戦艦「大和」が進水した日 ″世界最強″の歴史は「ひっそり」スタート -1940.8.8
82年前の8月8日、大日本帝国海軍の戦艦「大和」が進水しました。
国家機密で歴史に塗りつぶされた建造と運用
大和型戦艦の2番艦「武蔵」(画像:アメリカ海軍)。
1940(昭和15)年の8月8日。旧日本海軍の戦艦「大和」が竣工しました。「大和」は全長263m、満載排水量約7万2800トンで世界最大、最大速力は27ノット(約50km/h)、主砲は46cm砲9門と戦闘力も最強クラスを誇っていました。まさに、国の威容を世界に示す存在として、建造されたのです。
軍縮条約の影響で、「陸奥」以来約20年ぶりの新型戦艦となった「大和」。日本の軍事的優位性を保つため、建造にあたっては情報が外へ漏れないよう、軍の最高機密として作業が進められました。
そのため、本来は華々しく行われるはずの進水式も、この世界最大の戦艦は、誰にも見られずに実施されています。開催地の呉市では警戒態勢が敷かれ、一般市民は港から完全シャットアウト。煙幕を焚いて海の様子を見えなくする徹底ぶりで、もちろん報道ですらその詳細は最後まで明かされることはありませんでした。
その後、1年余りの艤装期間を経て、太平洋戦争開戦直後の1941(昭和16)年12月16日に就役した「大和」は、世界に誇る巨大戦艦として臨戦態勢に入ると、翌1942(昭和17)年から太平洋各地の戦場へ赴きます。ただ、しばらくはその圧倒的な性能を見せつける場には恵まれず、はじめて最前線で激しい戦闘を繰り広げたのは、1944(昭和19)年のレイテ沖海戦でのことでした。この時、姉妹艦である「武蔵」がアメリカ軍の猛攻を受け轟沈しています。
レイテ沖海戦を生き延びた「大和」は、呉で待機することになりましたが、1945(昭和20)年4月、決戦の舞台である沖縄へ出向きます。沖縄に来襲したアメリカ軍に対し一矢報いるため、「大和」に与えられた任務は「座礁して砲台となる」ことでした。しかし、出撃から間もなくその動きはアメリカ側に察知されます。そして、薩摩半島沖合でアメリカ軍空母艦載機の猛攻を受け、沖縄にたどり着くことなく4月7日に沈没しました。