※この記事は2016年04月02日にBLOGOSで公開されたものです

 今年もすでに1/3が過ぎて4月となった。4月といえば新年度の始まり。多くの会社で入社式がとり行われ、新入社員たちが希望と不安を胸に抱いて社会に羽ばたいていった。

 さて、入社式といえば、近年話題になり続けているのが「昔の入社式は新入社員もカラフルで個性的だったのに、今の入社式は同じような髪型に同じようなスーツを着ている。今の若者は没個性なのではないか」という話題だ。多分今年もそんな話が繰り返されるだろう。

 これについてはリクルートスーツも同じように批判されていて、同じような格好をしている若者を批判的に見る人達は、若者が同調圧力に屈して個性を発揮していないことに憤っているらしい。(*1)

 確かに、かつてのまだカラフルだったリクルートスーツに比べて、今のリクルートスーツはほぼ紺か黒に統一され、髪型や化粧も画一化しているように見える。

 僕はそうした批判に対して「学生たちが必死に会社のニーズに合わせようとした結果だ」と反論した。
 就職状況が厳しくなり、新卒での採用が大きく人生を左右することを考えれば、個性を出すためのために、会社に受け入れられないかもしれないというリスクを犯す必要など、若い人にはないはずなのだ。

 だが、僕はこの反論に、いまいち割り切れないものを感じて、ずっともう少し良い反論はないものかと頭の片隅で考えすぎていた。本当に今の若者だけが個性を抑えて、会社に合わせているのだろうか?

 そう、考え方を逆転させた時に、もう少し違った道が見えてきた。それは「80年台のカラフルなスーツを身にまとった若者たちも、決して個性的でなどなかった」という考え方である。

 考えてみれば、当時から「リクルートスーツ」と呼ばれるものはあり、やはり基本は紺か黒であったようだ。(*2)
 しかし、バブル景気が訪れ、1985年の男女雇用機会均等法の成立により「女性の時代」がやって来たとメディアが宣伝するようになると、女性誌は色とりどりのスーツをリクルートスーツとして提案し、カラフルな女性が入社式に集うことになった。

 逆に言えば、リクルートスーツが色とりどりだったのは、ここからバブルが崩壊するまでの5、6年の期間だけであったといえる。

 さて、ここまで女性のリクルートスーツの話をしてきたが、少なくとも入社式の話でも、就職活動の話でも「個性的でない」という話をするときはだいたいが「女性のスーツ」の話である。

 元々この話題が盛り上がったのは、2010年に日本経済新聞が、JALの入社式を取り上げ「昔は個性的だったが、今は個性は封印」という話を論じたのが発端だった。そしてそこに掲載された写真は、昔の写真も現在の写真も女性の新入社員をメインとしたものであった。つまり、この話はそもそもが「女性の個性」の話なのである。
 ここで「昔の若者は個性的だった」ではなく、「今の新入女性社員が個性を抑えることを社会に要求されている」のと同じように「昔の新入女性社員は個性的であることを社会に要求されていた」と考えることにしよう。その違いはなんだろうか?

 今の女性社員というは、企業にとっても戦力である。企業も苦しく、能力のない人材を雇うだけの余裕はない。だからたとえ女性であっても、戦力として考えている。完全に男女平等が達成されているとは思わないが、それでも女性を会社の添え物と考えるような会社が生き残って行ける時代ではない。

 しかし、昔は違う。会社はバブル経済で簡単に儲けることができた。さらに、男女雇用機会均等法は始まったばかりで、まだまだ会社組織は男性中心であった。

 そうした会社に、どうして女性たちは就職したのだろうか?

 それは、一流企業に就職することにより、一流企業に務める男性と出会い、結婚するという目的があったからだ。

 当時も、バリバリ働くキャリアウーマン願望を持つ女性もいたが、多くの女性はせいぜい25歳まで勤めて寿退社をするという人生を形描いて就職していた。

 それは会社側も同じで、会社にとっての女性社員は、あくまでも「男性社員のお嫁さん候補」でしかなかった。男性が「総合職」として、バリバリ働くことを要求される一方で、女性は「一般職」として、そこそこ働き、結婚して会社を辞めることが要求されていた。

 この時代には「女性の結婚はクリスマスケーキ」だとも言われていた。24までは女性としての価値があるが、25を超えると女性としての価値が暴落するという意味である。

 短大を卒業して20歳。25歳までに結婚をして退社。つまり、当時に就職した女性というのはせいぜい4年しか企業には所属しないという算段を立てていたのである。

 女性の勤続年数の推移を見るに、1985年(昭和60年)は勤続年数が4年以下の女性が5割を超えていた。(*3)  単純にこのデータだけではなんとも言えない部分も多いが、それでも時代の空気として、そのくらいで寿退社を目指すライフモデルが一般的であったことを覚えている人は少なくないだろう。

 すると当時の「カラフルなリクルートスーツ」もその見え方が違ってくる。

 あのカラフルさは女性から自発的に産まれたものではなく、企業側の「(仕事はともかく)華のある存在であってほしい」という一方的な要求にしたがっていた結果に過ぎなかったのではないだろうか?

 ならば私たちはかつての入社式のスーツのカラフルさに「華やかさ」を見るのではなく、「女性が戦力として扱われず、華としてしか考えられてなかった時代の傲慢さ」こそ見るべきなのである。

 僕はそう思う。

*1:リクルートスーツ、無難な「黒系」が9割 「くだらねえ」「気持ち悪い」の声(J-CASTニュース)
*2:80年代-00年代『JJ』におけるリクルートスーツの変遷(Togetterまとめ)
*3:第1-2-12図 勤続年数階級別一般労働者の構成割合の推移(内閣府男女共同参画局)