2020年の国内がん死亡者数は、約37万9千400人(※国立がん研究センター)と、日本人の死因第1位である「がん」。しかし治療中も仕事を続けたり、生還して「がんサバイバー」として社会復帰する方も大勢います。
ここでは、乳がんの治療をしながら薬剤師として働く田中美穂さんに、「がんと働くこと」について伺いました。取材したのは、自身も乳がんから生還したがんサバイバーのライター・坂元希美さんです。


暑いときは帽子を脱ぎたくなるけれど、お客様が驚くかもと気にしてるという田中さん

ステージ4の乳がんだと知って家族は号泣。「仕事を続けることでがんを意識せずにいられる」



駅前にあるドラッグストアの調剤コーナーに、ニット帽をかぶった薬剤師さんがいます。ステージ4の乳がん治療中の田中美穂さん。


名札には「抗癌剤治療中です。医療用ケア帽子を着用することがあります。ご理解・ご協力をお願いいたします」と吹き出しが。

新型コロナウイルスが感染拡大する中で、大丈夫なのかしらと薬を受け取るこちらが心配になっていると

「意外と仕事はできるものなんですよ」

とマスク越しに明るく笑いながら、丁寧に薬の説明をしてくれる田中さん。不思議な勇気を与えてくれる田中さんに、がん治療をしながらの薬剤師のお仕事についてお話を聞きました。

●がんが見つかったときには、既に全身の骨に転移していた



現在、38歳の田中さんの乳がんが見つかったのは3年前の2018年。

「家で寝っ転がりながらゲームをしているとき、コントローラーを胸に落としたんです。すごく痛かったので手で押さえたら、しこりがあって。その2年前に、35歳になるからと会社の検診に有料オプションを使って、いろいろ細かく検査したんです。そのときに、甲状腺腫瘍が見つかって治療をしました。ほかにはなにもなかったので、乳がんがあるなんて思いもしませんでした。よく言われる乳房のセルフチェックも、したことがなかったです」

年齢的にも乳がんの好発期(※)ではないし、自分は大丈夫だと思っていた田中さん。でも、しこりを見つけたことで乳腺外科を受診しました。

※乳がんは40歳代後半〜60歳代後半の罹患率が高い傾向があります(国立がん研究センターがん情報サービスより)

「たしかに乳がんでした。検査した腫瘍マーカーは正常の範囲内だったので、まず手術を前提に治療が始まりました。術前に転移のチェックのために骨シンチグラフィ(※)をしたら、全身の骨にまばらに転移していることがわかりました。現在は、肝臓にも転移があります」

※骨シンチグラフィは、弱い放射線を放出する薬を注射して撮影することによって、がんが骨に転移しているかどうかを調べる検査です。

●がんが分かったとき、上司と家族のサポートは大きかった



転移があることでステージ4の診断を受けた田中さんは、手術をせず、薬物療法で治療を開始することになりました。最初の2年間は内服の分子標的薬で、ほとんど副作用を感じなかったそうです。しかし、その薬では効果が出なくなり、別の内服の抗がん剤を試した後、2020年の3月から点滴の抗がん剤を始めました。


2年前、大好きなディズニーランドで姪っ子と。まだ副作用が出る前の田中さん

「内服薬のときは頭髪が抜けることもなく、気持ち悪さもありませんでしたから、病院に行く日に公休を使うくらいで、普通の人と同じようにフルタイムで仕事を続けていました。薬剤師になってもう15年になるのですが、ちょうど乳がんが見つかった年に、今の職場に転職したばかりでした。ドラッグストアの調剤コーナーで、上司と2人体勢の職場です」

「ありがたいことに、新しい職場では入院や副作用が強い間に休みを取るときも嫌な顔をされることはないし、むしろ先回りして『休まなくて大丈夫か?』と気遣ってくれるので助かっています。本当に、上司に恵まれました。私と上司の2人体制の職場ですが、シフトがうまく回るように、お互いが遠慮なく話せる状況なのはありがたいですね」

独身の田中さんは、現在一人暮らし。ご両親はすぐ近くに住んでいて、告知からずっとサポートしてくれています。

「両親は、乳がんの総合的な結果を聞くときに一緒に来てくれました。甲状腺腫瘍の後だったので『転移したのかしら?』と言っていたのですが、ステージ4の乳がんだと知らされて、大号泣されました。今は二人とも落ち着いていて、母は毎日ニンジンジュースをつくってくれています。これが生きがいなのよって。父は寡黙な人ですが、2か月くらい動揺していました。今は落ち着いて、ふつうに親子ゲンカしたりしていますよ」

「県外に住んでいる兄は、3日に1度くらい電話をくれたり、すごく気にかけてくれるようになりました。家族が大きく取り乱さずにいてくれるのは、ありがたいです。なんだか甘やかされてるなあと思うのですが、いいや甘えちゃえ! と開き直っています」

●コロナ禍で仕事とがん治療を両立させること



髪が抜けたり、発熱や倦怠感などの副作用が強く出る点滴の抗がん剤を始めたのは、ちょうど新型コロナウイルス感染が拡大した頃。その中で仕事を続ける不安はなかったのでしょうか。


仕事中は医療用ケア帽子を着用している田中さん

「私の母はB型肝炎に罹患したことがあり、インターフェロンで治療していました。今思えば相当しんどかっただろうなと思うのですが、パートの仕事を辞めずに働いていたんですね。大学生だった私は『そういうものなのか』と思っていました。多少つらくても、働くのが当たり前なんだと。だから、私も今、多少つらくても仕事に行きます。副作用が出ていても、動けるなと思ったら職場に行っちゃう。仕事を生きがいにしているというほど、好きなわけではないんですけどね(笑)」

「点滴の抗がん剤治療が始まったときに新型コロナの感染が拡大しました。あの頃はまだコロナでどんな症状が出るのかや治療法もわからず、がん患者にどう影響するのかも、医療体制がどうなるのか不透明でした。白血球の数が減少するので感染症にかかりやすい状態でしたし、緊急事態宣言が出たこともあって、主治医から休職した方がいいと言われて、3か月間休職しました」

「私は1か月ほどで復帰するつもりでしたが、その頃に俳優の岡江久美子さんが亡くなって、家族に大反対されました。私ががん治療中だと知っている友人や親戚も、みんな『気をつけて、大変だよ』と言ってきて。著名な同じ病気の人が亡くなったのは、周りの人にとって大ショックだったんです」

休職して体を休めたり、感染の不安がなくなるかと思いきや、かえって不安やつらさが増したという田中さん。外出自粛の状況は、がん治療中の患者に大きな影響があります。

「休職中は、散歩すら止められました。そうやって家に閉じこもっていると、やることも限られるし、両親としか顔を合わせないので、窮屈でつらかったですね。ずっと心配してくれている友達に会えなくて、『意外と元気なんだよ〜』という姿を見せられないのもつらかったです。会えない間に髪がなくなったり、外見が大きく変化してしまったので、久しぶりに会うと急激に変わった=悪くなったと思われてしまうんです。たまたま外ですれ違った仲よしが、私だと気づかなかったくらい、外見が変わりましたからね。私自身は元気だし、自分や家族は症状も外見が少しずつ変わっていくのを見て、少しずつ消化していけるのですけれど。頻繁に会っていれば、変化していくのをプロセスでわかってもらえたのに…と思いました」

3か月の休職後、2020年の夏に職場復帰した田中さん。仕事を続けるのは、患者である自分自身の助けにもなると思っているそうです。

「休職中は家にこもっていたわけですが、その間はずっと病気のことを考えて悶々としちゃって、症状もすごく意識してしまって、つらさが大きくなってしまっていたと思います。仕事に行けば体も動かしますし、自分が病気だということを意識する時間が減るんですよね。薬剤師って、がん患者にはもってこいだなと思ったりもします(笑)。座りっぱなしでもないし、立ちっぱなしでもないから、浮腫や倦怠感があってもなんとかなります。お客さんに接するときにはそちらに集中しますから、いろんな方向に意識が向くんですよね」

「がんと診断されてから、じつはやりたいことが減ったんです。私は大のディズニーファンで、以前は毎日でもディズニーランドに行きたいと思ったのに、そうは思わなくなった。買い物も大好きでいろんなところに買いに行きたかった。それが、できるはずなのに、したいと思わなくなってしまった。趣味が減ってしまうと時間があっても、やることが少ないんですよ」

「仕事に行ったほうがやることがたくさんあって、病気のことを考えない時間が多いんです。時間の感じ方も違って、なにもしない1時間と、やることに追われている1時間だったら、後者の方が短く感じます。そうしたら痛みや気持ち悪さを感じている時間も短いと思うんです。たぶん、告知された時に仕事を辞めていたら、これほど元気ではいられなかっただろうと思いますよ」

●薬剤師ならではのがん治療の向き合い方



田中さんは薬剤師というお薬の専門家なので、積極的に治療に参加して、自分の体験を役立てたいと思っているそうです。


抗がん剤の副作用は爪にもあらわれる。ネイルオイルなどを使ってケアしているのだそう

「主治医とのやり取りは、普通の人よりかなりスムーズだと思いますね。薬剤師なので検査結果の数値も理解できますし、使う薬の作用もわかっています。次はどういう治療になるかを予測して心構えができるので、普通の人よりショックは少ないかも。先生もわかりやすく言い換えたりしなくていいから話しやすいんじゃないでしょうか。副作用が強く出たときなど、自分から主治医に別の薬を提案をすることもありますよ。なので、自主的に治療に参加している実感があります」

「がんの薬物療法ではいろいろな副作用がありますが、しびれやだるさなど限界までがまんする患者さんが多いと聞きます。私は『これは副作用で出ている症状』という知識があるので不安も少ないし、『これはだめだな』というラインが判断できているので、がまんのしすぎをせずにすんでいると思います。治療3年目になって、ちょっと実験みたいに考えてるところもありますよ(笑)」

「もちろん、治療でつらいこともあるけれど、貴重な体験だから情報をシェアしたいと思っています。年間で約100万人が新たにがんに罹患しますが、その3分の1が私のように働く世代です(※)。若い世代は、がん治療を受けたらどんな状態になるのか、なにが体に起こるのかを見る機会はなかなかないでしょう。だからこそ、この体験を伝えたいと思います。まずは上司に話したりして、薬剤師たちにシェアできたらと思っています」

※がん患者は増加しており、うち3人に1人は就労可能年齢で罹患(20−64歳:全体の32.4%、20−69歳:全体の45.6%)(厚生労働省「がん患者の就労や就労支援に関する現状」より)

がん患者であることが、薬剤師という仕事にプラスになっている部分もあるそうです。

「自分ががんになってから、薬剤師として患者さんへの接し方が変わりました。以前は『なんでこの人はちゃんと薬を飲まないんだろう?』とか、たぶん上から目線でとらえていたと思うんですね。それが、患者さんはこの症状だと怖いんだろうなとか、不安だから薬をちゃんと飲めないんだというように、感情面が理解できるようになったと思います」

「たぶん、がん以前は『いい/悪い』でスパッと考えていたんですね。『薬をちゃんと飲まないのは、悪い』とか。でも、今は『悪い』じゃなくて不安なんだと思えるようになった。医学って黒か白しかないと考えがちなのですが、患者にはその間に大きなグレーゾーンがあるんですね。私は白黒をつける、あるいは唯一の答えを目指す世界で育ってきましたけれど、今は答えは一つではないし、その間があるんだと実感しています」

<取材・文/坂元希美>