見た目は同じでも中身がスカスカに…日本企業が「ステルス値上げ」を繰り返す日本ならではの理由
※本稿は、森永康平『スタグフレーションの時代』(宝島社新書)の一部を再編集したものです。
■衝撃をもたらしたうまい棒と牛丼の値上げ
日本でも本格的にインフレが起きていることを実感しやすかったのが、2つの衝撃的な値上げだ。1つは「うまい棒」である。1979年の発売当初から1本10円の価格を維持してきたが、原材料価格の上昇などのため、2022年4月から1本当たり2円値上げすると発表した。
筆者が子どもの頃、遠足のおやつなど予算が限りなく低く設定されていたイベントにおいて、うまい棒は力強い味方だった。40年以上、同じ値段で販売されていたため、どの世代の人と話をしてもうまい棒だけは値段が同じ認識で問題がなかった。
もう1つの衝撃的な値上げは牛丼である。それこそ40年前であれば、牛丼といえば高価な食べ物だったかもしれないが、牛丼チェーンの登場以降はむしろデフレの象徴的存在となった。
しかし、ゼンショーホールディングス傘下のすき家が2021年12月に「並盛」の価格を引き上げた。値上げは2015年4月以来、6年8カ月ぶりとなる。松屋フーズは同年9月下旬、吉野家は同年10月下旬に値上げを実施していたため、2021年は牛丼チェーン大手3社が揃って値上げをしたことになる。
値上げの理由は米国産牛肉をはじめとする食材費の高騰や、原油高に伴う配送費の上昇などだった。
■海外と比べて日本のインフレ率は低いまま
日本でも値上げラッシュが始まった。しかし、消費者物価指数ベースでみれば日本のインフレ率は他国に比べて依然として低いままだ。
2021年12月における生鮮食品及びエネルギーを除く総合は、前年同月比▲0.7%とマイナスだった。仮に携帯電話の通信料という全体を押し下げる特殊要因を除いたところで、日本銀行が目標とする同+2%というインフレ率には届かない。一方で諸外国では歴史的なインフレ率を記録している。
それでは、日本だけがガラパゴス化して物価上昇の影響とは無関係でいるということなのだろうか。当然ながら、そのようなことはあり得ない。ここでは消費者物価指数ではなく、日本銀行が発表している企業物価指数をみてみよう。
■日本にもインフレの波は押し寄せてはいるが…
企業物価指数とは、企業間で取り引きされるモノの価格を示す経済指標だ(図表1)。
2021年12月の企業物価指数は前年同月比+8.5%となっており、消費者物価指数と比べると、他国の消費者物価指数と同様に高い伸び率となっている。同時に発表された2021年通年の企業物価指数は前年比+4.8%で、伸び率は比較が可能な1981年以降で最大だ。これほど企業物価指数が上昇している1つの要因は円安にあるということは円ベースの輸入物価指数の上昇をみればわかるだろう。
それでは、なぜ企業物価指数は世界的なインフレの影響を受けているのに、消費者物価指数には反映されないのか。その理由を探るべく、企業物価指数を需要段階別に分解してみよう(図表2)。
素原材料の上昇率は非常に高いが、中間財、最終財と消費者が購入する財に需要段階が近づくにつれて、上昇率は大きく縮小している。つまり、これらのデータからわかることは、日本にも諸外国と同様に世界的なインフレの波が押し寄せているものの、現在は企業がコスト増をのみ込み、なるべく販売価格には反映しないように企業努力をしているからといえる。
世界的に物価が上昇していく中で、日本では企業がコスト増をのみ込んでいると書いたが、これだけをみれば日本企業が良心的で非常に優秀だと思うかもしれない。しかし、実態は価格転嫁したくてもできない、というのが企業の本音だろう。
■日本の全産業の3割がコスト増を価格転嫁できない
企業がコスト増を販売価格に転嫁できているかどうかを示す指標の1つに「マークアップ率」というものがある。聞きなれない言葉かもしれないが、この指標は販売価格とコストの比率と定義されており、独立行政法人経済産業研究所が発表している産業別の平均マークアップ率は以下の式で算出している。
この値がゼロより大きければ企業が価格支配力を持っており、数字が大きいほど価格転嫁が容易な産業といえる。
最新のデータは2018年のものとなるが、マークアップ率がマイナスとなった産業は100業種のうち32業種に上る。日本企業はコスト増となっても価格転嫁できない産業が全産業の3割を超えているという実情が浮き彫りになっているわけだ。
本項で確認した企業物価指数と消費者物価指数の乖離(かいり)こそが、本書のメインテーマである「スタグフレーション」の本質に迫るポイントといえる。
■日本企業がコスト増を価格転嫁できない理由は「デフレスパイラル」
諸外国では企業がエネルギー価格を中心とした原材料価格の高騰によるコスト増を販売価格に転嫁できている一方、日本企業が販売価格に転嫁できない理由はなぜか。それはこの失われた20年とも30年ともいわれる日本経済が生み出した「デフレスパイラル」という恐ろしい現象によるものだと考える。
プロレス技の名前のようにも聞こえるが、日本がこのデフレスパイラルの恐ろしさを実証してしまったことで、欧米各国や中国は「日本化(ジャパナイゼーション)」を避けることに躍起になっている。
それでは、デフレスパイラルはどのようにして起こり、どのような悲劇を招くのかをみていこう。
きっかけは様々だ。バブル崩壊やリーマン・ショックのように金融市場、不動産市場で資産価格が暴落することかもしれないし、天変地異や戦争などの地政学リスクの高まりによる資源価格の高騰もきっかけになりうる。
国内経済には政府、企業、家計という3つの経済主体があるが、何かをきっかけに景気が減速すれば、まずは政府が経済対策を打ち景気を浮揚させるようにする。その際に考えられるのが金融政策と財政政策だ。しかし、政府が適切な対策を打てなかった場合、デフレスパイラルに突入するリスクは急激に高まる。
適切な対策を打てないというのはどういうことか。たとえば、景気後退局面から景気拡大局面へと転換していく中で、物価も徐々に上昇するとき、中央銀行がインフレ退治をやりすぎてしまい、結果として金融を引き締めすぎて景気の腰を折ってしまう、いわゆる「オーバーキル」を起こしてしまう。あるいは景気後退局面にもかかわらず消費税などの税率を引き上げて消費を更に減速させてしまうなどのことを指している。
■消費増税やコロナ拡大で日本経済は大打撃を受けた
そんなことをするはずがないと思う方もいるかもしれないが、直近の例でいえば日本政府は2018年11月から景気後退局面に突入したにもかかわらず、翌年の10月に消費税増税をして景気後退を加速させている。その3カ月後には新型コロナウイルスの感染拡大が起き、日本経済はトリプルパンチを食らうこととなった。
政府の失政により景気が悪化すると、家計は将来を悲観し、これまで消費していた金額の一部を貯金に回すようになる。その結果、企業はモノが売れなくなるため、販売価格を下げてモノを売ろうとする。しかし、コストが下がって販売価格を下げたわけではないから、利益水準を維持するために設備投資や人材採用を控えるので、企業の成長率は低下するし、労働市場は悪化する。
更にコストを抑えるべく非正規雇用を積極的に雇うようになり、正社員の賃金も上げず、賞与も減少させていくだろう。そうなると、家計は可処分所得が減少したり、非正規雇用が増えることで将来不安は加速し、更に消費を抑えて貯金をするようになる。
■「ステルス値上げ」は企業の恐怖心の表れ
こうなると再び企業の売り上げは減少するため、更に販売価格を下げてモノを売ろうとする。このように、一度デフレスパイラルに突入してしまうと、経済が縮小均衡していき、結果として失われた20年、30年という本来は絶対に避けなければならない事態を招くことになる。
デフレスパイラルを経験してしまうと、企業はコスト増を価格転嫁することで、モノが売れなくなってしまうという恐怖を必要以上に感じるようになる。その結果、前項で確認したように、価格支配力を失っていき、企業努力でなんとかコスト増を吸収しようとする。
しかし、いずれは限界が来る。そこで誕生した苦肉の策が「ステルス値上げ」や「実質値上げ」と呼ばれる手法だ。値段もパッケージの大きさも据え置いており、見た目では何も変わらないようにしているが、パッケージを開けると内容量が減っているというものだ。これはこの数年で多くの方が体感したのではなかろうか。
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森永 康平(もりなが・こうへい)
経済アナリスト
証券会社や運用会社にてアナリスト、ストラテジストとしてリサーチ業務に従事。その後はアジア各国にて法人や新規事業を立ち上げ、現在は株式会社マネネCEOほか複数のベンチャー企業のCOOやCFOを兼任。日本証券アナリスト協会検定会員。著書に『誰も教えてくれないお金と経済のしくみ』『いちばんカンタン つみたて投資の教科書』(いずれもあさ出版)や父・森永卓郎との共著『親子ゼニ問答』(KADOKAWA)、『MMTが日本を救う』(宝島社)などがある。
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(経済アナリスト 森永 康平)