なまはげの由来とは? 起源と歴史を解説
子どもが泣くほど恐れる秋田の「なまはげ」。年末の風物詩としてテレビで紹介されることもあるので、秋田以外の地域でもなまはげを知っている人は多いでしょう。しかし、なまはげがどのような意味を持つ行事なのかなど、詳しいことはあまり知られていないかもしれません。
ユネスコの無形文化遺産に登録されたことなどから、近年注目を浴びつつあるなまはげをあらためて紹介します。
なまはげとはどんな行事?
なまはげとは、そもそもどのような行事なのでしょうか。なまはげといえば秋田県男鹿地方の伝統行事というイメージがありますが、実は似たような行事は各地にあります。なまはげと、なまはげに似た行事について紹介します。
男鹿のなまはげ
なまはげとは、秋田県の男鹿市および、三種町と潟上市の一部で行われる伝統的な民俗行事です。また、行事の際に仮面を付け、藁の衣装で仮装した者たちを指す言葉でもあります。
もともとは旧暦の小正月(1月15日ごろ)に行われていましたが、現在では12月31日の大みそかに開催されています。
「泣く子はいねがー」などと大声を出しながら、包丁を手に地域の家々を訪れるなまはげは、子どもにとっては恐ろしい鬼にしか見えないでしょう。実際、角が生えた恐ろしい形相の仮面を着けていることが多いため、鬼に間違われても仕方がないかもしれません。
しかし、なまはげは本来鬼ではありません。なまはげは、怠け心や不和などを戒め、災いを祓い、田畑の豊作、山や海の幸をもたらす来訪神なのです。なまはげの面も、鬼のような形相ばかりではなく、コミカルな表情や、優しい面構えのものもあります。面の色も赤、青、緑、銀など多彩です。
なまはげに似た行事
なまはげに似たような行事は日本各地にあります。鹿児島県甑島(こしきじま)の「トシドン」も古くから島に伝わる来訪神の行事です。大晦日の夜に、長い鼻に大きな口の奇怪な面を着け、トシドンに扮した者たちが家々を訪れ、悪い子どもを戒めます。
ほかにも、石川県能登半島の「アマメハギ」や沖縄県宮古島の「パーントゥ」、佐賀県見島の「カセドリ」など、来訪神の民俗行事は国の重要無形民俗文化財に指定されているものだけで10件あります。
なまはげの語源
「なはまげ」というコミカルな名前は、「ナモミはぎ」という言葉が語源になっています。「ナモミ」とは男鹿地方の方言で、囲炉裏にあたっていると手足にできる低温やけどのことです。ナモミができるということは、冬場に怠けて囲炉裏にあたってばかりいる証拠であり、そのナモミを包丁で剥いで怠け者を懲らしめるのが「なまはげ」なのです。
なまはげの起源といわれる伝説
なまはげの起源には諸説あります。なまはげ伝説をいくつか紹介します。
漢の武帝伝説
男鹿半島にある赤神神社の五社堂に続く石段は、なまはげ伝説ゆかりの場所です。言い伝えでは、中国の漢の時代、武帝が5匹のコウモリを従えて不老不死の薬草を求め、男鹿にやって来たとされています。コウモリは鬼に変身し、武帝のために働いていましたが、正月に1日だけ休みをもらい、村里で作物や家畜、村娘などをさらって大暴れしたそうです。
困った村人たちは武帝に、1年に1人ずつ娘を差しだす代わりに、一晩で鬼たちに千段の石段を築かせ、できなければ村里に鬼が来ないようにしてほしいと頼みました。到底できないと踏んで持ち掛けた取引でしたが、鬼たちは村人たちの想像を超えたスピードで石を積み上げ、夜明け前に千段を達成しそうになります。
慌てた村人たちはアマノジャクに一番鶏の鳴きまねをさせて、辛くも鬼にあきらめさせました。その後、鬼は村里に下りてこなくなったそうですが、この鬼が転じてなまはげになったというのが漢の武帝伝説です。
修験者説
男鹿の真山(しんざん)は、昔から山岳信仰の霊場となっていた場所であり、修験者が修行をしていました。修験者はときどき村に下りて来て、家々を訪ねて祈祷を行っていましたが、その迫力ある修行姿がなまはげの起源になったとするのが修験者説です。
山の神説
海上から望むと、男鹿半島は山のように見えます。村人はその山に「山の神」が鎮座するとして畏敬の念を抱いていました。この山の神の使者がなまはげであるというのが山の神説です。
漂流異邦人説
男鹿の海岸に漂流してきた異国人が、なまはげの起源になったという説もあります。体が大きく、赤ら顔で聞き慣れない言葉を話す異国人は、村人にとって恐ろしい鬼のように見えたのかもしれません。
なまはげの歴史
なまはげに関する最古の記録は、1811年(文化8年)に記された秋田の小正月行事 「ナモミハギ」についての記述です。江戸時代の旅行家であり、博物学者でもあった菅江真澄が秋田を訪れた際に、『菅江真澄遊覧記』の中の「牡鹿乃寒かぜ」に記したものです。『菅江真澄遊覧記』は、秋田藩の藩校である明徳館に献納されました。
なお、なまはげはその後、柳田国男や折口信夫をはじめとする民俗学者の研究対象にもなり、さまざまな著書や手記などに記されています。
なまはげは、1978年5月22日に「男鹿のナマハゲ」として国の重要無形民俗文化財に指定されました。さらに、1995年には、なまはげ習俗を体験できる「男鹿真山伝承館」がオープンし、1999年にはその隣接地に、多彩ななまはげ情報を発信する「なまはげ館」も開設。
そして、2018年には「来訪神:仮面・仮装の神々」(なまはげを含む全国10の来訪神行事)が、ユネスコ無形文化遺産保護条約の「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に正式登録されました。
今では男鹿の観光資源に
かつては男鹿半島のほとんどの集落で行われていたなまはげ行事ですが、少子高齢化による後継者不足などにより、維持するのが困難になりつつあります。一方、ユネスコ無形文化遺産に登録されたことなどから、秋田・男鹿の観光資源として注目され、復活の兆しも見られます。
なまはげ館・男鹿真山伝承館
なまはげは、大みそかに行われる行事とあって、部外者にとっては体験することが難しい習俗でした。男鹿真山伝承館では、曲家(まがりや)民家といわれる男鹿地方の伝統的な家屋で、伝統としきたりに則ったなまはげ実演を披露しています。一般の観光客はここで本場のなまはげを目にすることができます。
また、多種多様な姿のなまはげ展示や、本物のなまはげ衣装を身に着けられる変身コーナー、男鹿の自然や風習、伝統的な生活様式の資料展示などにより、なまはげの里への理解を深められます。
なまはげ柴灯まつり
なまはげ柴灯まつりは、神事の柴灯祭(さいとうさい)と、なまはげを合わせたお祭りです。旧暦の小正月(新暦の2月初旬から3月初旬)に真山神社で開催されます。みちのく五大雪まつりの一つに数えられ、伝統的ななまはげ行事のほか、「なまはげ踊り」や「なまはげ太鼓」などが楽しめます。
秋田県のゆるキャラ「んだッチ」
なまはげは、秋田県の観光PRキャラクターのモチーフにもなっています。「んだッチ」というゆるキャラで、「近未来から秋田をPRするためにやって来たなまはげ型の子どもロボット」という設定になっています。「んだ」は秋田弁で「そうだ」の意味です。「んだッチ」は、2018年に秋田県職員に採用され、県内外で活動しています。
まとめ
なまはげは、男鹿の人や秋田県民以外には、あまり詳しく知られていないかもしれません。しかし、ユネスコ無形文化遺産登録もあり、国際的にも知名度が上がっています。男鹿市街へは、秋田駅からJR男鹿線で約1時間です。冬のみちのくを訪れて、本物のなまはげに触れてみてはいかがでしょうか。