと、このシェノワご夫妻も共に1967年生まれ。そしてなんと同行してくれたエレンさんも! ということで、今日は「チーム67」で行こうといっぺんに打ち解け和んだのである。ちなみに、生まれ月は皆バラバラだ。
日本人である僕にとってはDSはフランスという別の国の車であり、人生の中で自然に触れてきた車ではない。同じ年に生まれた他の3人はもちろんフランスで生まれ育ち、DSが現役だった頃の思い出がある。エレンさんのおじいさんがDSに乗っていてそのふわふわした乗り心地でいつも酔っていた思い出を話してくれた。ハイドロを用いた格別の乗り心地が売りのDSは幼い少女には不自然な乗り心地に感じたのだ。
シェノワさんの車好きが過ぎることに奥さんの愚痴もでたりして、すっかり楽しいパリのドライブなる。この車を選んだのはもちろん1967年製ということがいちばんの理由。1967年にDSはガラスカバー式の四灯に変更された。しかしそのタイミングで67年製でもまだガラスカバーでないモデルも少量生産された。またこのマイナーチェンジでハイドロシステムにも変更点があった。つまりガラスカバーが付いた1967年式モデルでは標準だが、それ以前のスタイルでこのハイドロが新型になっているモデルは1967年にしか存在しない。そこにこだわってこのDSを探し続けてようやく手に入れたのだという。
パリ横断中に他のDSにであって声をかけたり、沿道からスマホで写真やビデオを撮る人たちに手を振ったり話しかけたり。トラクシオンアヴァンと並ぶと”兄弟”と言ってそれぞれのオーナー同士で言葉を交わす。
ここのところ、パリは青空がでたと思うと雨が降り出したりと不安定な天気だ。このパリ横断も開催前には雨が心配されたが、この日は雨の心配がない、天候ん恵まれた唯一の日となった。明日からはまた雨が続く。何よりパリは6月には30度を超える夏日があったものの7月に入ると25度を下回る。最近では最高気温が20度くらいで冷夏だと言われている。これは旧車にとって良い季節だ。パリ横断中もちろん冷房はないが、それを必要とせず、ちょっと暑くなったら窓を開けると爽やかなパリの夏の風が車内を涼しくしてくれた。
無事にムドンの公園に到着すると御礼を言ってシェノワさんとDSと別れた。ちょっと前は暴動などもあり何かと延期や中止に見舞われるパリ横断だったが、平和で爽やかに行われた。今回も車、バイク、トラクター、バス、自転車など総勢で700台近い旧車でパリが埋め尽くされたのだった。
写真・文:櫻井朋成 Photography and Words: Tomonari SAKURAI