栃木県で最初の新型コロナウイルスの感染者が確認されたのが去年の2月22日、ちょうど1年前です。

2月22日に判明した県内1例目はクルーズ船の乗客でした。

臨時休校の実施や4月16日には緊急事態宣言が全国に拡大された第1波は学校関係の卒業や入学、そして春の大型連休にも大きな影響を与えました。

夏からの第2波では夜の街をはじめとする若い世代の感染の広がりや県内に住む外国籍の人々の感染が目立ちました。

県内最初のクラスターや亡くなった人が出たのもこの時期です。

そして秋から冬に入り、感染者が大きく増えました。

年末年始には爆発的な増加となり、この第3派の期間で県内の累計感染者およそ4000人のうち3000人以上が感染しました。

医療体制をひっ迫し年末に県は医療機器警報を発出。

そして2度目の緊急事態宣言は、13日から栃木県を含む11の都府県に拡大しました。

その後、県内では感染者が減少に転じ、今月7日には緊急事態宣言の対象地域から唯一外れました。

感染状況を表す目安となる国の分科会の指標や県独自の警戒度の指標は大幅に改善され、県は警戒度を22日から最高から一段下の感染厳重注意に引き下げました。

この1年を地域医療の最前線で診療にあたっている宇都宮市のインターパーク倉持呼吸器内科の倉持 仁医師に振り返ってもらいました。