近江はエース山田陽翔の「先発回避」のリスクを負えるか。起用法に迷いが見られた指揮官の決断は?
絶対的エースが、ベンチから出てこない──準々決勝の近江対高松商戦、8回表の高松商の攻撃前。近江のエースでキャプテン・山田陽翔の治療のため、試合が止まった。数分後に山田はマウンドに戻り投げ始めたが、異変は明らかだった。
近江の絶対的エースであり主将の山田陽翔
先頭打者の7番・大麻颯に対して、投げるのは変化球ばかり。しかも下半身が使えず、威力もキレもない球だった。その時の体の状態について、試合後、山田はこう明かした。
「つったのは右の太ももの裏です。6回のピッチングから少しつっていて、しっかりつったのは7回の打席。大きいファウルを打った時に、踏ん張りすぎました」
結局、大麻には1球もストライクが入らず歩かせてしまう。ここでベンチの多賀章仁監督から伝令が送られた。山田は言う。
「足の状態が悪いなかで『次のバッターでダメだったら代えてください。もうひとり、やらせてください』と言いました」
伝令直後の打者・大坪太陽はボール球をバントしてファウル、ワンバウンドの球を空振りと助けられるかたちで三振を奪ったが、9番の横井亮太にはまたもフォアボール。ここでようやく近江の多賀章仁監督が動き、左腕の星野世那をマウンドに送った。
「山田のほうからバントで送れなかったあのバッター(8番の大坪)で判断してくれということだったんですけど、次のバッターもストライクが入らずにフォアボールになったので、あそこが限界かなと」
多賀監督は当然、足がつったことはわかっていたはずだ。だが、それでも決断できなかった。伝令を送り、山田から「代えてくれ」という言葉を待った。その投球を見れば、明らかにいつもと違うとわかる状態だったのに......。
準優勝した今春のセンバツで、多賀監督の投手起用は物議を醸(かも)した。山田は延長13回タイブレークとなった初戦の長崎日大戦で165球、聖光学院戦(87球)、金光大阪戦(127球)も完投したあと、準決勝の浦和学院戦でも延長11回、170球を投げた。
その結果、決勝の大阪桐蔭戦は最速148キロのストレートが130キロも出せない状態になり、3回途中で降板した。試合後、多賀監督はこう語った。
「将来がある子ですから、無理をさせるわけにはいかない。(マウンドから)降ろせるのは僕しかいない。僕が決断しないとあかんのです。結果的に今日の先発は無理だった。回避すべきやったと思います」
残念ながら、この夏の近江の戦いを見て、この時の教訓が生かされているようには思えなかった。
エース温存は仕方なし準々決勝まで勝ち進むと、多くの監督が決断を迫られる。「ひとつでも上にいく」ことを目標に、今までどおりの投手起用で戦うのか。それとも「優勝する」ことを目標に、リスクを承知で今までとは違う投手を起用するのか。
この夏、ベスト8入りしたチームのうち、仙台育英、高松商、大阪桐蔭、九州学院の4校が準々決勝で今大会初先発の投手を起用した。仙台育英、大阪桐蔭は140キロ台中盤の球を投げる投手が複数おり、地方大会から積極的に起用してきた。
一方で、高松商は大室亮満、九州学院は桑原颯汰が先発したが、両左腕の球速は130キロ台前半。2人とも地方大会では1試合しか登板していない(大室8イニング、桑原3イニング)投手だった。彼らを先発させた時点で、ある程度の失点は覚悟していたのではないか。
結果的に、両投手の先発起用はうまくいかなかった。大室は5回を投げて6安打、7四死球、4失点。桑原は1回途中、5安打、2四死球、5失点で降板した。ところが、両校とも2番手でもエースを出さなかった。
高松商は地方大会で1回2/3を投げて5四死球、4失点の橋崎力、九州学院は地方大会で登板がなかった西嶋貢希をマウンドに送った。いずれも期待に応えることはできず、傷口を広げることになったが、高松商・長尾健司監督、九州学院・平井誠也監督ともに「勝負した結果だから仕方ない」という表情だった。
「エースの渡辺(和大)は完投できる状態じゃなかった。ひとりで投げるのはきつい。どのピッチャーも不安定なので、(エース)は後ろに残しておかないといけない。まだ安定している大室でいったけど、フォアボールを連発。橋崎は県大会の雪辱と思ったけどダメでした」(長尾監督)
「(対戦相手である聖光学院の)キーマンが3番、5番の左バッターだったので、左投手の桑原が序盤を持ってくれればと思っていたのですが......。エースの直江(新)の疲労ですか? ないといったらあれですけど、先も見据えてほかのピッチャーで前半を回してくれればと。うまくいかなかったですけど、昨日の夜も全員で乗り越えようとミーティングしていたので、予定どおりです」(平井監督)
誰だって「勝ちたい」「ひとつでも上にいきたい」と思うのが本音だろう。だが日程が詰まる後半戦を見据えて、リスクを承知で投手起用せざるをえない試合は必ず出てくる。もちろん、選手の体の状態を考えるのは、将来のある高校生を預かるうえで当然のことだ。
準々決勝の高松商戦で好リリーフを見せた近江の星野世那
では、山田のあとを継いだ近江の背番号10の星野はどうなのか。滋賀大会では10回2/3を投げて8四死球、6失点。たしかに、数字だけを見れば一発勝負のトーナメントでは使いづらい。
だが、投げているボールを見れば、印象はガラッと変わる。身長180センチのサウスポーで甲子園でも最速138キロをマーク。それに打者のタイミングを外すチェンジアップもある。他校ならもちろん、近江でも山田がいなければ十分エースになれる素材だ。
いい球を持っているのに、なぜ結果が伴わないのか。それは、圧倒的に経験が不足しているからだ。投手はいくらブルペンで投げてもよくならない。打者相手に、真剣勝負の場で投げてこそ得られるものがある。
ところが、星野にはその出番が回ってこなかった。しびれるような展開で投げた経験がないのだ。捕手の大橋大翔が「気持ちが弱い部分がある」と言うように、マウンドに上がると不安な表情になり、それが不安定な投球につながってしまう。
今大会も6点差がついた鳴門戦、海星戦で計3回投げたが、すべてのイニングで複数走者を出した。
そんな星野が高松商戦で好投を見せた。7対6とリードした8回表一死一、二塁の場面で、足をつった山田に代わりマウンドに上がると、残りの1回2/3を無失点。9回に二死走者なしから連続四球を与えるなど不安定な面も出たが、登板直後のピンチでは強打者・浅野翔吾をレフトフライに打ちとった。
リードを守りきり「ホッとした」という星野は、試合後にこう語った。
「山田に負担をかけてきてしまったので、なんとか自分が助けたいという気持ちでした。正直、浅野は抑えられる気はあまりしなかったんですけど、それでも攻める気持ちは忘れなかった。その気持ちがああいう結果になったと思います。苦しい場面は多いですけど、ピンチでも攻める気持ちを貫けている。そこは県大会から成長したかなと思います」
センバツから孤軍奮闘する山田に、申し訳ない気持ちでいっぱいだったと、星野は言った。足をつった山田が再登板できる状態になくなったことで、初めて"しびれる場面"で星野の思いきりを生み出した。
近江は山田陽翔のチーム甲子園は高校生を成長させる場所である。多賀監督は常々こう語っている。
「甲子園の1試合は、練習試合の何十試合の価値がある」
監督が思っている以上に選手が成長するのが、甲子園の舞台である。準決勝までくれば、監督の仕事は勝たせることではない。選手たちの邪魔をせず、のびのびとやらせることだ。キャプテンの山田を中心に、近江ナインは自分たちで考えてやる域に達している。
星野の投球を見た高松商の長尾監督はこんな感想を漏らした。
「開き直って、思ったよりいいボールがきていた。山田キャプテンの気持ちを受け止めて投げている。山田キャプテンはいいチームをつくったなと」
星野の好投を生んだのは、エースでありキャプテンの山田。敵将にはそう映った。そして星野もこんなコメントを残している。
「試合後、山田に『抱きしめたる』と言われました。そして『やっと助けられたな』と。心の底からうれしかったです」
近江は山田のチームだ。指揮官がリスクを恐れて決断できないのなら、いっそのこと山田に任せればいい。投手の起用も、継投策も、山田を中心に選手たちに決めさせてみてはどうか。準々決勝の戦いぶりを見て、そんなことが頭をよぎった。
はたして、山田ならどんな投手起用をするのか。なんだか急に興味が湧いてきた。