駅前にあるドラッグストアの調剤コーナーで、医療用ケア帽子を着用しながら勤務する乳がん患者の薬剤師の田中美穂さん。薬剤の専門家として積極的に治療を受けることで得たものも、失ったものもあります。
がんと診断されてからの人生の変化、そして薬剤師として、ステージ4の乳がん患者として伝えたいことについて伺いました。
取材したのは、自身も乳がんから生還したがんサバイバーのライター・坂元希美さんです。


訪れた薬局で出会った抗がん剤治療中の田中さん

がん患者で薬剤師だから役に立てる。ステージ4の乳がん患者として伝えたいこと



ステージ4の乳がんを治療しながら、薬剤師として店頭に立っている38歳の田中さん。
「薬剤師を『医師が指示した薬を渡す人』と考えている人は多いのではないでしょうか。薬の飲み方や使い方を一番知っているのは、お医者さんより薬剤師さんです。だから、もっと薬剤師に頼ってください」と言います。

「お薬を飲んでどんなことが起きるか、体にどんな変化が現れるのかに関しては、医師よりも薬剤師が専門ですから、相談してほしいなと思います。逆に『こんな症状があるけど、○○病かな?』と薬剤師に診断を求められるケースも。私たちは「可能性がある」とは言えますが、職務上、断言はできません。でも、『それなら、病院に行ってみましょう』というようにつなげることはできます」

「とくに新型コロナの感染が拡大してから、病院に行くのが怖くて薬局で相談される方は増えたように思います。ドラッグストアは入りやすいので、気軽に聞きに来られるんでしょうね」


がんの治療中であることをオープンにしてからは、お客さんから新しい反応があるそうです。

「お薬を取りに来る若い方で、がんについての不安を口にされることがあります。しこりを感じて気になるけれど、病院に行った方がいいのか悩んでいたり…名札を見て『相談したら教えてくれそう』と思ってくださるようです。若い女性だと『乳房が左右の大きさが違うと乳がんになりやすいのでしょうか』とか『不正出血があるが、もしかしたら子宮がんなのでは』といった、不安段階での相談を受けることもあります。病院に行くのは怖いし、でも気になるからちょっと聞きたいとか、安心したいのかもしれません。そんなときは、自分の体験から、がんの症状や治療についてお伝えしています」

「以前から街の調剤薬局やドラッグストアにいると、『病院に行った方がいいでしょうか?』と相談されることがけっこうありました。受診した方がいいのかを迷うときに、医療従事者が病院の外にもいるのは大切なんだなと感じます。今の私なら、薬剤師としての知識プラスがん患者としての経験を役立てることができますね」

●ときめきが消えて、未来を考えられなくなった



仕事にがん患者としての経験を生かし、治療に薬剤師としての知識をフル活用して、明るく生活する田中さんですが、がんを告知されてから変わったこともあります。


がんになる前の田中さん。10年前に兄の結婚式で

「ずっとペットに鳥を飼いたいなと思っていました。でも、薬を変更する度に1週間ほど入院して留守が多いから、ペットに寂しい思いをさせてしまうだろうし、パートナーも子どももいない私は、後に託す相手がいない。ペットを残していけないから飼えないですよね。たまにペットショップとか里親募集のお知らせを見て、一緒に暮らしたいなあと思うものの、ぐっと我慢しています。もちろん、普通の人でも大災害や不慮の事故で急に死んでしまう可能性はありますけれど、より死ぬことを身近に意識して、怖くなったものが増えました」

「たとえば、恋愛感情が一切なくなりました。以前だったら、知り合った人と『もしかしたら、この人と…?』と想像したり、アプローチしたこともありましたが、今は冗談でも言えなくなりましたし、ぜんぜん思わない。昔から好きな芸能人をテレビで見ても、ときめかない。かっこいいなーとは思うんだけど、ドキドキしちゃう感じがなくて。そういえば、乳がんになってからだれも好きになってないなと気づきました」

「もう40近いし、女として枯れちゃったのかなあとも思ったんですが、ほかにも年下の友人のことを『この子は将来、どうなるのかな』とかも思わなくているんです。5年、10年後の世界がイメージができないんです」

「自分でその感覚を掘り下げると、死が身近になって、5年後、10年後にその人が泣いているかもしれないと考えると、一歩引いてしまうんだと気がつきました。無意識にでしょうが、それでだれもなにも好きにならなくなったように思います。寂しいなと思う一方で、身体の方が状況を理解して、そのように動いてくれているんだとも思います。もし、今の状態でだれかを好きになったら、とても辛いことになるでしょう? そうならないようにストッパーをつけてくれたんだなって。そうは言っても、いま小学生の姪っ子が成人するまでは生きていたい、がんばろう! と思ってはいます。だけど、副作用が辛いときには『やっぱりだめかも』と思ってしまうんですよね」

●薬剤師として、がん患者として伝えたいこと




処方箋受付でも治療中であることを知らせている

「調剤薬局の薬剤師として、皆さんにもっと頼ってほしいと思いますね。患者さん本人だけでなく、ご家族の相談にものることができますので、遠慮しないでほしいです。お医者さんに言いにくいことはたくさんあるのでしょう、お薬を取りに来る方で、いつもごく普通の世間話しかしないのに、じつは大変なことになっていた人が何人もおられます。たとえば『この薬は高いから、生活が苦しくなる』とか、医師には言いにくいでしょうが、私たち薬剤師が値段を考えて似た薬を提案したりできるんです。医師との橋渡しもできますし、患者さんに『これを試してみたいと先生に言ってみてください』とアドバイスもできます。薬のことで不安になったり、気になることは、ぜひ薬剤師を頼ってくださいね」

「乳がん患者としては、若い人たちにがんのことを、もっと身近に考えてもらいたいなと思います。『子どもを産んだら乳がんになるリスクが低い』という情報がありますよね。でも、出産した人が乳がんにならない訳じゃない。たとえ科学的なエビデンスに基づいた情報であったとしても『この情報があるから、自分は大丈夫』と思わずに、機会があったらめんどくさがらずに、検診を受けてほしいと思います」

「私は35歳で乳がんと診断されましたが、腫瘍の大きさや転移の広がりを考えると、原発巣ができたのはもっと前でしょう。20代でこまめに乳がん検診を受ける必要はありませんが、若い人ほど自分のちょっとした変化や不具合を見逃しちゃいけないと、今なら思います」

「乳房のセルフチェックは、月に1回だけでも美容マッサージと思ってやってほしい。そして、早く気づくことができたら、早く治療に入ってほしいです。乳がんは発見が早いほど治せるものが多いですし、早期の治療は経済的な負担もそんなに高くありません。ステージ4になると、かなりお金がかかるんです。私も治療費のために働いているのかと思うほどですよ。30〜40代の働き盛りや子育て世代で、進行した状態のがんを治療するとなると、経済的なつらさも大きいと思います。
私のように、『気づいたらステージ4』という人が、減ってほしいと願っています」

<取材・文/坂元希美>